学級日誌
 彼の名前を黒板に書く。隣りに私の名前。
 並んだ二つの名前を見て、ちょっとした満足感に微笑む。
 私と彼の名が並べて書いてあっても、クラスの誰も変に思わない。……日直なんだから当たり前。
 授業の間の休み時間の黒板消しと、日誌書きが日直の仕事。
 黒板消しは毎回私がやっていて、日誌は彼が書いている。
 普通は逆だ、と友達も言っている。でも、なぜか彼は日誌書きを譲らない。

 
 今日は違った。
 私が消す前に、彼が消していた。授業が終わったら、すぐに消しに行ってる。
「まだ、写してねぇのによ〜!」
 そんな声が聞こえても、彼はおかまいなしに消していく。当たり前のように。
 結局、私が何もしないうちに放課後が近づく。
 せめて日誌くらい書こうと思って、彼に言った。
「あの、黒板消しやってないし、私が日誌書くから……」
「ふ〜ん、あ、そ。じゃ、これ。よろしく」
 彼は机の中から折れ曲がった学級日誌を取り出す。
 私はそれを受け取って、自分の机に戻って開いた。
(ああ、やっと仕事ができる。えっと、今日の1時間目は……)
 全部埋まっていた。
 まだ終わっていない授業のことまで、きちんと書いてある。
(う〜ん、結局、私の仕事はなし、ってことか)
  私は今、初めて日誌を見たことに気づいた。いつも、彼が書いて持っていくので、手に取ることもなかったのだ。
(うっわ、綺麗な字。みんな適当にしか書かないのに、すごく丁寧に書いてある)
 彼の字の綺麗さに驚いた。絶対私よりうまい。
 私は彼が日直をした日を探した。
 前回も…その前も…今日と同じく綺麗に書かれてある。
 全てを読み終えた時、共通して書かれている変な言葉を見つけた。『日直の一言』の欄。

『今日も見ていない。話していない』
『今日も見ていない』
『今日こそは』

 以前の日誌、3回分の言葉である。
 そして、今日の『日直の一言』の欄には。

『実行あるのみ』

 何のことか全くわからない。
(何を見ていないのかな……。あ、でも話していない、ってことは人? 誰?)


 疑問を残したまま、やってきた放課後。
 『明日の予定』の欄を埋めて、職員室に持っていこうとした。
 開け放たれた入り口から彼が入ってきた。
「お、間に合った。まだ、日誌出してねぇよな?」
「うん、これから持って行こうと思ってたとこ」
 彼は私が立つ机の、前の席に座る。
「ちょっと、それ貸して」
 わからないままに、私は彼に日誌を渡す。
 彼はそれをぱらぱらと見て、私を見上げる。
「な、これ見て何か思わない?」
彼が指しているのは『日直の一言』の欄。私が疑問に思っていた部分。
「え、あ…字が綺麗なんだね」
 思いついたことを言っただけなのに、彼が嬉しそうに笑う。
「そうだろ、そうだろ。俺は日誌だけは綺麗に書いてるからなぁ」
(もしかして、それを聞きたいがためだけに戻ってきたのかな?まさか、ね。でも、他に用事もないはず…)
「日誌、持っていくから…」
 私は日誌に手を伸ばす。
 彼が日誌を強くつかんで「待った」と言った。
「あんたさ、俺と一緒に日直すんの嫌だった?いつも何も言わないで黒板消すし。女子って黒板消し嫌がるだろ?制服が汚くなるって。今もさっさと持って行こうとする。俺と関わりたくない?」
 意外な彼の言葉にびっくりした。
 私こそ、彼に嫌がられていると思っていたから。
「べ、別に……いや、じゃない」
「ふーん、だったらいいけど」
 彼は日誌に目を戻している。
 私はどうしたらいいのかわからず立ちつくす。
「これ、どういうことかわかるか?」
「え、え?」
 彼に呼ばれて、腕を引っ張られる。
 また『日直の一言』を指している。
 私は首を横に振って「わからない」と言うと、彼は「ん〜」と言いながら、また新たなページを開ける。
「じゃ、これとかは?」
また同じ欄。
「わからない」
「じゃ、ここ。前回の日直の時のは?」
「……ごめん、わからない」
「そっかぁ。わかりにくいか……」
「ごめん……」
「いや、謝らなくてもいいんだけど、な。わからないってのも、気にならない?」
 彼は私の腕をつかんだまま、ちらりと上目遣いで私を見る。
「そりゃ、少しは」
「き、聞きてえ?」
「言っても支障がないことなら」
 彼が私の腕を放して、背中を向けた。
 私はまた立ち尽くす。
「それ、見てないってのは、あんたが日誌を見てないってこと。話していないってのは、日直同じなのに話していなかった。せっかく綺麗な字で書いてきたのに、全然見ないんだもんな」
 彼がこっちを見ていないことに感謝した。
 顔が火照りだす。いくら鈍感な私でも、ここまで言われればわかる。
「そ、そうだったんだ」
「あぁ? わかってない? もしかして……」
「に、に、日誌持っていかないとっ」
 私は放置されたままの日誌をつかんで、あわてて教室を出て行く。
「ちょ、ちょ……待てよっ。てめぇ、ふざけんなよっ」
 バタバタと足音が私を追いかけてくる。
 私は、振り向きもせず叫んだ。
「きょ、今日一緒に……帰ろうねっ」
 足音が突然止んだ。
 私は止まって、振り向いた。
 彼はびっくりしている。
「今日、一緒に帰りたいから待ってて」
「お、おぅ。下駄箱んとこで待ってる……か、ら」
 彼は精一杯の照れ笑いで、手を振って走って行った。
「よっし、私も早く持っていかないとっ」
 私も、日誌を手に走り出した。


◇終◇
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