ケーキ
 もうすぐクリスマスだし、ケーキを作ってみた。
 料理はそれなりにできるけど、実はお菓子を作るのはこれが初めて。
 母と一緒に私なりに格闘したけれど、八割以上は母が作ったといっても過言ではない。一割は参加しているんだから、これは十分に私の手作りケーキ。
 大変だったし、材料を計量するのも面倒だった。それでも、一生懸命に作ってみた。
 好きな人に食べてもらうために──。


 十二月二十四日の冬休み。
 私は部活もないけれど、わざわざ高校に来て、寒いなかグラウンドを眺めている。目の前に続く階段を下りれば、彼が走っているグラウンドへと行ける。
 ケーキを作ることができたから、少し浮ついていたのかもしれない。
 大きな緊張と少しの楽しみを抱え、学校まで来て、ようやく最大の盲点に気付いた。
 一体どうやって渡せばいいのか。
 部活のない私が「ついでに」なんておかしすぎる。作ったからどうぞ、ならば女友達で事足りる。
 告白は──心の準備ができていない。
 階段にかけた足をひっこめて、近くの柵を背もたれにしてしゃがみこんだ。そして、苦悩の唸り声をあげる。
「ばかだ。本気でどうしよう……」
 このまま帰るというのは、いろんな意味も含めてあまりにもったいない。
 しかも、お菓子なんて作ったことのない私が初めて作ったケーキ。これを彼に食べてもらわずして帰るなんてことはできない。
 でも……このままだと渡せない。
 頭の中で色々なパターンをシミュレートしてみる。
 消去法で選択肢がどんどん削られていく。
 そして、ついに答えが出た。
「……渡すしかない。告白はできる状態であればする」
 呟いて立ち上がった私は、階段へと体を向けて、
「わぁっ」
 と大きく後ずさった。
 目の前には私を見下ろす彼。
 彼の背からは、先ほどまでグラウンドで部活をしていた部員たちが続々と上がってきている。
「なに、してんだ?」
「なに、してんの? 部活は?」
「昼休み。弁当は体育館の中で食うんだよ」
 せっかく決心した私へ訪れる残酷なハプニング。頭が一気に真っ白になり、先ほどの決意が寒い風と共に吹き飛んでいった。
 ただ、この事態をチャンスだと思う心はどこかに残っていたらしく、考えるより先に私は彼の腕をつかんで、
「ちょ、ちょっとだけ時間貸してもらえるかな?」
 そのまま、人がほとんどいない校舎の中へ強引にひっぱっていく。
 先導しているのは私。
 彼は、なぜか無言で引っ張られるがままになっている。
 結局は私たちの教室まで来てしまった。そこで彼の手を解放した。
「お前って何か部に入ってたっけ? 俺の記憶では何も入ってなかったような……」
 背後にいた彼が私の前に回って、適当な席に座った。
 少し息を切らした私を、彼が見上げてくる。
「何も入ってない」
「よな? 先生に呼び出しでも受けた?」
「受けてない」
「……じゃ、何か俺に用? んで、さっきから持ってるその箱は何?」
 私はおもいきり深呼吸をした。
 彼の前でゆっくりと繰り返すこと数回。
 ケーキの箱を、彼の目線と同じ高さまで持ち上げる。
「これはケーキ」
「おお、びっくりした……」
 彼がおおげさに胸を撫で下ろす動作をする。
「な、なにが?」
「いきなり深呼吸すっから、何かすごいもんでも入ってるのかと思った」
「すごいもん、でもあるんだ、これ」
 私の言葉を受けて、彼がケーキの箱を凝視する。ケーキの箱と見下ろす私の間で、視線を往復させて、
「普通のケーキだろ? 罰ゲームみたいな味付けでもしてあんのか?」
 おそるおそるケーキの箱を彼の指がつついた。
「私が初めて作ったお菓子なの」
「なるほど。そりゃ、すげぇな……」
 納得したようにうなずいていた彼の目線が、私の背後のある一点で止まる。
 それから、いきなり平手で机をバンと叩くので、私は小さな悲鳴をあげてしまった。
「わりぃ……。そのケーキってさ、あれだろ? 今日って二十五日だったんだな。ということはクリスマスケーキだ。作ってわざわざ学校に来た、ということは誰かにあげるためか……」
 眉根を寄せた彼が呟き始める。
「俺んとこの先輩も何かもらってた人いたなぁ。サッカー部ってモテるヤツ多いっていうし。バスケ部ってこと……はないな。あいつらが部活すんのは体育館だし。で、誰に渡せばいいんだ? あぁ、気にすんな。今日はあれこれ頼まれて渡したから慣れてる」
 差し出された彼の手に、ケーキを渡した。
 彼の勝手な誤解により、あまりにもあっさりと本人の手に渡ってしまった。
「おし。んで、誰? 言ってくれりゃ今すぐにでも渡してきてやるから」
 今さら渡す相手が彼だとは言いにくい。しかも、彼は行く気満々で私の返事を待っている。
 申し訳なさと照れくささから、彼の顔を直視できずに私はうつむいてしまった。
 しばらくの沈黙の後、彼が、もしかして、と呟く。
「渡すのに失敗した? 理由があって渡せなかった、とか?」
 彼の心配そうな声音に、私はますます顔が上げられない。
 一言、否定するだけでいいけれど、それを言ってしまったら、渡す相手が彼だと言わなくてはならなくなる。
 相変わらずの沈黙。
