眼鏡の生徒会長
 生徒会長。
 私のような一般生徒にとっては、その肩書きだけで例えようのない威圧感がある。
 悪いことしていないのに、警官に見られるだけで萎縮する。そんな感じにも似ている。
 そう。それだけでも十分なのに、私の好きなあの人は眼鏡をかけているのだ。いや、眼鏡をかけている人なら学校中にいる。でも、眼鏡の彼は眼力が違う。めぢから、というやつが半端じゃない。
 眼鏡の奥にはそんな目があるのだから、あまり人は近寄らない。私もできれば近寄りたくない。同じ年、同じクラスでありながら。
 ただ、理屈と心は同じではない。怖いから近寄りたくないんだけど、近寄れて話せると嬉しくなってしまう。
 だから、私は今日も彼と話す。


「私の部の予算なんだけど……」
「……聞くだけならできるからどうぞ」
 生徒会より配布されたプリントを持って、異議を唱えるべく彼の机に言ったけど、わずか数秒であっさりとかわされてしまった。
 異議があるのは私ではなく、正確には私のクラブの会計担当。彼が怖いから、と生徒会長への直談判はいつも私に頼む。
 聞くだけなら、と言いながらも、彼は眼鏡を少し直しただけで、見ている他の部の予算書類からは目を離さない。
 ちなみに今は授業の合間の休み時間。そんな中でも彼は生徒会の仕事をする。放課後に生徒会の仕事に忙殺されるのは嫌なのだそうだ。
「聞くだけ? 聞いて……どうにかしてあげよう、なんて思わないわけ?」
 かがんで、机に向かっている彼の顔を覗き込む。
 ようやく書類から彼の目が離れた。
 ただ、大きく吐かれた息が、彼のかすかな不機嫌を物語っている気がするけど、この際そこは無視とする。
「予算に対して異論があるなら聞く。ただ、あんたは単なる部員。これが会計担当なら話を聞いてそれなりの対処も考える。それとも、あんたがこの部の会計担当になったのか?」
 不機嫌さを伴った彼の言葉の威力はすごい。いつもより早口で、噛むこともなく言い切られてしまった。
 言ってることが的確なだけに、へ理屈を並べることもできない。
「委任……。そう、委任されたの」
「会計に?」
「聞いてもいいわよ。うちの会計担当に」
「そんなに自信があるなら本当なんだろうな。じゃ、話を聞こう」
 彼が聞く気になった。
 部の予算についての異議を唱えられる上に、こんな形とはいえ、彼と話をすることもできる。
 思わず心の中でガッツポーズ。
 ただ、ここまでに割いた時間は予想以上に長かった。無情にも授業開始を告げるチャイムが鳴る。
「……話、明日にしよ」
 少しがっかりしながら自分の席に戻ろうとした私の腕を彼が引く。
「放課後、ここで聞く」
 一瞬の出来事。
 耳元で素早く伝えた彼は、もう私の腕を離し、普通に次の授業の準備に入っている。
 好きな人の囁き声を近くで聞く、という突然の衝撃を体験した私は、授業中、何度も頭の中でリピートする彼の声に悩まされることになった。


