発熱
 昨日までは元気だった。寝る前も元気だった。昨晩はテレビ見て笑ってた。
 起きたら頭はふらついているし、体温計には37.5の表示。要するに熱を出してしまったということだ。
 いつもだったら登校している時間に寝ている。確かに優越感もあるけれど、自分だけいつもの時間から取り残されたような奇妙な感覚もある。
 息を吐くたびに体をけだるさが襲う。
 両親は会社へと行き、兄は高校へと行った。
 いつもはセーラー服を着て、とっくに友達と挨拶なんか交わしている時間。ハンガーにかけられた制服が切ない。
 学校に行ってないのだから好きに過ごせばいいのに、気が付けばついつい時計を見てしまっている。
 一眠りした。
 目覚めればだるさも収まっていると思ったけど、熱というものはそう簡単に冷めてくれないらしい。コンロに置かれた鍋に火をつけてお粥を温める。
 中学校は給食の時間。いちいち時計を見ては学校生活と照らし合わせている自分に少し苦笑してみた。
 お粥を食べていると、涙が浮かんでくる。熱さで舌が痛むからか、それとも一人で寂しいからか。休日は平気なのに、たった一日友達に会えないだけでこのありさま。
 違う。友達にも会いたいけど、やっぱり彼に会いたい。彼は空いた私の席を見てどう思っただろう。私が欠席していることなど気にもかけていないかもしれない。
 嫌だ。
 私はお粥を食べていた手を止めて、熱でふらつくままに自分の部屋へと戻る。パジャマから制服へ着替える。こんな時でも身だしなみのチェックは忘れない。いつものかばんを持って、玄関へと到達したとたんにパタリと足を止めてしまった。
(なに、やってんだろ……欠席したくせに)
 部屋に戻って、かばんを投げつけ、制服を無造作に脱ぎ捨てる。
 自分の弱さと行動力に呆れた。
 パジャマを着て、ベッドへと潜り込む。
 寝ようと目を閉じる。目が覚めればいつもの帰宅時間。そうなればもう寂しくならないし、馬鹿なこともしない。
 いい調子で眠りの中へ入り込みかけた時、玄関のチャイムが鳴った。家には病人一人。当然鍵はかけられている。
(無視、無視……)
 もう一度鳴る。
 来客者の顔くらい見ておこうと、カーテンからゆっくりと呼び鈴のついている門を覗いてみた。
 すると、来客者もちょうど上を見上げたところで目が合った。
 私は慌てて階段を駆け下りた。病人なのに、パジャマなのに無我夢中で駆け下りていた。玄関の鏡で慌てて身だしなみチェック。病人でもここは譲れない。
 玄関の鍵を開け、そっとドアを開けると、見たかった彼の姿。
「起きて大丈夫か?」
「起きないと玄関開けられない」
「無理しなくても、俺なんか無視しとけばいいのに」
 二度もチャイムを鳴らしたくせにこの言い草。でも、嬉しかった。
 無視できるわけない、と言いたいのをこらえ、悟られぬように素っ気なく問う。
「で、何?」
 彼は怒りもせずにかばんの中から何かを取り出し、私へと差し出した。
「オレンジゼリー。さすがに給食全部は持って来られないからな、俺でも」
「それだけのためにわざわざ?」
 思わず言ってしまった。わざわざ来るなんてばかじゃないか、とも受け取れてしまう言葉を。
 でも、彼は怒らずに当たり前のように返す。
「冷えてるほうがおいしいだろ? ぬるくなったゼリーほど悲惨なものもないよな」
 もちろん私は絶句。返す言葉もない。
 彼には失礼だけど、馬鹿じゃないか、という思いも少し湧いてきた。
 笑顔で差し出すので、私もつられて受け取る。
「ありがと」
 ようやくそれだけを絞り出した。
 かばんを後ろへと戻した彼は、私を指して厳しい目を見せる。
