ゆっくりのんびりといつもの通学道を歩いていたら、雨が降ってきた。
突然の大雨だったから、視界を確保するために目の上に手をかざして、とにかく雨がしのげる場所を探して走る。
今日は天気予報の降水確率は低かったせいか、傘を持ってきている人が少ないようだ。雨宿りできそうな場所には次々と人が入っていって、どこも満員状態。
ようやく休業している店の軒先を見つけて、とにかく飛び込む。シャッターにぴったりと体をつけないと濡れてしまうほど狭いけど、濡れないならばこの際どこだっていい。
安堵のため息をついて、ポケットからハンカチを取り出し、髪と制服についた水分を軽く拭き取る。
早く乾いてほしい、と無駄に制服をパタパタさせたりなんかしつつ、降り続ける雨の空を眺めた。
「そこ、すんません! ちょっとだけつめてください!」
返事をする間も、その場にスペースを空ける間もなく、一人の男の人が私の隣に飛び込んできた。
同じ学校の制服だから、同級生かもしれないけれど、そんなこと確認する暇なんてない。突然の来訪者のために私は少しだけ横へずれた。
「あ、すみません……」
短い髪を掻きながら、男の人が頭を下げる。彼が顔を上げた時、私の思考が一瞬にして止まった。
「わっ」
「えっ?」
「な、何でもないです。何でも。はい……」
雨宿りに飛び込んできた男の人が、同級生ではないことが確定した。いつもなら、顔を確認するまでもなく、声だけで気付くはずなのに。名前も、顔も、学年も全て知っている。
私の好きな先輩のことだから──。
先輩は私の動揺など気にすることなく、大きなスポーツバッグからタオルを取り出して、髪などを拭き始めた。
暑さのせいか、雨のせいか、先輩の匂いが少しだけ私の鼻をくすぐる。
伸ばしていた髪が、私の赤い顔をうまく隠してくれる。視線をこっそり先輩に向けたって気付かれない。でも、好きだからこそじっとは見ていられない。本当は見ていたいのに。
屋根の端から落ちる雨の雫が、私たちの足元で弾けていく。
隣の先輩はまだ頭を拭いている。視界に入っている腕がずっと動いている。
(二人っきりだからチャンス)
今だ、で何度口を開こうとしたことだろう。そのたびに、やっぱりだめだ、で諦める。
二人きり。たったそれだけのことが、私の心臓をどきどきさせる。口も、手も、足も、何も動かせなくなる。動いたら、私の好きが先輩に伝わりそうで、気付いてほしいのに気付いてほしくなくて、結局はじっと足元を見ているだけ。
無造作に先輩がタオルをバッグに戻す。それだけの動作なのに、私は思わずびくりと肩を動かしてしまった。
「えっと……俺のこと怖い?」
「あ、あの、そんなんじゃないんですっ。怖いとか全然思ってませんからっ」
心配そうな顔を向ける先輩に、手を振りながら夢中で答える。
「男子が苦手とか、そういうんだったら言って。どうも俺は鈍感らしいからさ」
「いや、ほんとに、そういうのじゃないんですよ。なんかちょっとびっくりしちゃっただけで……うん、本当にそういうのじゃないんです」
「なら、いいけど。あんた、一年生だろ? 俺は先輩だけど緊張とかしなくてもいいし、ただの雨宿りしてる人──っつう感じで」
「あ、はい。気をつけます」
「いや、それも……ま、いいか」
先輩が少しだけ、気付かないほど少しだけ、私から離れる。立ち方を変えるように見せかけておいて、そっと離れてしまった。
(本当にそういうのじゃないのに、な……)
緊張を止めることは私にも出来ない。もちろん、先輩の言葉で止まるわけがない。むしろ、会話すればするほど倍増する。
でも、ほんの少し、嬉しくなった。盗み聞きでしか聞けない先輩の声が、私に向かって発せられている。会話、してしまった。
だから、もっと先輩と話したくなって、私は思わず口走っていた。
「体育の時、大丈夫でした?」
「あ? ああ、体育の時のあれか。とっさに手ついたから特に怪我もなく……ん?」
先輩の疑問符で私の頭が一瞬にして冷める。
そして、気付いて顔を上げれば、先輩の驚いた顔がこっちを向いている。
一年生の私が、三年生である先輩のクラスの体育の時間なんて知るはずもない。しかも、先輩がこけていたところなんて、なおさら知っているはずがない。
グラウンドに面した教室で、三階から私が見ていたなんて、先輩が知るはずもないし、言うわけにもいかない。
「なんで、俺の体育の時間知ってんの?」
