卒業アルバム
 台車にのせられて一クラス分の卒業アルバムが運ばれてくる。高校ともなるとクラス数も多いし厚みも増す。
 いろんな書類と共に一人一人にアルバムが配られていく。アルバムを開いては写りの悪さに悲鳴を上げる女子がいれば、アルバムを開こうともしない男子もいる。
 アルバム一つでも個性が出てなんだかおもしろい。
 私は自分の写っている写真を探すよりも先に教員の写真が並ぶページを探した。そこに私の好きな人が写っている。授業の時と変わらない無愛想な顔がそこにあった。
 そして、先生が担任をしているクラスのページを開く。楽しそうに先生を囲む女子生徒が羨ましい。
 他に先生が写っているかもしれないところといえば、部活と行事のページ。
 体育会系クラブのところにジャージ姿の先生がいた。行事のところに先生の写っている写真は一枚もない。生徒が中心になっているのだから当たり前だけど、ちょっとでも多く先生が写っていれば卒業後もいつでも見られるだろう。
 自分の写真をあまり見ることなく、私は卒業アルバムを閉じた。その上から真っ白なページを開いた卒業アルバムが置かれる。
「ね、何かメッセージ書いて」
 ペンケースから色ペンを取り出す。
「いいよ。じゃ、私も書いてもらっていい?」
 閉じたばかりのアルバムを友達に向けて開いた。

 明日は――卒業式。


 先生が生徒の名前を呼んでいく。
 はい、と立ち上がっていく生徒より、私は低い声で読み上げる先生を見ていた。私の名前が先生に呼ばれることはない。先生は違うクラスの担任だから。
 卒業証書授与式、という堅苦しく長い名前をたずさえた私たち高校三年生の卒業式。
 名簿で一番にあたる私はクラスの代表として校長先生から卒業証書を受け取らなければならない。
 壇上で校長先生に背を向けた時、椅子に座っている先生と目が合った。段を下りようとしていた足が止まる。
 まだ、先生と目が合っている。
 そんな先生の隣に座っていた私の担任の先生が『早く下りなさい』と言うように手を振り始めた。慌てて下り、来賓席と教員席に礼をする。
 席に戻るまでずっと、先生の視線を感じていた。