「いいか。俺帰って、ゼリー食べたら寝ろ。で、明日は絶対に学校に来い」
「ゼリーは食べないといけないんだ」
 強気で言っていた彼がひるんだ。
「……いや、無理ならいいけど」
「ううん、食べる」
 笑顔ののち、再び強気に戻る彼。
「明日は来いよ。絶対にっ」
「明日って何か大切な行事あったっけ?」
「ない」
「なのに明日にこだわる理由は?」
 私の質問にまた彼がひるんだ。今度は答えを探すかのように目をあちこちへさまよわせている。なぜか次第に赤くなっていく彼の頬。
「お、俺が……お、お、俺がぁ」声に出すのも苦しそうな彼は、それでもゆっくりと言葉にしていく。「さ、寂しいんだ」
 言い終わって即座に後ろを向く。私の目の前には彼の背中が向けられる。
 私は熱が出ているのだから、顔が熱いのも、赤いのも当たり前。頭も少し正常に働いていない。思った言葉がそのまま口から出る傾向にあるらしい。
「一緒だ。ね、それ私と一緒」
 嬉しくなって彼の肩をポンポンと叩く。一緒だからこっちを向いて、と。
 背中からじれたような彼の声。
「はあ、何が一緒って?」
「だからさ、寂しいってところ。私も今日すっごい寂しかった。でも来てくれてすっごい嬉しい」
 驚く速さで私のほうを向いた彼の顔は相変わらず真っ赤。何かを言い出さんと口がぱくぱく動いている。
「熱出てるお前の言葉はまともに受け取っちゃいけないんだろうけど、い、今のは間違いなく告白だ、と俺は思う」
「え?」
 熱でふらつく頭の中、一生懸命にさっきの自分の言葉を反芻する。彼の言ったことも交えながら考え、答えにいきついた時にはすでに熱は上がっていた。
「わ、ほんとだ……」
 手に持ったゼリーをただ見つめる。じっと下を向いていればおのずと訪れることだけど、私は熱でふらついてしまった。地面が回り、そのまま彼に支えられる形になる。
「部屋。部屋どこ?」
 頭に響くほどの声で彼が問う。私をしっかりと支えながら。
 冷たい彼の手が一瞬私の額にあてられる。
「わ、熱すげぇ。で、部屋は2階? 1階?」
「2階」
「2階のどこ?」
「階段上ってすぐ右」
「おっけ。……っしょっと」
 彼の思ったより逞しい両腕が私の腰に回され、そのまま持ち上げられる。わき腹がつっぱって痛い。
 彼は私を半ばひきずるように抱えて、階段を上っていく。
「い、痛い」
「変態じゃない抱き方が思いつかなかったんだ」
 階段を上ったあとは私は荷物扱い。彼が片手で支えて、私の部屋のドアを開ける。そして両腕を脇に移動させて、ゆっくりと私をベッドのはしに座らせた。
「もう、寝ろ。俺は帰る」
「え、もう? そこ座ってて」
 ドアへ向かっていた彼が振り向く。
「ばーか。お前バカだろ。両思いを知った男を引き止めるな」
「え、両思い?」
 驚いた彼はしばらく唖然と私を見つめ、そして口だけを動かして、もう一度バカと言った。
「俺はお前が学校来ないと寂しい。お前は俺に会えて嬉しい。両思いだろ?」
「うん、そっか。明日は絶対に学校行かないと」
「なんで?」
「彼氏出来たって自慢したいもん」
 彼の顔は、私の熱が移ったのではないかと思うほど赤くなる。
「あー、もう、好きにしろ。じゃあ」
 ドカドカと階段を下りて彼は帰っていった。
 夢じゃないかと私は頬をつねり、痛みを知って嬉しくなった。
 頭もふわふわしているけれど、心もふわふわしている。
 このまま眠りにつこうとゆっくりと目を閉じた。

 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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