私が通う高校の校門の二百メートル手前、なだらかより少しきつい坂。そこから自転車の猛ダッシュが始まる。
(来た!)
校門手前の角から、彼が自転車に乗ってやってくる。
のんびりこいでいた私は、急遽、ペダルをこぐ足に力を入れる。
(今日こそ、隣りに!)
軽快に私を抜かそうとする彼の隣りをキープしたいがために、私は必死にペダルをこいでいる。
この二百メートルの坂が、それまでにある程度の体力を使ってしまった者には、なかなか曲者。
私はいつも校門直前でダウンする。校門前は坂の角度が上がっていて、ほとんどの生徒はここで自転車を降りる。
だが、彼は絶対に降りない。
そこが男らしいといえば、男らしいのだが、ついて走りたい私には憎らしくさえ思える。
この、おかしなことを考え付いて、もう2年。だいぶ足も鍛えられてきた。
(ふんっ……はっ……。あ、だめ、ダウン……)
遠ざかる彼の後ろ姿に、心の中で敗北の言葉を投げつける。
またも、彼の勝ち。
なぜ、こんなことを延々と2年もしているのか。しかも、彼は全く知らないのに。
高校の普通科のクラス数は9。思う人と同じクラスになるのに、3年間、3回のクラス替えはあまりに少ない。
この2年間、私は彼と同じクラスになったことがない。
1年生の時、彼は、私の教室前で友達を待っていた。
一度、彼に、友達を呼んでほしい、と頼まれた程度。
それだけ。
好き、というより気になる。気になるから、話してみたい。話してみたいというより、話しかけて欲しい。話しかけてもらうには、覚えてもらわないと。
朝の通学時間と手段が同じだということに気づいた私は、なぜか自転車で隣りに並ぶという、アホなことを考えた。
目標に向かうことに楽しさを覚えた私は、それ以来、ずっと勝手な競争を試みているのだ。
こんな、おかしなことをしているのに目立たないのは、通学ラッシュの時間だから。始業のチャイムが鳴る十分前。ぎりぎりまで寝ているタイプの生徒が、この時間に集中する。
(今日も負け。鍛えられてると思うんだけどなぁ、足腰)
自転車を押しながら、自分の太腿を叩く。
本人の期待に反して、そこは柔らかく、押した指を取り込んでいく。
(まだ、ダメか……)
私は苦笑を浮かべて、校内の駐輪場へ自転車をとめた。
結局、一度も彼と並んで走ることなく、夏休みを迎えてしまった。
成績が貧弱だった私は、夏休みの猛暑の中、補習へと通うことになった。
(あつぅい……)
何の楽しみもない自転車は、ゆったりとした音を立てて、のんびりと走っている。
私の、こぐ足取りもかなり重い。
──チリンッ、リンッ
いつもの坂には私一人しか走っていない。
(うっとうしいな、もうっ)
──リンッ、リンッ、リンッ
「もぉ……」
何ですか? と言うつもりで振り向いた私は、うっす、と片手をあげて自転車をこいでいる彼の姿に驚いた。
「お先……」
それだけ言って、彼はいつものように私の横を通り抜けようとした。
今日はゆったりこいでいた私である。体力もある。
私はペダルに力をこめた。
「おっ?」
彼は並走する私に驚いている。
少し前に出た彼の自転車。
それを追う私の自転車。
私の息は上がっていくが、心はどんどん弾んできている。
全然、しんどくならない。それどころか、顔にあたる風を味わう余裕さえある。
私はいつの間にか笑顔になっていた。楽しい。
いつもの校門前の急な坂。
(登りきってやる)
私はペダルの足に、一層の力を入れた。
自転車に乗ったまま登るのは、実は初めてである。
彼も、私に不敵な笑いを見せて、よっ、と体を前に傾けた。
(登りきったら……)
彼がいつも見ている景色が見える。
彼の気持ちがわかるかもしれない。
彼に気持ちを伝える勇気も出るかもしれない。
そうこう考えているうちに、足へかかっていた重みが無くなった。
「お疲れ」
彼が、ハンドルにもたれて息を切らしながら、私に笑顔で言ってくれた。
「やった」
言葉に迷った挙句、それだけをようやく言った。
彼にVサインを向ける。
「登れてよかった?」
上気していた私は思わず言う。
「一緒に登れてよかった。嬉しい」
彼が真顔で私を見ている。
汗が浮かぶ彼の顔が、わずかに赤くなってきている。
私も、息切れが続いているのか、心臓の鼓動が体に響いている。
「俺も……」
それだけ言って、彼は駐輪場へ走っていく。
しばらく止まっていた私は、あわてて彼の後を追いかけた。
坂を登って手に入れたもの。
彼の笑顔と気持ち。
知ったもの。
達成感と新たなドキドキ。
◇終◇
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