ピント
 私は驚いた。
「あいつさ、あんたのこと、嫌いなんじゃない?」
 友達からいきなりそんなこと暴露されれば、ショックも受けるというもの。
 彼のことが好きだから、それを打ち明けようと思って彼女にそれとなく話題を振ったというのに、そう返されれば後が続けられない。
「何を根拠、に?」
「あんたのこと見る時だけ、すっごい睨んでない? 気づいてなかった、わけないよね?」
 彼と少ししか話したことのない私は、一方的なラブ光線を送るのに精一杯だ。彼の目を見る余裕なんてない。
「全然、気づかなかった」
「あれは睨んでるから、何もないなら近づかないほうがいいよ。やばそうだし」
 何もない、ということはないんです。私は彼が好きなんです。
 打ち明けるつもりだったけど、完全にタイミングを逃した。今言ったらよけいに驚かれるだけだろう。
 彼と話した数少ない記憶を辿ってみたけど、やはり睨まれた覚えはない。というか、彼の目は記憶の中でぼやけている。
 休み時間が終わり、席に戻ろうとした彼女は、
「今度さ、もし話すことあったら見てみなよ。ここに、しわ、寄せてるから」
 眉間を指しながら、そう言い残していった。
 授業中、彼をじっと観察してみた。
 でも、彼の視線に特に変化は見られない。普通に黒板を見て、ノートに写しているだけだ。
 やはり、彼の視界に私が入らなければいけないのだろうか。嫌われてるかも、と聞かされて今さらどんな顔して会えばいいのか。
 不安はあるけど、実際に見たわけではないし、確信をもつにはまだ早い。それに、こんなことで彼への好きが消えることもない。
 嫌われているなら、せめて理由くらい聞かせてもらわないと、諦めもつかないだろう。いや、諦めたくない。


 授業が終わった後、一人で本を読んでいる彼の机へ向かった。
 背後で友達が驚いている。そりゃ、そうだ。さっき、嫌われてると言った相手のもとへ私が向かったのだから。
 私が近くに来ても彼は顔を上げない。
「お、お邪魔します」
 読書の邪魔をするのだから、たとえ変であろうとこの挨拶は欠かせない。
「ああ。……なに?」
 指で読んでいるページをキープして、彼が文庫本を閉じる。
 相手を私だと認めたらしい瞬間、彼の眉間にぐぐっと皺が寄った。眼鏡の向こうにある目が、じっと私を睨んでいる。
 本当だったのか、と弱気が襲ってきたけど、読書のお邪魔をした以上、用件は伝えなければならない。
「放課後なんだけど、クラブ活動、ある?」
 だめだ。緊張で言葉がぶつぶつと途切れてしまっている。
「何もないけど? うちの部は月・水・金だから」
「そう、なんだ。何部、だったっけ?」
「パソコン部。他人の所属部なんて知らなくて当然だろうね」
 パソコン部所属だということを実は知っているけど、弱気の波がなかなか本題を切り出させてくれない。
 でも、睨んでいるわりに、彼はきちんと質問に答えてくれている。私なら、嫌いな相手とはなるべく話したくないから、もっと突き放した言い方になるはず。
「私は放送部。放送関係の機械だったらけっこう得意なんだけど、やっぱりパソコンには詳しいの?」
 彼の目に恐れながらも、私は内心で頭を抱える。
 さらなる脱線の道を歩み始めている。どこかで軌道修正する、という無駄な動作を増やしてしまった。
「まあ、それなりに」
 眼鏡の位置を修正しながら、彼が答えた。
 次の話題がない。今がチャンス。
「放課後、話があるんだけど……教室だと、人がいるし、どこかあればいいな、なんて思ったり」
 彼に場所の提案を頼んで、私はどうするつもりなのだろうか。
「パソコン教室なら開けられる。部活ないけど、部員は基本的にいつでも使えるから」
 実は教室でもしかたないと思っていたけど、言ってみるものだ。彼から思わぬ案をいただくことができた。
「じゃあ、放課後、開けてもらっていい?」
「先に行って開けておく」
「ごめん。えっと、じゃあ、放課後」
 彼には終始睨まれていたけど、とりあえず話はまとまったからよしとしよう。
 逃げ出したかったけど、普通に私は自分の席へ戻る。
 授業開始のチャイムが鳴ったので、友達への報告は後にすることにした。


