幼なじみなだけで、私たちは付き合っているわけじゃない。
花火大会に二人で来たのだって、互いに彼女や彼氏がいなかったら一緒に行こう、と約束していたからだ。
缶ジュースと、『花火大会』とプリントの入ったうちわを片手に、私たちは頭上を明るく照らす花火を見上げていた。
「おお、すごいね」
「この迫力はやめらんねぇな」
家のベランダからでも見られるけど、空から花火が降ってくるような気分になれるから、毎年会場へ足を運んでしまう。
だらしなく口を開けて、うちわで扇ぐことも忘れ、色気の欠片も感じられない私。
腕を誰かにつつかれた。隣を見れば、部活の後輩がぎこちない笑顔を私に向けている。
「先輩、こんばんわ」
「なに?」
花火の轟音に消されないよう、顔を密着させて話す。
「ちょっと、いいですか?」
彼が私の肩越しに後輩を覗き込む。
「どうした?」
「この子、後輩なの。ちょっと、離れるから」
「おう」
缶ジュースを彼に預け、後輩である彼女と共に人ごみを抜ける。
花火の音は少し離れただけでは小さくならない。どこであろうと、会話がしにくいことに変わりはなかった。
花火の明るさとは反対に、彼女は緊張したようにずっと顔をこわばらせている。
後輩に怖れられるような先輩っぷりは発揮していない、と私は自負しているし、彼女に対し、部活中に『怒る』というエネルギーを要することをした覚えもない。
だからこそ、こうして真剣な表情をされると、私のほうが不安になってくる。
「なに……かな?」
なるべく笑顔で言ったつもりだけど、それでも彼女の体を震わせる結果になってしまった。
「先輩……あの人、彼氏ですか?」
ゆっくりと口を開けた彼女は、小さな声で、はっきりと言った。
一瞬、聞き間違いかと思ったけど、彼女は私の返事を待っている。
冗談でしょ、と内心では笑っているけど、それを表に出せるほど私は空気の読めない女じゃない。
「ううん。彼氏じゃなくて幼なじみ」
彼女の質問の方向性がわかってきたから、なるべく短文で必要な言葉だけで答える。ヘタに喋りすぎると余計な誤解を与えかねない。
彼女の好きな男の顔が脳裏をよぎる。
そうか、好きなんだ――。
「どうして、一緒に来ているんですか?」
「お互い彼氏も彼女もいないから。それに……毎年のことだし」
彼女の顔が輝いた。
「彼女いないんですか?」
「……って、私は聞いてるけどね」
「そうなんですか。そっか……」
嬉しそうに頷く彼女を見ていると、先輩気質というか姉御気質というか、そんなようなものがむくむくと湧いてくる。
私は、かわいい後輩には甘い先輩なのだ。
「ここに呼び出す?」
「えっ」
驚きながらも、彼女は否定しない。
「私に聞いたってことは、あるていどの覚悟はしてきてるんでしょ?」
「まあ、一応は……」
「強制するものでもないし……どうする?」
「お願いします」
彼女は即座に頷いた。
「待ってて」
「先輩、ごめんなさい。ありがとうございます」
人ごみの中へ入ろうとした瞬間、彼女の叫ぶ声が聞こえた。
見えるかわからないけど、とりあえず手を振った。
彼は両手に缶ジュースを持ち、カーゴパンツにうちわを挟んで空を見上げていた。
隣へと到着した私の前に、先ほど預けた缶ジュースが差し出される。
「話、終わった?」
「とりあえず、私は、ね。次はあんたの番」
「はあ? お前の後輩なんて知らないんだけど」
「話があるから。行ってあげて」
「ふーん……話、か」
缶に口をつけた彼の喉が動く。
「何の話か、お前、知ってんだろ?」
私もジュースを一口飲んだ。
「まあね」
花火はしばらくの休憩に入ったようだ。周りがざわつき始める。動けば場所をとられるので、みんな、その場で話すしかないのだ。
「行っていいの?」
そう言った彼は、顎をあげてジュースを一気に飲み干した。彼の手の中でアルミ缶がペキッと音をたてる。
「どうして、私に聞くわけ?」
「最終確認、みたいなもの」
「私の後輩なんだから、行ってあげてよ」
今度はバキッと音が鳴った。彼が缶を手で握りつぶしたようだ。
あまりのタイミングの良さに、なんだか彼に怒られている気分になり、ごまかすように私もジュースを一気に飲み干す。
