レンタルビデオ
 レンタルビデオ店のロゴ入り袋を手に、私は彼の部屋のインターホンを押した。
 面倒くさげに出てきた彼に、袋から取り出したDVDを見せる。
「借りてきたんだ。一緒に観ない?」
「はあ? 来ていきなり言うことがそれか?」
「んじゃ、入れて」
「勝手に入れ」
 私を放って彼は部屋の中へ入っていく。私は小さく、お邪魔しますと呟いて靴を脱ぐ。
 カーペットの上に置かれている小さなテーブルの上には、缶ビールとおつまみの晩酌セットが広げられ、彼が座っていたであろう場所に無造作に放り出された雑誌。
「……お邪魔、した?」
「見りゃわかるだろ」
 彼の表情をうかがってみる。うっとうしそうな視線ではないので、私は改めてDVDを見せた。
「一緒に観ない?」
 DVDを私の手から奪った彼は、ディスクに書かれたタイトルを見ているようだ。
「これ、観た」
 そう言って、彼は、興味なさそうに私に差し出す。
「一緒に観にいったっけ?」
「お前じゃなくて……」
 そこで、彼が言い辛そうに口ごもるので、私の頭にいろいろな単語が浮かぶ。言いづらい相手、といえば……。
「元彼女?」
「いや、俺の友人」
 口ごもったくせに、意外と彼はあっさり言った。
「……まぎらわしい言葉の止め方しないでよ」
「お前とは行ってない、と言い辛くて、な」
「……誤解を生まない言い方を選択してよ」
「元彼女、だなんてどっから出てきたんだか」
「言い辛い単語じゃない?」
「そりゃ、そうだろ」
「私の誤解もうなずけない?」
「信用ないってことがわかったな」
 身長差を活かした上目づかいで、彼を見上げる。とっておきの声を出してあげる。
「信じてる」
「はいはい」
 適当に私をあしらい、彼は座って晩酌の続きに入ってしまった。
 置いてきぼりの私は立ったまま、座ってしまった彼を見下ろす。
「観ないの?」
「かまわず観てくれ」
「一緒に観ないの?」
「一緒に観ても、一人で観ても変わらんだろ。俺はここにいるから一人ってわけでもない」
 彼の視線は、膝の上で広げられた雑誌へと向いてしまっている。
 これ以上ねばっても仕方がない、と悟った私は諦めてその場に座り、よつんばいでプレーヤーへとDVDを挿入した。
 テーブルを挟んで彼の向かい側へ、背を向けて座る。二人でテレビに向かっているけど、彼は雑誌へと視線をおとしている。
 とっておきの純愛もの映画。上映期間は、恋人たちにお薦め、と話題になっていた。
 そこで私はさっきの彼の言葉を思い出す。男友達と二人でこの映画を見るのはあまりにもおかしい。光景を想像すれば、信じられなくなってきた。
 リモコンの一時停止ボタンを押し、私は振り返る。
「友達って男? 女?」
「男。確認するなら勝手にやれ」
 おつまみにしているサラミを口に入れた彼は簡潔に答え、自分の携帯電話を私の前に置いた。
 置き方が少し乱暴にも感じたので、私はゆっくりと彼のほうへ携帯電話を押しやる。
「疑ってごめん」
「男と二人で観にいく映画じゃないから、お前の誤解もうなずける。俺は気にしないから、お前も気にするな」
 私が押しやった携帯電話を、彼がベッドの上へと放り投げる。
「続き、観ます」
 一時停止ボタンをもう一度押す。さまざまな映画の予告編が終わり、映画本編が始まった。
 映画が始まって三十分ほど経った頃、足元に柿ピーの小袋が置かれ、さらにコーヒーの入ったマグカップが置かれた。
 お礼を言おうと思ったけど、彼は何も言わずに私の背後へと座る。
 辛い柿ピーとコーヒーの苦味は、なんとも言えない味を生み出し、映画を見ながらも手の動きは止まることがない。
 柿ピーがなくなり、マグカップを両手に持って、私は映画をじっと観ていた。
