キライ
 私はあいつがキライ。
 小学校の時からいじめられてきたし、中学生になった今でも結局変わらなかった。
 あいつの言葉は基本的に無視。必要最低限のことしか話さない。
 それに、あいつは私の前の席で、委員会はいつも一緒。絶対いやがらせとしか思えない。
 今だって、ほら──。

「おい、プリント。ボーッとしてんなよな」
 顔を上げれば、あいつが数枚のプリントをばさばさと私の目の前で振っている。プリントの端が私の前髪を何度も揺らす。
(なんで、プリントは前から回すんだろ)
 考えてもしかたがないことまで考えてしまう。
「先生の話、聞いてたか? こことここは絶対書けってさ」
 プリントを押すように指すあいつの指。
(はいはい)
 返事をするのもうざったい。
 あいつの手からプリントをもぎとって、1枚を抜き取り後ろへと回す。
 回ってきたプリントは性教育のアンケート。
「異性の交際相手は欲しいですか?」、「交際した異性とはどういうことをしたいですか?」──そんな質問が50ほど並んでいる。ほとんどが選択形式なので、マルをつけるだけで済む。
 悩んでいる人もいるけど、私はこういうアンケートに頭を使うのが面倒なので、適当にマルをつけていった。
「彼氏欲しいのか……?」
 急いで両腕でアンケートをふさぐ。そして、顔を上げればもちろんあいつの顔。
 なんだか神妙な顔で、私の両腕がかぶさったプリントを見ている。
(プライバシーの侵害!)
 基本的に無視。なのに、あいつは嬉しそうに自分のプリントを私の机に置いた。
「ほら、俺も『欲しい』にマルつけてるだろ? やっぱ欲しいよなぁ、彼女とか」
 浮かれているあいつは放っておいて、私はその中に、あいつのプライバシーを見つけたので指してやった。
 もちろん無言で。

『異性の裸などが掲載されている雑誌、本などを所有していますか?』
『1.はい』にマル。

「ん?」あいつの目が私の指を辿る。「おわッ」即座にそこを手で覆い隠した。
「……も、お、こんくらいの男なら、だ、誰でも持ってるもんなんだ」
 あいつのうろたえたところを見たことがなかった私は、心の中に芽生えた何かにかきたてられるように、さらに今度は言葉を発した。
「異性の裸などに興味がありますか。おおいにある」
 真っ赤になっている顔を半分手で覆って、もう片方の手は弁解するように振られている。
「覗いてごめん。なっ、もう言うのなし、なっ?」
「ふ〜ん……」
「俺くらいの男子ならみんなこう答えるもんなんだって。きょ、興味ある、だろ? 女子だって」
「ない」
「……」
 驚いたあいつの顔。まだ顔の赤さは冷め切ってはいない。全ての動きが止まっていた。顔を覆っていた手が力なく下ろされる。
「?」
 そんなあいつの態度に今度は私が驚く番。
 試しに両腕をプリントから離してみたけど、あいつの目はそれを狙うことすらしない。
「どう……」
 したの? と続けようとした口は止まる。
「会話……会話してたよな? 俺たち今、会話してたよな?」
 あいつがおかしくなったのか。たかが、会話ごときに何を驚いてるんだろう、とも思う。
 とにかく返事をしてあげないといけないので、私は小さくうなずいた。
 すると、あいつの顔がみるみる歓喜の色に包まれていく。
 私は、ますますわけがわからない。
「嬉しい。ようやく喋ってくれたかぁ。長い道のりだったな。何があったか知らないけど、中学入った途端に無視の連続だったしなぁ」
 まだ──わけがわからない。
 でも──あいつが喜んでいる顔を見てるのは、なんだか嫌じゃなくなった。以前はにやついてるみたいで嫌だったのに。
「私のこと嫌ってたんだ、よね?」
 自分を指しながら恐る恐る聞いてみた。
 頓狂なあいつの顔と共に返ってきたのは、
「はぁぁ?」
 と、これまた間の抜けた言葉だった。
「前の席にしたり、委員会一緒にしたり、って私を苛めるため……」
「苛めてたっけ、俺?」
「小学校の時、いじめられてた」
 ん〜、と頭をかきむしるあいつ。
「あん時はいじめてたかもしれねぇけど、今はそういうんじゃなくて……っと、この先はまたいずれっつうことで、勘弁願います」
 ペコッと頭を下げたあいつの頭。今までじっと見ることなかった頭髪が目の前にある。
 たった、それだけのことなのに、私は照れくさくなって目を伏せてしまった。
「い、いいよ、もう」
 長い間苦しんできたくせに、私はそんな一言であいつを──彼を許してしまえるようになっていた。
「変かもしれねぇけど、また喋ってくれる?」
「う、うん」
「うっしゃ」
 小さくガッツポーズをした彼は、ごめんな、ともう一度謝ってから前を向いた。
 目には、彼の笑顔が残像のように焼きついていて、それが私をさらに惑わせていた。
 ただ、感じたことのない暖かな気持ちが芽吹き始めていた。

◇終◇
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