 高校生最後のホームルームが終わる。
 卒業式といっても割とあっさりしたもので、クラブに入っていた人たちは部室に行き、帰る人は普通の授業の終わりのように卒業証書の筒を片手に帰っていく。 
 私は、廊下で友達と何枚か写真を撮り、重い卒業アルバムの入った鞄を肩にかけて、隣のクラスの生徒から先生が解放されるのを待っていた。
 体育会系の体つきで無愛想な表情で、けっこう長身で一見怖そうだけど、実は不器用な優しさを持っているところがかわいい、と先生は女子に人気がある。だから先生は競争率が密かに高い。
 先生は隣の教室内で文字通り、たらいまわしにされていた。女子の嬌声とインスタントカメラのフラッシュが途切れない。
「ちょっと、もうあと五枚なんだけど」
「ツーショット撮ったし、そろそろ終わりにする?」
「お前ら……もう、十分だろう」
「じゃ、先生、卒業しても会いに来るからね」
 女子の言葉にハッとなる。こんなところに一人で立っていたら先生が目当てだということがバレてしまう。女子の集団に囲まれるのは相手が同じ学年でも怖い。
 急いで自分の教室に入った。閉めたドアに背をつけてしゃがみ、隠れるようにじっと息を潜める。
 女子たちの足音が完全になくなったのを聴き、そろりとドアを開けて廊下を見る。誰もいない。
 静かな廊下に足音が響かないようにゆっくりと教室を出て、隣の教室の入り口に立つ。先生は、教室後方の黒板に好き放題に書かれた落書きを消していた。背の高い先生は上も余裕で手が届く。
 どうやって話しかけようか、とスカートの裾を握ろうかと思った瞬間、手にもっていた卒業証書の筒が落ちた。卒業証書しか入ってない筒は小気味よい音をたてて転がっていく。
 先生が振り向いた。
「どうした?」
「あっ、私、あの、隣の……」
 言いながら筒を追いかけて拾う。
 黒板消しを置いた先生は、スーツについた粉を払いながら歩いてきた。
「俺に用、か?」
 鞄の中へ卒業証書を入れ、替わりに卒業アルバムを取り出す。近くの机の上に友達の寄せ書きのあるページを開いた。
「寄せ書きを書いてもらおうと思って……いいですか?」
「ああ、そんなことか」
 教卓の上からペンを取り、先生は上体をかがめてアルバムにメッセージを書き込んでいく。
 予想以上に長いメッセージと先生らしい字がアルバムを埋めていく。
 メッセージは後でゆっくり読むつもりだから、今はあえて読まない。
 ペンにキャップをし、アルバムを閉じて学校名の書かれたケースへと戻した先生は、
「卒業おめでとう」
 と私へと差し出してきた。
「ありがとうございます」
 受け取って礼を言った私はアルバムを抱いて教室を出た。
 告白するつもりなんて毛頭ない。思い出をアルバムに残してもらっただけで十分だ。
 階段を下り、我慢できなくなった私は踊り場で卒業アルバムを開いた。分厚いページにイライラしながら先生のメッセージが書かれた箇所を開く。
 綺麗とは言いがたい先生の文字を辿り、心の中で声に出してメッセージを読んだ。
 読み終えた私を強く押すのは――先生を好きという気持ち。ふられたわけでもないのに、なんだかものすごく切なくなった。
 卒業アルバムとケースを抱え、先生の残っている教室へ走る。
 教室の入り口で、まさに出ようとしていた先生と鉢合わせになった。
「そんなに急いで……まだ、何かあるのか?」
 先生の驚いた顔にもかまっていられない。
「好きなんです。先生、私、本当に先生のこと、あの、信じてもらえないかもしれないけど、好き、なんです」
 夢中で心の内を吐き出した。長い距離を走ったわけでもないのに息は切れるし心臓もドキドキする。
 先生はしばらく私の顔を見た後、卒業アルバムへと目を移した。そして、深いため息。
「書き過ぎた」
 アルバムに書かれたメッセージから伝わってきたのは、先生としての愛情とは異なるもので、それが私を告白へとかきたてた。
「読んでいたら切なくなって……」
「そうだろう、な」
 自嘲気味に笑い、先生は教室のドアへともたれる。
「『教師の寄せ書き』に封じたつもりだったんだが、お前は見つけた。……そういうことだ」
 先生の言葉は回りくどい。今の私にははっきりとした答え、断る言葉が必要だというのに。
「どういうこと、ですか?」
「教師だから直接的表現を避けるが……」先生がふいと私から目をそらす。「俺もお前と同じ、だ」
 頭がうまく働かないから少しだけ考える時間が必要だった。
 同じ、ということは――。
「気持ちが?」
「ああ」
「じゃあ、それって」
「ああ」
 先生の頬がかすかに朱に染まる。つまりは、そういうこと、だ。
「先生、言ってくれればいいのに」
「そのままお前に返す」
 ふいに脳裏に言葉がよみがえる。
『ああ、そんなことか』
 先生なりに期待してくれていたのだろうか。
「言っても無駄だと思って諦めてました」
「諦めず何事も積極的に……と書いておいた」
「だから、言えました」
 先生が私を見下ろす。卒業式の時と同じ目が私を見ている。
 文字や目で先生は私に気持ちを伝えてくれていたのに、それを嬉しい偶然と片付けていた私はまだまだ子供だ。
「あ、先生、卒業です。もう生徒じゃありません」
「三月三十一日まで学校に籍がある」
「そうなんですか……。まだしばらくは『先生と生徒』なんですね」
 先生と生徒の恋愛が問題視されるのは私だって知っている。先生に迷惑をかけないためにも、私がきっちりと立場をわきまえないといけない。生徒として学校に来ていいのも、先生と会っていいのも、今日が最後――。
 手近な机に出席簿を置いて、ポケットから先生が携帯電話を取り出した。開いて私に差し出す。
「学校で会わなくても連絡はとれる」
 受け取った携帯の画面には、携帯電話の番号とメールアドレスが表示されていた。
 卒業アルバムを鞄に戻し、学校では休み時間しか出さない携帯電話を取り出し、先生の電話番号とメールアドレスを登録した。
「先生、メールするんですね」
「打つのは遅い。返事も短い」
「……今、年齢差を感じました。でも、先生らしくて好きです」
 自分の携帯電話を受け取った先生は、私の携帯を勝手に奪った。二つの携帯電話を並べて大きな指でボタンを押している。
 これからは、私へのメールをこうして打つのだろう。そう思ったら先生の指が愛しい。
 私の携帯を返すために差し出された先生の手を、携帯電話と一緒に両手で包む。
 先生の手は固くて熱い。
 何も言わず、先生はもう片方の手でそっと私の手を握った。


 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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