交換
 クリスマスだというのに、さらには受験生だというのに、学校へ行かなければならないのも大変だ、と母親に言われつつ私は家を出た。
 進路のことで先生に呼び出された、という理由の私の鞄には、可愛いラッピングをほどこされた袋が一つ入っているだけ。
 先生に呼び出されてなんかいない。私は一つの目的のために学校へ行くのだ。
 外は寒いけど、緊張のために手は汗ばんでいる。
 家を出て、三つ目の角を曲がれば高校が見える。あそこに私の愛しい人が勤めている。
 逃げたいような気持ちで悶々と歩いているうちに、気づけば校門前へと到着していた。よし、と小さく気合を入れて通い慣れた高校へと足を踏み入れる。
 いつものように下駄箱で靴をスリッパへ履き替え、職員室へと続く階段を上がり、不自然にならないように職員室のドアを開けた。
「失礼します」
 部活の時間帯なのか、職員室に先生は三人しかいない。その中の一人がこっちを向いて目を見開いた。
「お前、本当に来たのか……」
「おはようございます」
 戸惑いながらも先生は、後ろにいた男の先生へと声をかける。
「津田先生、ちょっと実験室を借りていいですかね?」
「午後までに終わるのでしたら、かまいません」
 職員室の奥の小部屋へと移動した先生は、一つの鍵を持って私のほうへと歩いてきた。
「便所行ってから行く」
 鍵を手渡された私は、自分のデスクへと戻ろうとする先生を呼び止める。
「先生、絶対に……来る?」
「……行く」
「わかりました」
 実験室の鍵を持って、私は職員室を出た。


 授業で来る時は広さの実感がなかった実験室だったけど、こうして一人で座っていると居心地が悪い。
 大きな黒板のすみに「メリークリスマス」と英語で書いてみた。その下に「先生、好き」と書いた瞬間、実験室のドアが開く。あわてて手でもみ消した。手がチョークの粉で白くなる。
 体育教師じゃないけど上下をジャージに包んだ先生は、寒そうに手をポケットに入れている。職員室はエアコンが入ってて暖かかったことを思い出す。
「約束した覚えはねぇぞ」
 笑うことなく、めんどくさそうな顔で先生は言った。私を突き放すような空気が流れている。
「うん。私がノリで言ったこと」
 黒板の前に立ったまま、私はうなずいた。
 冬休みが始まる前、私がいつものように先生のところへ行った時に「クリスマスにプレゼント交換しよう」と勝手に言っただけだ。先生からの返事はもらっていないから『約束』ではない。
 さらに言えば、私は先生の彼女でも何でもないので、先生を『約束』なんかで束縛する権利もない。
「約束してないんだけど……買っちゃったんだよね、プレゼント」
 肩にかけていた鞄を開けて、ラッピングされた袋を取り出す。
「受験生、勉強は?」
「ちゃんと、やってる。今日も帰ったらちゃんと勉強するから」
 勉強するから受け取って、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「俺にそんなもん渡しても成績上がらねぇぞ。男子が大勢いるだろうが。その辺に渡してやったほうが喜ぶ」
 袋を教師用の机に力強く置いた。先生へのプレゼントであるマグカップの入った箱がゴンと音をたてる。
「受け取らないなら、ここに置いて帰る」
 言った直後に、脅迫まがいの言い方をしてしまったことに気づく。
「うそ。受け取らなくても私が使う」
 先生と私の視線が、机上のプレゼントへ寄せられる。
 受け取ってもらえるだろう、という期待は半分ほど諦めた。私のことを何とも思ってない先生のことだ。わざわざプレゼントを買ったうえに、学校にまで来た私に呆れていることだろう。
「……やっぱり、いい」
 先にプレゼントへと手を伸ばしたのは私。無理やり受け取ってもらうために来たわけじゃない。鞄に戻そうと思った。
「ほら」先生がジャージからのそりと手を出した。「どうせ今年でラストだからな」
「ラストなの?」
「はあ? 卒業しねぇ気か?」
「する、けど……」
 私が卒業すれば、もう学校に来ることも、先生に会うこともない。わかっているけど、先生から言葉にされると辛い。
 プレゼントを先生に差し出す。
「……紙袋はねぇのか?」
「ない」