ついに聞かれてしまった。
答えを──言い訳を用意しきれていない私の頭は急回転。
とっさにうつむき、横に流れる髪を耳にかけて、そのまま指で自分の髪をもてあそぶ。
「ぐ、偶然見ただけなんですよっ。偶然、なんですよねぇ」
「俺って下級生に有名……なわけねぇだろうしな?」
「え、い、意外と有名なん…………て嘘です。私の中で超有名なんですよ、先輩は」
「どんな風に?」
絶対に不審がられると思っていた。だけど、反応を見る私の目に映った先輩は、真剣に問いかけていた。
告白するしかない。恥ずかしいはずのに目が離せない。呑気にも、見つめあってるんだな、なんて考えてしまった。
「好き、だからです。先輩の体育だけじゃなくて、特別教室行く時間も知ってます。どんな人といつも一緒か、購買行って何を買うか、サンダルにマジックで大きく名前書いてるのも知ってます。歩き方も真似できるくらい見てます。私は楽しいんですけどね。まあ、普通は気持ち悪いですよね。ごめんなさい……」
話したことすらない私を先輩が知っているはずもない。何も知らない私を好きになってくれるはずもないし、告白がだめなこともわかる。だから、引かれるのを覚悟でたくさん言った。知っていること、見ていることを言った。
先輩が思い切り目をそらした。短髪をぐしゃぐしゃしながら、どうやって断ろうか迷っているのだろう。
「俺も知ってる……」
どう受け取っても、断りの言葉にはならない。それよりも、意味がわからない。
「どういうことなんでしょうか?」
相変わらず先輩は私から目をそらしたまま、髪に手をやったまま、耳まで真っ赤になりながらゆっくりと答えてくれた。
「あんたが見てたのも半分……は言い過ぎだけどそれなりに知ってる。いつも眼鏡でショートの女子と一緒にいるのも知ってる。まあ、あまりによく見かけすぎるんだよな。目が合う回数も多いし。そうなると、まあだいたいは『俺か?』ってうぬぼれたりしてみるもんだ」
巧妙に隠れているつもりだったけど、どうやらバレていたらしい。普通に先輩が気付くような小さな不自然さにも夢中になっていた私は気付かなかった。
「そ、そうだったんですか。じゃ、先輩はここに来た時に気付いてたんですね。いつも見てたやつだ、って」
目をそらしていた先輩が、少しだけ私を見る。まるで盗み見るように。
「わりぃ。その前から気付いてました。歩いてる時から。これ、持ってんだよ、今日の俺は」
タオルのはみ出た先輩のスポーツバッグから出てきたのは、紺色の折り畳み傘。ゆっくりと私のほうへ向けられる。
「雨宿りなんてする必要ないじゃないですか。濡れる必要だって……」
「あんたが前を歩いているのは知ってた。雨が降ってきた時にこれを出してて、かっこよく『入っていかない?』とか妄想してたら、それが災いして、傘を取り出した時にはあんたはいない。焦って探しまくったさ。ま、おかげで思い切り濡れたわけだけど」
「私のせい……なんでしょうか?」
「あ、いや、気にすんな。告白してもらえたしラッキーっつうことで」
「告白、どうなるんでしょうか?」
「ちょっと待ってろ」
先輩が持っていた折り畳み傘を広げている。
ちょっと待って、で返事もらえるのだろうか。傘を広げている先輩の姿に、なんだか少し不安になる。
私と先輩の前に紺色の傘が広げられる。
じっと見ていた私に、先輩が真っ赤な顔で呟くように一言。
「一緒に入ってく?」
告白のOKサインだと受け取る私は調子がいいのだろうか。
先輩と一緒に帰れるから返事はどうでもいい、なんて思い始める気持ちまで出てくる。
だから、笑顔で答えた。
「入ります」
広げられた傘の下へ入る。先輩も隣に並んで歩き出す。
先輩より低い私の身長に合わせてくれているのか、傘が先輩の頭に乗っかっているような感じになっている。
「明日からこうして帰るか、とりあえず」
「それはもしかして……」
「全部を言うのは恥ずかしいから察してくれる?」
「はい」
雨宿りしていたはずの二人が、持っていた傘をさして帰る。
今まで話すことすらなかった私たちが一緒に帰る。
傘を持つ先輩の腕をじっと見つめながら、何が起こるかわかりませんね、と言おうか言うまいか、私はずっと考えながら歩いていた。
◇終◇
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