 頭が舞い上がっていたから、放課後、じっと机に座っていながら、何度も彼の様子を見た。
 彼が帰ってしまわないか。休み時間に聞いた言葉は実は私の空耳だったのか。
 不安と期待でどきどきしながら、私は彼が教室に残っていることを確認する。
「帰らねぇの?」
 彼の友達が、彼へと声をかける。
 帰られてしまうかもしれない。
 自然と、机の上のかばんをつかむ手に力がこもる。
 約束を破る人ではない、と信じているくせに、反面で、帰ってしまうかもしれない、と不安になっている。
「意外と大変なんだよ、生徒会長ってのは」
「そういうもん? 俺はわかんねぇからとりあえず帰るな」
「またな」
 ひらひらと手を振って彼の友達は教室を出て行った。
 全身から緊張が抜ける。
 やっぱり、と思いながら、信じられなかったことに内心で謝る。
 他の人には秘密。彼の友達にも秘密。
 二人きりの秘密。そこまで思って、私は嬉しくなった。にやけるから、かばんに顔を伏せる。
「ふふ……」
 少しだけ声も出てしまったけど、顔を伏せてるから気づかれない。
 ぽん、と肩を叩かれる。
「え?」
 顔を上げたけど、おそらくにやけてた顔はしっかりと戻っていない。
 驚く私の反応に、さらに驚いている彼は肩に手を置いたまま止まっている。
「……何のために残ってるんだ?」
「ご、ごめん。予算の話をするため、です」
「わかってるならいい」
 前の席の椅子を反対にして、私と向かい合う形で彼が座る。
 慌ててかばんをどけた私の机に、先ほど彼へと見せたプリントが広げられる。
「予算が少ない、って言うんだろうな……」
 取り出したシャーペンの先で、彼がプリントに書かれた項目を指す。
 顔は戻したけれど、内心でまだにやけていた私は、彼の真剣な言葉で気持ちを引き締める。
「そう。あと一万円……五千円だけでも上げてほしいんだけど」
「あんたの部の予算の使い道はわかった。けど、これ見てみろ」
 横に置いていたかばんから、彼が一枚のプリントに書かれた表を見せる。
「この部、かなりぎりぎりだろ? あんたのところよりも足りないくらい」
「私のとこも足りないわよ?」
「よし。例えば、こことここ……」
 隣によけていた先ほどのプリントの二ヵ所に彼が丸をつける。
「これは緊急で必要なものか? 今年中に絶対に買わないといけないものか?」
 丸のつけられた二つの項目としばらくにらめっこしてみる。
 答えを待つ彼がこっちを見ているような気がして、少しだけ緊張もする。
「うーん……いらないといえば……いらない、かな?」
「だろ? この二つの値段を……こっちに移すと……。この部はまだこれとこれが欲しい、と書いているわけだ」
「あ!」
 もう一つの部が欲しいと言っている物は、私の部が差し引いたお金で買える。
 私の部が出したピースは、ぴったりとその穴にあてはまった。
 私が納得して声を出したことを知った彼は、大きく息を吐いて眼鏡を外した。瞼を少しだけ指で押している。
「これで……納得しましたか?」
「異議を申し立てに来たんだけど……納得させられた」
 眼鏡のレンズを拭く彼の動きに合わせて、フレームが小さな音を立てる。
「俺らがしっかりバランス取ってるんだからな。納得してもらわないと困る」
 レンズを拭きながらも、彼のまばたきの回数は多い。何かと書類と向き合いすぎたのか。
「おつかれさまです」
 なんとなく、そんな言葉が出てきた。無意識に微笑んでしまっている。
「直談判に来た奴が何言ってるんだ。言葉はありがたく受け取っておく」
「気持ちもそう思ってるのに……」
 何も答えずに彼は眼鏡をかける。
 指で眼鏡の位置を合わせたらしい彼が、私の目をまっすぐに見てきた。
 告白だ。これは告白だ。
 乙女の勘が答えを勝手に出す。でも、あながち外れていないと思うのは、私のばかなうぬぼれのせいか。
「あんたの部の予算が足りない、と言うなら、俺のポケットマネーで買ってやる」
 告白の二文字は綺麗に崩れ落ちた。残るは拍子抜けした心だけ。
「それも生徒会長の仕事?」
「あんたの部、だから。……これで、納得はできない、だろうな」
 自嘲的な笑みを浮かべる彼。
 私の部だから生徒会長がポケットマネーで足りないものを買う。納得も理解もできない私はばかなのだろうか。
 生徒会長は言うことが違うな、などと見当違いなことを考えてしまっていた。
「わけが……わからない」
「あんたの部が……いや、あんたが困ってるなら、俺が助けてやりたい。そう、思っただけ、だ」
 ばかな私は遠まわしなやりとりがあまり得意ではない。
 疑問符が飛びまくっている私の頭。
 じれったくて、思わず聞いてしまった。
「好き、ってこと?」
 目の前の彼の驚いている顔を見て、私も少し頭が冷静になる。
「い、い、今のなし……。ごめん、なんか色々先走りしすぎた……」
 彼の顔がじわりと赤くなる。
 私も十分恥ずかしい。
「まあ……はずれ、ではないから、なかったことにすることもない、と俺は思う、けど」
「は、はい?」
「あんたのことが……だから、俺は予算の話も聞いた。違うやつだったら生徒会の会計に回す」
「生徒会長の仕事、じゃなかった、の?」
「そこまで優遇するわけがない。しかも、放課後を使ってまではやらない」
 なんだか彼の口調は誇らしげだ。
 ご丁寧な生徒会長の説明はわかりやすい。
「……私だから優遇?」
 自分を指した私に、彼がうなずいて肯定の意を示す。
「好き、というのも含めて」
 ここまで言われれば意味はわかる。意味はわかるけど、どう答えればいいのかとっさには思いつかない。
 小さく片手を挙げた。
「異議……なし」


 眼鏡の生徒会長。
 もう、何も怖くはない――。


 ◇終◇

【あとがき】
キリ番申告&リクエストくださった、さぁらさんに差し上げました。
リクエストの内容をそのままタイトルに使わせてもらいました。他に思いつかなかったもので(汗)
眼鏡がきちんと書けているか心配です。生徒会長、を書くのにいっぱいいっぱいで眼鏡まで気力が及ばなかったような気も……。
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