 小さく舌打ちして、先生は渋々といった感じでプレゼントを受け取った。
 さっきまで私の鞄に入っていたものが、今は先生の手に渡っている。くすぐったいような嬉しさがじわりと胸にこみあげてきた。
「受け取ってもらえないかと思った」
「まあ、生徒の機嫌はとっておくに限る」
 そう言いながらも、先生の手には私のプレゼントがある。
「機嫌がよくなりました」
「そりゃよかったな」
 先生はジャージのポケットから、神社の名前が印字された小さな紙袋を出し、机の上に置いた。
「なに?」
「生徒のご機嫌とり」
 紙袋をとって中を見ると、学業のお守りと健康のお守りが入っていた。
「俺も教師だからな。一応、生徒の合格は気にしてる」
「生徒みんなに渡してるの?」
「……さあな」
「ありがとう、先生」
「どういたしまして」
 改めて、お守りを二つ取り出し、指にひっかけて眺めてみる。お守りの向こうには先生が立っている。
 嬉しさよりも熱くこみあげるものがある。心を満たしたそれは無理やり私の喉から外へ出ようとする。抑えられない。
 二つのお守りを握り締めた。
「あの……先生、本当にごめんなさい」
 いきなり謝る私に先生がけげんな顔を見せる。
「そりゃ……何に対する謝罪だ?」
 先生が声を発するだけで胸が高鳴るほどに体が熱い。先生の全てに過敏になっている。
「私、先生のこと好きすぎて……どうしようって感じで……止められない」
「おいおい……」
 それだけを声に出し、先生の口は半開きのまま止まっている。私を見つめ、何かを言おうとしては次々と言葉を飲み込んでいく。
「めんどくせぇな」ぽつりと口に出し、先生はハッと私を見た。「いや、そうじゃなくて……」
 私にとってはそれだけで十分だった。あの一言に先生の思いの全てが詰まってる気がした。
「うん、ごめんなさい。忘れてくれていい。さっきのアレはなかったことにして」
 悲しい顔をしたら先生を困らせてしまうと思ったから、切り替えるように明るい笑顔を作った。
「めんどくせぇけど……そういう意味じゃねぇんだよ」
「断って私が登校拒否とかしたら面倒でしょ? でも、私は本当に大丈夫。意外と強いよ」
「ポロッと言っちまった俺も悪いが、つい出てしまったってやつで、あれが答えの全てじゃねぇ」
「先生がめんどくさがりだって知ってる。だから、ほら、なかったことにしていいし」
「本当に、なかったことにしていいんだな?」
 先生の目が脅しをかけるように静かに私をにらむ。
 『先生』じゃなくて『大人の男性』が目の前にいた。怖くて私も『生徒』から『子供』になってしまう。
「いいわけじゃないけど……」
「じゃあ、俺の話をおとなしく聞け」
「……はい」
 私のプレゼントを机上に置き、手近な椅子を引っ張って先生は腰をおろし、深いため息をついた。
 私も近くにあった椅子へ座る。座るだけで不思議と気持ちも落ち着いてくる。
「俺はご存知の通り、めんどくせぇことは嫌いだ。まどろっこしいことも嫌いだ。だから、はっきり言う」
「はい」
「生徒と付き合うってのは退職のリスクもあるし、その他にも色々とめんどくせぇことだらけだ。そんなもんに手を出す気はない」
「はい」
「お前がやるべきことは一つ。とにかく、受験に合格して無事に卒業しろ」
「はい」そう返事してから、ふと気づく。「……あれ?」
「なんだ?」
 お尻を浮かして、椅子を少しだけ先生に寄せて座りなおす。
「私が生徒だからダメ、なだけ?」
「それ以外に何がある?」
「もし、私が生徒じゃなくなった状態で先生に告白していたら?」
 先生が足を組みながら、くるりと体の向きを変えた。
「断る理由はねぇな」
「そ、それって」膝に手をついて、座ったまま身をのりだす。
「先生も私のこと……」
「卒業したら言ってやる」
「本当に?」
 先生が立ち上がり、私の前へ立ち、髪を指にすくいとる。
 私の髪が先生の指の上を流れ、肩へと落ちていった。
「俺も我慢するから合格しろよ、受験生」
「……はい」
 小さく頷いた私は、先生のジャージの裾を少しだけ指でつまんだ。


 ◇終◇
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