家でクーラーをつけて読書していると、電気代がかかる、と母がうるさい。そんな私が避暑地を求めて辿り着いた絶好の場所、図書館。
本はいくらでも読めるし、ゆっくり座れる椅子もある。もちろん、クーラー完備で中は涼しい。寒いくらいだ。
昼前からずっと居座り、本も二冊読み終え、今は三冊目を物色している。
受け付け付近の時計を見れば、もうすぐ三時になろうかというところ。
内容確認のために読んでいた本を本棚に戻し、切ないため息をつく。とたんに、静かなスペースにお腹の音が鳴り響く。止めたくてもそう簡単には止められない。朝食も昼食もとっていないお腹の悲鳴ともいえる。
小さく吹き出す声が隣から聞こえた。
聞かれた、と慌てて見てみれば、そこには同じクラスの男子生徒が一人。
「めし、食ってねえの?」
笑い混じりに聞かれても、とっさには答えられない。
好きな人にお腹の音を聞かれる。あまりに情けないこの事態に、逃げ出そうか、とさえ考えてしまう。
「ずっと、本読んでたから」
ようやくそれだけ答えて、彼に背を向けた。本を探すふりをして逃げ出そうとした。
「お前さ、かき氷って好き?」
いきなりすぎる。何の脈絡も感じられない問いに思わず足を止めてしまった。
足を止めれば振り返るしかない。この状態からさらに逃げるのは良心が許さない。
「好き」
彼が適当に本棚から本を取る。ぱらぱらっとページをめくりながら、
「味はどれが好き? 俺はブルーハワイ。青いアレ」
さらに意味のわからない質問を続ける。
「私は……メロン、かな」
「よっし、決まり」本を戻した彼は、ついてこい、と手招きしながら歩き出す。
「あそこはブルーハワイもあるしメロンもある。かき氷好きなら一度は食っとけってとこだな」
図書館の出口まで来て、彼はいきなり足を止める。
早足の彼についていた私は、いきなりの停止についていけず、少しだけ彼を追い越して止まった。振り返る。
「なに?」
「俺らが出てきたとこって図書館だろ?」
「だね」
「何か本を借りる予定とかあった? 暑いなか図書館まで来て、目的の本が借りれないとなれば、俺が悪いみたいだろ?」
少しだけ、気のつく人だと思ったけど、少しだけでよかった。最後の一言がよけいすぎる。
「別にないし、大丈夫」
「ん、じゃ、少しだけ歩くぞ」
会話の展開から予測すると、彼のおすすめのかき氷が食べられる店でもあるのだろう。
私がついてきているのかを確かめるように振り向く彼の後ろを、黙って私は追いかけた。
やがて、小さな駄菓子屋さんに行き着く。
「ここのかき氷はな、一度食ったらまじでやめられねぇ。きめの細かさと……って俺の解説はいいんだった。……まあ、とにかく食え」
強引に連れて来られたうえに、行き着いた先が初めて来る駄菓子屋さん。勝手も何もわからない私は呆然と立つしかない。
「すんませーん。かき氷のメロンとブルーハワイ」
ゆったりと出てきたおじさんが、大きくて四角い氷ののっかったかき氷機を動かし始める。
氷の削れる音がうるさくなく、耳に心地いい。器に落ちていく氷は雪に近かった。山盛りの先を指で押せば、そのまま溶けてしまいそうだ。
雪の山にかけられた緑は私のメロン。
彼の手にある山は青く、色が涼しげで少し惹かれた。
シロップの入った瓶が並ぶ台にかき氷を置いて、私は百円玉と五十円玉を探すために財布を取り出した。
「こぼさないようにな」
優しげな声に顔をあげれば、店の奥へ戻っていくおじさんの後姿が見える。
「あ、お金、は?」
ようやく取り出した百五十円を持ったまま、かき氷を食べ始めている彼に助けを求める。
「俺が払った。三百円くらい持ってる」
「じゃ、これ、私の分の……」
「いらねぇよ」
「百五十円くらい私も持ってるし」
「どーんとおごられとけ。それより、早く食えって」
「ありがとう」
あまりしつこいとうっとうしがられるかもしれない。
素直にお金を戻して、店の前のベンチに座った彼に軽く頭を下げる。立ったまま、かき氷を口に入れた。
「あ、すっごい、これ……」
あまりに一瞬で溶けるので、口に入れたことが嘘のように感じる。舌に残る冷たさと、ほんのりとした甘さが、確かにかき氷が口に入ったことを教えてくれる。
驚く私を見た彼は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「やばいだろ? 氷のきめが細かいだろ?」
「これって雪。削ってる時にも思ってたけど、本当に雪」
「毎日でも飽きない?」
「うん、飽きない。これの後にもう一つ食べられそうなくらい」
「だろ? 誰かに教えたかったんだよな、ここ。でも、人は選ばないとな」
嬉しそうにかき氷を食べている彼。
でも、私は彼の言葉に少しひっかかりを覚えたので、かき氷の手を一時止める。
ただ、スプーンになってるストローに中途半端にかき氷をのせたまま手を止めたので、腕に少しだけ落ちてしまった。
「あっ……」
腕で溶けたかき氷がたれないように、腕を横にして落ちた箇所を見つめる。
ティッシュやハンカチで拭いたところで、シロップのべたつきまではとれそうにない。
「あーあ……」
言いながら彼が立ち上がり、私の腕に顔を近づけ……、
「えっ……?」
唇をつけ、溶けたかき氷を吸いとった。
たれ落ちる心配はなくなったけど、あっけにとられた私は腕を下ろすことすらできない。ただただ、腕と彼を見つめるばかり。
「ほら、これでもう……。……あ、やべぇ」
言ってる途中で、自分の行為に気づいたらしい彼は、唇を軽く舐める。
かき氷が溶けるのもかまわず、じっと立ったまま、私たちは互いに目を合わさない。合わせることができない。
「メロン……」
彼が思い出したように呟く。
口に入った味に違和感があったのだろうか。
「俺、今度はメロン食ってみる」
呟きから一転して声が大きくなったので、思わず私はびくっと体を震わせてしまった。
「ごめん。引いてる、だろ? 自分の時に舐めるから思わず……」
彼は、今にも泣きそうな顔になってる。
見たことのない顔が見られて嬉しいとは思わない。こんな顔が見たいわけではないから。
「私……私も今度はブルーハワイ食べてみる。だから、また……」
一緒に、と続けられなかった。図々しい気もしたし、恥ずかしくて声に出せなかった。
彼は、私の言いたいことを察してくれたようだ。
悲しそうな顔にゆっくりと笑みが広がっていく。
「ここだけじゃなくてさ、もっと俺のおすすめの場所とかに……」ここで彼は大きく深呼吸。「お前のおすすめの場所とかにも一緒に……い、行けたら、な……いいな、とか、な」
彼と一緒に会う約束は嬉しい。でも、私はちゃんと気持ちを伝えていない。さっき、唇が触れたのもイヤじゃなかった。
「えっと……好き、です。……ご、ごめんね。ちゃんと言っておきたいな、とか……思って」
「おっ……」
彼の声がうわずった。
二度、咳をして声を整えた彼は、深呼吸の後に言った。
「俺もっ……です」
◇終◇
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