「―徹也がこう言ったときの、徹也と良一の気持ちを、第2段落の会話文から…」
午後の教室。
気だるい空気の中で、生徒たちは、忍び寄る睡魔の誘惑と迫り来る受験への焦燥とを天秤にかけている。
教卓の蔭、立てた教科書、クラスメートの背中、本人たちは完全に隠れているつもりなのだけれど、この一段高い場所からは細大漏らさず様子を知ることができる。
バレていないのではない。見過ごされているだけだ。彼らが思っているより、大人は寛大な存在なのだ。
であるから、彼(と彼女)のその『作業』についても、かなり以前から気付いてはいた。
もう一月にもなるだろうか。
男子生徒の右手に握られたシャープペンシルの先から、鈍い光がきれいな放物線を描く。
1センチメートルあるかないかくらいの折れた芯だが、野鳥観察で鍛えたこの動体視力を甘く見てもらっては困る。初の給料で買った39800円の眼鏡は伊達ではない。
放物運動は開いたノートに妨げられ、束の間の輝きは失われた。
一瞬の硬直から解き放たれた彼女は、ゆっくりと自分の『作業』を始める。ペンケースから細長いプラスチックケースを取り出し、折れた芯を慎重に移すのだ。
…これら一連の作業に、どんな意味があるのか、私には分からない。
二人とも問題のある生徒では決してなく、「普通の」(一般的に、最高の、という意味で用いられる)生徒のようだ。
…いや、まあ、理解はできなくとも、推測することはできる。似たようなことは自らも経験のあることだ。
意中の人の興味を惹くために、その人を傷つけることすら厭わない。傲慢で自己中心的、無遠慮な自己陶酔。…今思えば、なんと愚かで切ない行為だったのだろう。
この場にかつての自分がいたら、今すぐに生徒指導室に連れ込んで、何故あんなことをしたのか2時間半問い詰めたいところだ。
そう、何故、だろう?
…きっと、あの頃は、自分にしか通用しない理屈、法則のようなものが確かに在って、それに何の疑いも無く従って生きていたのだろう。それらは、成長するにつれ「常識」に置き換わっていって、最後にはそんなものがあったことすら忘れてしまう。
現在、自分がその過程にあると思うと、ひどく恐ろしい。
自分のため、恐怖を克服するため、私は彼らの姿から決して目をそらさない。
クラスの半分以上は、睡魔との戦いに屈したようだ。
睡魔を寄せ付けもしない2人もいるが、こちらは授業どころではないらしい。
…さて、少し早いが、終わるとしようか。
「はい、授業のはじめに配った『受験必出マル秘漢字プリント』、木曜提出で遅れても午後5時までなら受け取りますから。ちゃんとやってくるよーに。じゃあ、今日はここまで!」
ケースに収められた鈍色の結晶が、ふとしたきっかけで永遠の輝きを得ることを祈って
◇終◇