背くらべ
 私は好きな彼に『でか女』と呼ばれている。
 身長は168cm。
 自分ではそれほど大きいとは思っていない。周りにいる友達に比べれば少し大きいくらい。『でか女』と呼ばれるほどには高くない、と思っている。


「よし、きっちり背中つけろよ」
 やたらと気合の入った彼が、私の背中にぴったりと背をつけてくる。
 彼の身長は165cm。
 とりあえず、幼馴染である私の身長は越えておかないと、満足に男になれないらしい。
 中学一年から約一年間、不定期に続けられている背くらべ。
 最初は、身長が高いことへの優越感のほうが勝っていたので、ぴたりとつけられた彼の背中にそれほど意識は向かなかった。
 だけど、中学生の男子はとにかく成長する。女子も成長はするけど、男子の成長は本当にめざましいものがある。
 しだいにたくましくなっていく彼の背中を意識していくうちに、いつの間に彼自身を好きになっていた。
「あ、あんまりくっつかないでよ」
 少しだけ密接する背中に空間を作るけど、即座に彼によって埋められた。
「くっつかないとちゃんと比べられねえだろ。……よし、どっちが勝ってる?」
 私と彼の背くらべに付き合っているいつものメンバー数人に向かって、彼が意見を求めると、全員が私のほうを指した。
 彼は納得できないだろうけど、とにかく勝敗は決まった。
「はい、解散、解散」
 そう言って、背中が熱くなる前に彼から離れる。
「納得いかねえな。この方法だと見た感じでしかわかんねえんだよ。はっきりと負けって決まったわけじゃないしさ」
 目線はほとんど変わらない彼が、私の全身を眺めて呟く。
 いつもなら、なんだかんだで解散に応じるのに、今回は不満が消えないらしい。
「でも、この方法が一番手っ取り早いじゃない。だから、ずっと続けてるんでしょ?」
 ちなみに、私はこの方法は嫌いではない。好き、なんていうのもおかしいけれど、好きな人を背中に感じられる機会はそう何度もあるものではない。
 うっとうしかったはずの背くらべは、彼を好きだと自覚したとたんに、私の中で楽しみな公礼行事となっていた。
「おっ、俺って頭いい」
 何かをひらめいたのか、彼の目が輝きだす。
「月に一回、保健室で身長計ってるじゃねえか。器具はそのままだから、あそこに行けばいつでも測れるだろ?」
 背くらべを続けるうちに、私は自分の気持ちに気づいたけど、彼も知恵をつけていたらしい。
「あ、まあ、そうだけど……」
 はっきりと数値に出てくるのだから、彼としては納得のいく結果が得られるだろう。
 だけど、私にとっては簡単に納得できる方法でもない。かといって、別の方法を思いつきもしない。
 私があいまいにうなずいたのを受けて、彼は嬉しそうに続ける。
「あ、お前、はっきり数字になったら俺に負けると思って焦ってんだろ。あんまり乗り気じゃねえもんな。だが安心しろ。俺がしっかり追い越してやるからよ。待ってろ、でか女。今日の放課後、測りに行こうぜ」
 私はまだ納得いかない顔をしているというのに、彼は、へへへ、と笑いながら自分の席に戻っていった。


 ついにきた放課後。
 保健室の先生に笑われながらも、私たちは二人で事情を説明し、身長を測らせてもらうことになった。
 だけど、先生が部活中の生徒に呼ばれ、私たちは保健室で二人きりになってしまった。
「どっちから測る?」
 やる気満々だった彼が先導するのかと思いきや、ぽかんと立ったままだったので、私は身長計を指して聞いてみる。
「お……俺から測る」
「ん。じゃ、私は数字見る。嘘ついたりはしないから」
「頼む」
 上履きになってるサンダルを脱いで、彼が身長計に乗る。
 彼が背筋を伸ばしたのを見て、測ろうとしたとたんに、彼のことを好きな私を思い出した。
 保健室に入ってきてから、背くらべができなくなることに落ち込んでいたけど、今こうして目の前に彼がいて、私たちは二人きり。
 そう思ったら、彼に手を近づけることさえできなくなった。
「おい、ちゃんと測れよ。……おい?」
「わ……私、私が先に測るからっ」
 私の勢いに押されるように、彼が台の上から下りる。
 すぐさま私は台の上に乗り、すれ違うように彼が後ろへ回る。
 背筋を伸ばし、意識が全て背中にいってしまわないように、両手でスカートを握る。どこかでふんばらないと、足が震えてしまいそうだった。
 頭の上に軽く身長を測るためのものがあたる。次いで彼の声。
「ひゃく……ろくじゅ……ああ、やべえ……」
 私が背中に意識を集中させてしまったせいではない。
 恥ずかしくなったわけでもない。
 いきなり、背中全体が熱くなった。
 いや、私の背中が別の熱に包まれた。
 スカートを握っていた手に、彼の手がかぶせられた時、身長計ごしに彼に抱きつかれたのだ、と気づく。
 突然すぎて、嬉しすぎて動けない。動けば、彼の手が離れてしまいそうで、私はじっと彼の熱を受け入れていた。
「俺……やばい。なんか今、マジでやばい」
 ゆっくりと背中から熱が離れていく。
「……私もちょっとだけ……やばいかもしれない」
 離れていくぬくもりに急いですがりつきたくなっている。
 何かをこらえるような彼の声に誘われて、私は台の上に乗ったまま、後ろを向いた。
 久しぶりに二人で向き合ったような錯覚にとらわれる。離れたのは先ほどなのに、懐かしささえこみ上げそうになる。
 変わり始めた彼の雰囲気に、私も飲み込まれた。
「……好き、だったの気づいてた?」
 空気に酔うように呟いてみれば、彼の目が驚きに見開かれている。
「なんだ、それ……。今さらそれを言うか?」
 彼の口調に、先ほどの彼の反応は驚きではなく、かすかにショックを受けたのだと知る。
「お、おかしいこと言ってない、と思うんだけど……」
 彼の言っている意味がわからず、確かめるように呟く。
「俺の身長が伸びてるとしても、だ。まだ、お前と同じくらいだろ。なのに、そんな好きって……ありえねえよ」
「ありえなくない。私がこの口から言ってるんだから」
「自分より5センチ高い男がいい。低いのはありえないって言ってた」
 彼は、まだわかっていないのか、と言わんばかりに拗ねた顔を見せた。
「私が? お、覚えてない……や」
「無責任な発言すんなよ。そのせいで俺が……」
 しまった、と口を押さえる彼の顔がみるみるうちに赤くなる。
 彼が言わんとしていることを悟った私は、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「ずっとがんばってたのは私のせいだった、ってうぬぼれていい?」
「……」
「当たってる?」
 目はそらすし、顔は赤いし、足は逃げ出しそうになっているし、で、彼は体全身で肯定の意を示している。
「勝手にしろよ、でか女」
 認めたとたんに耐えられなくなったのか、彼が保健室から出て行こうとする。
 その後を追いかけて私は思い切り笑顔を見せてやった。
「でか女って呼ばれても傷つかないからね。でか女でいっぱいいい思いもしたし」
 逃げるために足を早める彼の隣で一生懸命私も歩く。
「じゃ、今度から名前で呼んでやる」
 ぐいと顔を近づけてそう言われたものだから、一瞬、私の足が止まった。
 ふいうちで彼の笑顔を目の前で見せられて、名前で呼ぶなんて言われたら、さすがのでか女も言葉を失ってしまう。
 恥ずかしさが一気にこみあげてきて、熱くなってくる顔を抑えられないまま、私は彼の背中を追った。


 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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