「じゃあ、俺、行ってくる」
「うん」
「戻ってくるから」
「うん」
空になった私の缶を取る時、彼の指が手の甲に触れた。
なんでもないことなのに、敏感に反応した自分に少しだけ驚いた。
先ほどから、一人残された私の目は、花火の上がる空ではなく、人ごみの向こうばかりを気にしている。
そんなことをしても彼らが見えるわけはないのに、背伸びまでして見ようとしている。おかげで後ろの人の足を踏みそうになった。
後輩の恋が叶って、彼に彼女ができるかもしれない。そんな嬉しいソワソワではなくて、さっきから心にあるのは――なぜか、不安。
視界に、動く頭が一つだけ入ってきた。ゆらゆらとこっちに近づいてくる。
後ろにもう一つ頭があったらどうしよう。
彼が一人で戻ってくるとは限らないことに気づき、怖くなった私は無理やり花火を視界に入れる。
平然とするつもりだったのに、戻ってきた彼に向かって発した言葉はおかしなものになった。
「あっ、一人?」
「一人? ……当たり前だろ」
あわてて、ごまかす。
「ふ、二人で戻ってくるかな、と思ったから」
「お前には悪いと思ったけど……」隣に立った彼は花火を見上げる。「断ってきた」
「そっか」
私こそ後輩に申し訳がない。言葉にこそ出さなかったけど、私の心には、喜び、安心、そんなものがあふれている。
まだ、彼と一緒にいられる。それが嬉しい。
空が一斉に明るくなった。大きな花火が連続で打ち上げられる。終わりへと向かっているのだ。
バラバラとお腹に響く音が病んだ後、周りから拍手が鳴り響く。私たちも手を叩いた。
やがて、動き始める人波と共に私たちも歩き始める。
「来年もお前と、だな」
「彼女を逃したのはそっちじゃない」
「まあ、確かに」
うちわで扇ぎながら、彼が乾いた笑いをもらす。
「でも、彼女ができなくて、ちょっと安心した」
「……なんで?」
なんとなく口から出てきてしまった言葉に理由など用意されていない。
「さあ……なんでだろ」
はっきりした理由はちゃんと頭にあったのに、私は無意識にそれを避けた。言えば彼との関係が変わるとわかっていた。
だらだらと歩きながら、ごまかす言葉を必死に考える。
「急いで彼氏を作らなくても大丈夫かな、と思ったから」
「なに? 安心した理由?」
「そう。彼女ができたら、私も彼氏を作らないといけなくなるじゃない? 今は、まだいらないし」
「まあ、俺もいらねぇな」
「一緒にいられなくなるし、ね」
突然、彼が人波から脇へとそれる。
「いきなり、どうしたの?」
追いかけ、足を止めた彼の前へ立つ。
「一緒にいられる方法、思いついた」
ある種の覚悟を感じさせる彼の表情。こんな顔を私は最近見たことがある。
彼に告白を決意した後輩と同じ――。
漠然と、告白なのだろう、と私は心のどこかで悟っていた。
「どんな方法?」
私も一緒にいたい。でも、それは友達としてではない。だから、知らないふりをして彼に訊ねた。
「俺が、お前の……彼氏になる」
やっぱり、そうだ。彼も私と同じことを思っていたのだ。
「いいね、それ」
嬉しいから自然と笑みがもれた。
「だろ?」と言った直後、彼の嬉しそうな顔が崩れた。「……と思ったけど、俺、最低かも」
彼の言葉を受けて、私の脳裏に後輩の顔が浮かぶ。
「付き合ってないって言ったのに」
「かといって今さら付き合いませんって……」
「えっ、私は無理」
「俺も」
両思いを確認しあったのに、私たちは互いに落ち込んでいる。
「でも、隠れて付き合うなんて……」
「したくねぇな」
「じゃあ……」
「お前が言うしかないだろ。必要だったら、俺は土下座でも何でもする」
差し出された彼の手を、がっちりと握る。
「がんばります」
直後、どちらからともなく手を離した。
手を繋ぐ。今まで当たり前にできたことが、なぜか恥ずかしくなった。
「恥ずかしい。耐えられない」
「……ん、でも、ちょっと嬉しくねぇか?」
「……まあね」
彼氏の差し出した手に、今度はゆっくりと自分の手を重ねた。
◇終◇
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