 しばらくは残っていたコーヒーを口に運ぶことができたけど、泣けるシーンへ突入したので、マグカップをゆっくりと足元へ置く。
 なんとなく気恥ずかしいので、じっと涙を我慢していたけど、とうとう頬へひとすじ流れてしまった。
 映画を視界に入れながらも、バッグに入っているであろうハンカチを探す。
 底のほうには入れていないはずなのに、こんな時に限ってハンカチが出てきてくれない。ここで一時停止するのはムード台無しなので、ハンカチ探しを諦め、手でぬぐうことにした。
 でも、出てくる許可をいただいた涙は、全く止まる様子を見せない。次から次へとあふれてくる。
 それでも、半分はなんとか手で拭きながら、私は相変わらず映画に見入っていた。
 大きなため息が背後から聞こえ、足元に箱ティッシュがどかんと置かれた。
 それを置いたのが誰か確認するまでもない。
 感動しているところへ、さらに、彼の優しさを感じた私の涙はますます止まることを知らない。
 ティッシュ数枚で頬に堤防を作り、私は存分に感動を味わうことにした。
 エンディングテーマが流れている間も、じっと画面を見つめて泣き続ける。背後の彼の存在はほぼ無いに等しい。
 エンディングも終わったところで、私は停止ボタンを押す。砂嵐を映すテレビを消した。
 感動した気持ちを落ち着かせるため、大きく何度か深呼吸してから、目尻に残る涙を拭いて、DVDをケースに戻す。
 一連の作業を終え、ようやく我に返った私は、彼への第一声をどうするべきか苦悩し始める。泣き続けた後の目の状態も気になる。
「……目」
 背後からいきなり聞こえる声に、私の肩がびくりと震える。
「目、洗ってきたらどうだ?」
「う、うん。洗面所借りる」
 彼のほうを見ずに、私は急いで洗面所へ向かった。
 目を洗って戻ると、晩酌セットも、マグカップも全て片付けられていた。
 座っている彼の手が、私も座るように薦めているように見えたので、私はへたりこむように正面へと座った。
「感想でも、映画を先に見た俺への文句でも、何でも言いたいことあったら聞くから」
 急かすわけでもない彼の目が、じっと私を見つめている。いつまででも待つぞ、と言っているようにも見える。
 私の頭には、まだ感動の余韻が広がっていて、少しぼーっとしていた。
「……すっごく感動した」
「あれだけ泣いたら……まあ、それはわかる」
「映画じゃなくて」
「映画じゃない?」
「途中のコーヒーとか柿ピーとか……」
 私がそこまで言ったところで、苦笑いを浮かべる彼。
「あの組み合わせはどうかと思ったんだがな。あれくらいしかなかったんだ。……うまかった、か?」
「うまかった」
「はっ……酒だけじゃなく、コーヒーにも合うのか」
 おかしそうに彼が笑っている。
「そこに感動したの」
 笑っていた彼がいきなり真顔になる。
「うまかったところに感動? そこまで単純なやつなのか?」
「じゃなくて。コーヒー持ってきてくれたり、途中でティッシュ持ってきてくれたり。観ないって言ったのに、こっちを気にかけてくれてるんだ、とか思ったら……」
「だから、映画は観てないだろ?」
「……ってことは」
 いきなり彼が、よけていた雑誌を引き寄せ、適当なページを開く。
「お前を見てた。……酔っ払いの戯言終了」
「酔ってるの?」
「そうでなきゃ、言わないだろうな」
 照れてるかどうかはわからないけど、彼があまりに淡々と言うので、私のほうが恥ずかしくなってきて、
「もう一回、目洗ってくる」
 ごまかすように洗面所へと逃げた。


 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
感想などありましたら[感想送信フォーム(別窓)]から聞かせてください。
今後の創作の励みにさせていただきます。
← 短編メニューへ
← HOME