帰り道
 いつも友達と帰る道を、今日は別の人と歩いている。
 私の目は、さっきから一度も相手の顔を見ていない。じっと、ただ足下だけしか見ることができない。
 下駄箱を勝手に見てチェックした、隣を歩く彼のスポーツシューズ。何年はいているのか、少しよれっとしている。
 彼が歩くたびに大きなスポーツバッグが、私の手にあたる。
 こんなに大きくて邪魔にならないのかな。何を入れたらこんなに大きくなるんだろう。聞ける距離にはいるけれど、口から出るまでがすごく遠い。
 聞きたいことはいっぱいあるし、友達とも何かとはしゃいでいたし、行動の一つ一つに喜んでいた私。一緒に帰るなんて夢のことだった、憧れていた。なのに、今は少ししんどい。気を抜けば、ため息さえも出てきそう。
 私にあたらないよう大きなスポーツバッグを押さえる彼の手が、今度は私の手に時々触れる。だから手が動かせない。……というより、動かし方を忘れたような変な感じ。
 すれ違う全ての人が私たちを見ているような錯覚にとらわれる。黙って歩いていると変に見えるのだろうか。
(会話……。会話……)
「あ、あっ……」
 話し出すきっかけがわからなくて、呼びかけることすらうまくできない。
「なに?」
 私を見る彼の顔にびっくりして、口から勝手に言葉が出てくる。
「クラブの後、顔洗うよね? いっつもタオル使わないんだね。ほら、友達の取ったりして……」
(うわ、気ぃ悪い! 気悪くした!)
「ああ、あれ。タオルいちいち持ってくるの面倒だからなぁ。女子と違って、人が使ったからって気持ち悪いとか思わねぇし」
「でも、友達より先に使ったりしてなかったっけ?」
(何を指摘してるのよ、私っ)
 答えようと開かれた彼の口が止まり、そのまま、ん? と眉間にしわがよせられる。
「なんで、知ってるんだ? 水道のとこ通るっけ? あ、でも、俺クラブ終わるの遅いよな……」
 彼の質問を受けて、私も気づいて、そして恥ずかしくなる。
 いつも、当たり前のように彼を見ていたから、当たり前のように話してしまっていた。
 疑問符を浮かべたままの彼の顔に、私はしばらくためらった後、おとなしく降参する。
「私、吹奏楽部なんだ。いつも遅いし、鍵返す当番の日とか……それ以外にも毎日見てたの。ごめん」
「謝ることはないと思う。俺も、見てたし。それに……」彼の視線が手元のスポーツバッグへと移る。「俺を見てるってのも知ってた。音楽室の窓際で練習してる、よな?」
 私も視線を足下へと移した。
「ば、ばれてたんだ。グラウンド見ながら練習できたらって思って、あそこ、私の特等席なの。あぁ、そっか……ばれてたんだぁ」
 私の呟きを最後に、しばらくの沈黙。やがて、ぽつりと彼が言う。
「……お互い見てたってことで今こうしてるわけだから、まあ、いいんじゃないっスか?」
 どんな顔して言ってるんだろ、と思って、隣の彼の顔を見てみた。
 見た私の顔も彼と同じく赤くなる。聞きなれないセリフの意味に気づいてしまった。
「……うん、そうっスね」
 また沈黙。だけど、不思議と重苦しくはなくなった。少しだけだったけど、彼と普通に付き合っているっぽい話もできたから。
 少し余裕のできた私の視界に、相変わらず大きなバッグを押さえる彼の手。いつもシャーペンを握っている手。プリントを渡す時に差し出される手。授業中に寝る時はまくらになる手。それが、すぐそこにある。
 じっと見ていると、なんだか衝動に走ってしまいそうになったので、私は慌てて目をそらした。不自然なほどまっすぐ前を見る。
(? ……!?)
 私の手が、彼の手に包まれていた。痛いくらいにぎゅっと握られていた。
「ご、ごめん。ほんの出来心っ」
 私の視線に気づいた彼があわてて離す。
 ちょっとびっくりして、そして、がっかりした。
「いいのに……」
 催促の意味もこめて、彼に言う。
「……じゃ、もう一回?」
 私のほうに少し差し出された彼の手。
 軽くうなずいて、そこへ自分の手を重ねる。
 照れくさそうに彼が笑って、私も笑う。でも、すぐまたお互い目をそらして……。
 それでも、手だけはずっと離さずに歩いていた──。


◇終◇
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