 うつむいている私の視界に、おもむろに彼の顔が入り込む。
「……これ、一緒に食ってやろうか? 自分で食べるってのも空しいだろ?」
 彼の誤解が思わぬ展開を生んだ。
 私は無言のまま強くうなずく。
「よし、んじゃ、俺は弁当持ってくる」
 走って教室から出て行く彼の後ろ姿を見送って、私はその場にしゃがみこむ。
「……ラッキー、かなぁ?」
 誤解したのは彼であり、私は騙したわけではない。
 見事にケーキを渡すことはできたし、食べてもらえることにもなった。
 そこで気付く。
 告白する必要なんかない。
 湧き上がる考えに思わず首を振った。
 このケーキは確かに彼のために、食べてほしくて作った。そこはきちんと伝えたい。好き、も一緒に伝えられたら好都合。
「ん、よし」
 気合いと共に私が立ち上がった時、ちょうど彼が戻ってきた。
 お弁当を机に置いて、彼が座る。
 私も前の席の椅子を反転させて座った。
 開けられていくケーキの箱。
「うお、フォークまで入ってる。用意いいな」
 プラスチックのフォークを、彼が取り出し、次にケーキをゆっくりと箱から抜き出す。
 切ってあるケーキではなく、丸いケーキ。一人で食べるには少し大きいかもしれないけど、彼は運動部でもあるので少し奮発してみた。
「俺は箸、お前はフォーク」
 彼がお弁当箱から箸を取り出し、私の前にフォークを置いた。
「では、いただきます」
 まず、彼が箸を手に持って合掌する。
「いただきます」
 私も続けて合掌。
 ケーキを口に運ぶ彼を見守っていた。味見する暇もなかったから。
 一口食べた彼の表情に浮かんでくる満面の笑み。
「うっめぇ。これさ、全部、俺一人で食べていい?」
「どうぞ」
「んじゃ、俺の弁当どうぞ。母ちゃんが作ったやつだけど」
 私の前に寄せられる大きなお弁当箱。
 正直、私は食べることなどどうでもよくなっていた。
 こんなに喜んでもらえて、その笑顔を目の前で見られて、にやけるな、というほうが無理というもの。
 一生懸命に抑えていたけど、彼は私の顔に興味はないらしい。一心不乱という言葉が似合うほどにケーキを食べている。箸で。
 少しがっかりもしながら、私は彼のお弁当箱を開けた。
 ご飯が七割を占めている。さすがは運動部。質より量とはこのことだろう。
 彼の食欲に感化されたのか、私もなんだかんだでお弁当を全て食べた。ケーキと交換されるとは思っていないだろう彼の母に内心で謝りながら。
「うまかった。やべぇなぁ。手作りってうめぇ。俺、ハマってしまうかも」
 笑顔で手早く後片付けを始める彼。
 さすがに今度はにやけを止められない。
「よかった」
 そう言うことでにやける顔をごまかして、私も彼のお弁当箱を元通りに包んでいく。
 教室の隅にあるゴミ箱に、彼がケーキの箱を突っ込んで、ふいに真剣な表情で振り向いた。
「ケーキさ、本当に俺が食べてよかったのか? いや、食ってしまっておきながら今さらって感じなんだけど……相手に渡せるように協力するってテもあったな、とか」
 よくよく今日はチャンスの訪れる日だ。
 食べていいに決まっている、と言えば、それは告白へと繋がっていく。もちろん、こんな機会を逃すわけにはいかないし、彼の誤解もいい加減に解きたい。
「ちゃんと渡せたから大丈夫」
 直接言うのは恥ずかしい私が考えた精一杯の遠回し。
「あ、そりゃよかった」
 普通に返事が返ってきて、彼が普通に私に向かって歩いてくる。
 直接言わなければ気付いてもらえないのか、と私が次の言葉を喉まで上らせた時、彼が唐突に立ち止まった。
 急激に赤さを増していく彼の顔。
「うわっ! それって……わ、渡す相手って……」
 話すのさえも辛そうなほど、彼の顔が真っ赤。
 ゆっくりと彼が自分を指したので、私もうなずく。
 とたんに脱力するように彼がへたりこみ、手近な机に顔を伏せた。
「頼むからさ、早く言ってくれよなぁ。いきなりっつうのは勘弁してくれ〜」
 私も彼の隣にしゃがみこんだ。
 耳まで真っ赤にさせている彼の横顔を見る。
「……断られると思ったし、怖くて言えなかった」
 そう言って、じっと彼の返事を待つ。
 続く沈黙に申し訳なさが湧き上がってきて、私は小さい声で謝った。
 それでも、彼からの返事はない。
 告白の恥ずかしさの後に襲いくる不安。
 すると、顔を机につけたまま、ゆっくりと彼が私を見た。
「……断らねぇから」
「それって……」
「ん、そういうこと。……うわ、耐えらんねぇ」
 彼が再び顔を伏せた。
 直接言葉にされるのとは違うこそばゆい感覚と共に、私の頬が熱を帯びていく。
 ふいに彼の手が私の手を探し出し、やがて、大きくて冷たい手にゆっくりと捕らえられる。
 寒い教室なのに、外は風も吹いているというのに、全く寒さを感じない。
 相変わらず窓はときおり音をたてている。
 どちらからともなく、互いに手にかすかな力を込めた。

 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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