泣きやんだら
 クラブの先輩に理不尽なことで怒られ、悔しさのあまり部活を途中で抜け出した。
 教室に飛び込み、誰もいないことを確認して、こらえていたものを一気に緩めた。とたんにもれてくる嗚咽。手近にあった机に拳を何度も叩きつけ、悔しさをぶつける。
 廊下から急速に足音が近づき、私が涙を止める間もなく、教室のドアが開けられた。
「げっ……」
 入ってきた彼は、私の泣き顔を見て、隠すことなく、嫌そうな顔を浮かべる。
 優等生風で眼鏡をかけている彼とは、クラスメイトでありながらほとんど喋ったことはない。
 とんでもないやつに会ってしまった、と思っているのは私だけではないだろう。
 入り口で止まっていた彼は、後ろ手にドアを閉める。あいかわらず気まずそうな顔。
「あぁっと……俺におかまいなく。忘れ物取りに戻っただけだから」
 そう言って、一歩前に出た彼は、またぴたりと足を止めた。
「そこ……俺の席。何か叩くような音が聞こえたけど……机、叩いたりした? 俺、あんたに何かしたっけ?」
 あまりの驚きに、涙はすでに止まっている。自分が拳を叩きつけていた机を確認すると、そこは確かに彼の席。
 慌ててそこから離れる。
「これは違うの。何もされてないし、というか、されるほど喋ってないというのが正しいというか」
「だよな。俺も覚えが全くない」
 言いながら彼は机の中からノートを取り出す。ついでにポケットからハンカチを取り出して、私へ差し出してきた。
「面倒といえば面倒だけど……見ておいて何もしない、ってのは俺的に居心地悪いんで、必要ならどうぞ」
 彼の顔は優しい笑みを浮かべているし、ハンカチを差し出す気持ちも嬉しいけど、口は意外とはっきり物を言うらしい。
 ハンカチを渡す口実ともとれるけど、本音だという答えのほうが確率は高い。
 彼を見ながら、将来は営業スマイルを簡単にできてしまう人になるんだろうな、と思ってしまうのもしかたがない。
「ありがとう。でも、もう、出てないから……ごめん」
 気を悪くしないように、と言ったつもりだけど、彼は「あ、そう」と言っただけで、あっさりとハンカチを引っ込める。
 そのまま帰るのかと思いきや、彼はなんと椅子を引っ張って、席に座ってしまった。
「えっ……と、どうしたの?」
 呆れるようなため息をついた彼は、頬杖ついて私を見上げる。
「話せばすっきりするようなこと?」
「え?」
 疑問符いっぱいの私の表情を読み取ったのか、彼がさらに盛大なため息をつく。
「面倒そうだから立ち去ったほうがいい、とわかってはいるんだけどな。どうにも気になるし、それならスパッと片付けていこうと、こうして腰を据えてみたわけだ。ここで会ったのも何かの縁。話せる内容なら話せば?」
 腰を据えた、と急に言われても、私からすれば突然のことで頭がまわらない。
「話せって……でも……」
「無理なら俺は帰らせてもらう」
「あ、じゃ、聞いてもらおう、かな」
 立ったまま私は、ここで泣くに至った経緯を彼に話した。
 あいづちを打つだけで私の話を聞き終えた彼は、仕切り直しするかのように眼鏡の位置を修正した。
「矛盾してるな、その先輩」
「でしょ? そう思ってるのに直すのも、あっちの思惑にはまったみたいで嫌だし」
「簡単な解決法がある」
 名案を思いついたらしい彼の表情のせいか、眼鏡がきらりと輝いたように見えた。
 これに食いつかないわけがない。
「え、なに?」
「自分の信念を貫くのみ」
「もうちょっと、具体的に……」
「直さないほうが正しいと思ってるわけだろ? だからそのまま直さない」
「なるほど」
 眼鏡姿が一段と凛々しくて頼もしい。
「ただし、簡単な方法ながらリスクはでかい」
「どういうこと?」
「言うことを無視した、と先輩に思い切り嫌われる。俺はそれでもやるけどな。あんな言葉を聞くくらいなら嫌われたほうがいい」
 クラブという狭い世界ながら、その中で信念を貫く姿勢を見せると言い切った彼は、優等生らしい風貌も手伝って、とても頼もしく見えた。
 さっきまで悔し涙を流していた私は、内心で拍手の嵐。
「いっそ嫌いになって話しかけないでくれ、かまわないでくれ、ってな」
「思う、思う」
 彼が私以上に先輩に嫌悪感を抱いているような顔をするのがおかしくて、その言葉にも共感できて、私は強くうなずきながら笑ってしまった。
「俺は気が済んだし……帰る」
 一仕事終えたような言い方で、彼が立ち上がる。
 それがまた私にとっては突然だったので、何か気を悪くさせたのかと不安になる。
「何かまずいこと言った?」
「全然。俺の気がかりがなくなったから帰るだけ」
「気がかりって?」
「言うほどのことでもないけど。って別にあんたのせいじゃないから気にしなくていい。じゃ、また明日、と」
 答えを考える時間すら与えられず、彼の背中を見ながら必死に答えを探す。記憶をたどる。
「あっ……あ、ちょっと待って」
 教室の入り口付近にいた彼は、私の強い制止に足を止める。
 答えが浮かんだわけではないけど、彼に聞きたいことができた。
「話を聞いてもらう前にさ、気になるからって言ってなかった? 気になってたのって、私が泣いてた理由? それとも……」
 その後に続けようとした言葉が恥ずかしくてうまく口に出せない。
「それとも、私のこと、とか聞こうとしてた?」
 自分で言うのも恥ずかしいけど、彼に言われるのは恥ずかしいを通り越して、どうしていいのかわからなくなる。
「……聞こうとしてた」
 彼にかろうじて聞こえるであろう大きさで返事する。独り言を呟いてるようにも聞こえる。
 私はものすごく照れているというのに、彼の顔色は全く変わらない。呆れているわけでもないらしい。
「あんたの好きなように受け取ればいい。俺はその答えに異議は唱えないから」
 醜態は存分にさらしてしまっている。そして、選択権も私にゆだねられている。
 思う答えを言うだけ。
「うぬぼれ、に聞こえるかもしれないけど……私のことを気にしてた、で当たり?」
「当たりも何も……俺は異議を唱えないんだから、それで正解ってことだろ?」
 彼のあまりのあっさりした答え方に、私のほうこそ異議を唱えたくなる。
「私……告白したようなものなのに、そっちはそんなにあっさり答えるわけ?」
 怒った私に対して、彼が何か言おうとしていた口を閉じる。眼鏡ごと、片手で軽く顔を覆った。指の隙間から私のほうを睨むように見る。
「あっさり答えてる? どこが? こっちは必死に我慢してるってのに……。ふざけるなよ。俺はあんたのそんな顔が見たくて、面倒なことに首を突っ込んだわけじゃない」
「え、どういうこと?」
 彼の思わぬ言葉と態度で、恥ずかしさのピークから抜け出せた私は、ずいっと彼に近づく。
 何度か指の間から私を見ていた彼は、やがて呟くように口を開いた。
「泣きやんだらいつもみたいに笑うだろ、と思って……その役を俺が出来たら最高だな、とか……思ったら自然と座ってたんだ」
 あっさりとは対照的に、今度はきっちりと話してくれた彼だけど、私にはこちらのほうが刺激が強い。思わず自分の口に手をあてていた。
「本当、に?」
「俺は言うことは言った」
「泣きやんだから、顔、見てよ」
 おそるおそる顔から手をはずした彼に、出来る限り精一杯の笑顔を向けた。


 ◇終◇
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