 放課後、友達の質問責めに素早く答え、私はパソコン教室の前に来た。
 教室の窓から見える明かりは、彼がもう着いていることを知らせている。
 早く入ればいい、と思う反面、無意識にこうして立ち止まってしまっている自分に驚いていた。
 スライドドアに手をかけたものの、開ければ彼と対面する、と思うとなかなか動かせない。右に滑らすだけでいいし、なんら力はいらないというのに。
 ドアの窓が影に覆われた。
「何してんの?」
 彼が中から開け、少し上から私を見下ろしている。睨んではいない。
「なんとなく入りにくくて」
「授業で使ってるだろ?」
「ああ、まあ、そうなんだけど……」
「入れば?」
「どうも」
 彼に続いて、入り口で上履きのサンダルを脱いで入る。
 パソコン教室は床にカーペットが敷かれているから、上履きの汚れさえもあげてはいけない。
 彼が適当な椅子に座り、私も向かい側に座る。
 空調の稼動音だけが教室に響く。外から小さな声が聞こえるだけで、私たちはじっと座ったままだ。
「ここ、涼しいね」
「パソコンは温度に敏感だから」
「お父さんの部屋にあるパソコンは、夏でもめったにクーラーつけてもらってないかな」
「あまり、よくないね」
「今度、お父さんに言っとく」
 調子よく会話したつもりだけど、私の言葉を最後にぷつりと切れてしまった。
 また、沈黙。
「話、あったんじゃないの?」
 今度は彼から話しかけてきた。
「あ……うん、話、ある」
 話をするのに精一杯で彼の目を見ていなかった私は、答えながらそれを視界にはっきりと入れた。
 やはり、睨んでいるとしか思えないほど、鋭い視線が私に向けられている。
「いっつも睨んでる、よね?」
 話のきっかけを作るのに精一杯だったけど、ショックに押されたのか、無意識に口から出ていた。
「俺が? 誰を?」
 眉間から皺が一瞬だけなくなる。彼が驚いて目を開いたからだ。
「私を。今も、そう。私だけ、らしいね、そういう目するの」
 睨んでいて目が疲れたのか、彼がしきりにまばたきする。
「ああ、これは……」
「私のこと、嫌ってるの? なら、はっきり言ってほしい。睨まれても、わからないし」
 私が遮った続きを言おうとしていた彼の口が、開けられたまま固まる。
 言いたいことを言い切った私は、じっと彼の反応を待つ。八割以上の確率で彼を怒らせるだろう。嫌っている理由をまくしたてられるのだろう。
 まず、彼が眼鏡を外した。次に眉間を指で揉む。そして、最後に、怒りとも呆れともとれないため息を吐いた。眼鏡を持った手は膝の上に置かれていて、うつむいた彼の視線はそこへ向けられている。
「まず……」
 自分の両手を握り合わせて、私は何でも聞く覚悟の力を込める。
「別に、あんたのことは嫌っていない」
 不安が半分なくなったので、無意識に安堵の息がもれた。
「誤解、だったんだ」
「次に、睨んでる、ということだけど」
 そこでまた彼は言葉を切る。
 握り合わせた両手は、完全に安心してないからまだ解けない。
「レンズの度が合わなくなってきていたから、目をこらさないと見えなかった。それだけ」
 全身から力が抜ける。吐息となって口から出てきた。
「ごめん。誤解したうえに、なんだかケンカ売っちゃったね」
 誤解とわかって嬉しかった。嫌われていては告白どころではない。
 にやける私とは対照的に、彼はまだ表情を崩していない。持っていた眼鏡をかけた彼が続ける。
「最後に……あんただけ睨んでる、と言ったこと」
 何か覚悟を決めたらしい目が、突然、私に向けられた。
 私も顔を引き締め、聞く姿勢ができたことを目で伝える。
 でも、彼は先に目をそらし、眼鏡に少しかかりそうな前髪をいじり始めた。
「ピントが合わないんだ、けど、あんたの顔ははっきり見たいと、思った。まあ、それだけ……」
 嫌いだと言われなくて安心した私に、別の緊張がはしる。その逆だ、と受け取れるようなことまで言われるとは思わなかった。
「他の人の顔はぼやけてる?」
「目をこらさないと、そうなる」
 さっきまでは普通だったはずの彼の耳たぶが、今は真っ赤になっている。
 それを見た私の頬もじわじわと熱を持ち出す。
「私の顔は見たかった、ってことは……」
 前髪を触っていた手が止まり、彼がこちらをじろりと見る。その頬もすでに赤い。
「あんたさ、わかってるんだろ? 俺に言わせようと、してんの?」
「言ってくれたら……嬉しい、かな」
 もう、限界。私はおさえてきた頬の筋肉を緩めた。にやけて変な顔していたとしても、もう、どうでもいい。嬉しいものは嬉しいのだから。
 彼が深呼吸を繰り返している。やがて、しっかりと私の目を見つめてきた。その頬はあいかわらず、赤い。
「俺は、あんたが……」
 言いかけた口が止まり、彼が手をぶらぶらと振る。
「……無理。話あるって聞いただけで、こっちはずっと緊張してたのに」
「私も緊張してたし。なのに、そっちがドア開けるから」
「あんなとこでじっとされたら、俺のこと、と期待がふくらむ」
「私は好きなのに嫌われてるかも、とかいろいろと考えたら、入れないよ、普通は」
 言ってから、私は全身が固まった。
 彼も同じく固まったけど、口元だけがにやりと微笑んだ。
「好きなのに、ね」
 彼に言ってもらう予定だったのに、自分から言ってしまった。
「言ってもらいたかった……」
 私の呟きを聞いた瞬間、彼が、
「あんたは、嫌われてるかも、と緊張して」
 笑いながら私を指す。
 私もつられるように彼を指す。
「好きなのか、って緊張してたんだ」
「あんたの誤解なのに」
「そっちは本当なのに」
 真似て返した私は、彼と一緒に笑った。


 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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