トートバッグを肩にかけて、わざとセーラー服のスカートを蹴って歩く。スカートの間から涼しい風が入ってくる。
中学生になって初めてはいたスカート。それまではめったなことでははかなかったスカート。
スースーして気持ち悪い。
スカートをはいた最初の印象がこれ。
でも夏はいいかもしれない、と思い始めている。風が適度に入ってくるし、まあ悪くはない。
夏休みなのに学校に来る。部活ではなく、私の場合は補習。
暑い中で受けたテストの成績が良くなるわけがない。そう親に言ったら怒られた。暑いと頭がぼーっとするのだからしょうがない。だから、補習もしょうがない。
「プリントできたら帰っていいぞ」
そんなこと言われたら、適当でもいいから埋めるに決まっている。私だってそう。
じっと考えるほど忍耐強くもないし、さっさと仕上げて提出した。
「早いなぁ」
先生が誉めるように言う。そりゃ、考えもせずに書けば早いだろう。
「さようなら」
きちんと挨拶して教室を出る。帰りは挨拶する声も清々しい。
そのままプールに直行。
「おぅっ。暑いのによく来るな、学校」
プールで泳いでいた男子が、私に向かって手を振った。
彼は小学生の時から、なぜかずっとつるんでいる男友達。
「補習帰りでっす。なに、今日も一人?」
「部員が少ないからなぁ。プールに入れるなら暑さも関係ないのに、みんななんか来ねぇんだよな」
「ふーん、また足つけさせてね〜」
「好きにどうぞー」
そう言って、彼はまた泳ぎ出した。
私はプールサイドに座って、足の膝から下をプールの冷水に浸した。
「ふぅ、気持ちいい」
バッグからアルミに包まれたおにぎりを取り出す。自家製のお昼ご飯。おじゃこの塩加減がちょうどいい。
「プールサイドで食うなよなぁ。こぼれるだろ」
水しぶきをあげながら、彼が私に向かって泳いでくる。
「あ、もうぅ。水がかかるじゃない」
「そういうとこで食ってるんだから、しょうがねえじゃんか。ん……」
彼がプールにつかったまま、片手を差し出している。
「なに、それ」
「一個くれ」
「もしかして、プールにつかったまま食べるの?」
「そんな暑いとこに座る気もない」
「私にはプールサイドで食べるなって言ったくせにぃ」
「んじゃ、入れば?」
「水着持ってきてないもん」
「じゃ、しゃあねえな。とにかく一個くれ。何も食わずに泳いでたから、さすがに疲れた」
「──一個だけだからね」
「ん、さんきゅ」
おにぎりをくるんでいたアルミホイルを、彼は小さく丸めて私に向かって指で弾く。
それは、私の額にあたって、プールの中に落ちていった。
「いったぁ。……あれ、自分で拾いなよ」
「後で」
二人でおにぎりを頬張った。
プールには相変わらず誰も来ない。
「ねぇ、ここで寝ていいー?」
おにぎりを食べ終わった私は、すでに泳ぎ始めている彼に向かって聞いた。
クロールをやめた彼が立ち上がる。
「どうやって?」
「ここに足入れたまま、ごろり、と……」
「あーそれ、ちょい待ち……」
「?」
彼はプールから上がって、バスタオルを一枚持ってきた。
「これ、下に敷けば?」
「? ……なんで?」
「制服、汚れるから」
「……ありがとう」
こんなに親切なやつだったっけな、とバスタオルを敷きながら彼を一瞥する。
「俺も寝よ」
私の隣りで彼も寝転がる。
私の足にプールの波があたる。
私の手に彼の腕が少し触れる。
彼の体についた水滴に太陽が反射して、きらきらと眩しい。
思わず私は目を細める。
適度に日焼けした彼の腕。
私の白い腕が少し情けない。
太陽は変わらず眩しい。
私は、細めた目をいつしか閉じていた。
──パシャッ
耳に飛び込んできた水音に目を覚ます。
起き上がって見てみると、プールの端の方で、彼が泳いでいた。
水しぶきも、彼も、遠くに見えている。
寝ぼけていたのだろうか。
私は、彼に呼びかけようと体を乗り出してしまった。
「あっ……」
冷たい感触が、体中を包む。
体の重みを一身に受けた足は、そのままプールに落ちていった。
当然、私は胸までプールの中。
何も知らない彼は、手足から水しぶきをあげて、泳ぎつづけている。
「もう、いいや」
私は潜水で、彼の近くまで泳いでいった。驚かせるために、派手に水しぶきをあげて飛び出した。
「わっ」
「!」
思惑通り、いや、それ以上に彼は驚いていた。
「びっくりした?」
彼は何も言わず、私の手を引いて歩き出す。水の抵抗が体の動きを鈍くする。だが、彼はそれにも負けず、強い力で引っぱっていく。
「あがれって」
「?」
私はプールから上がった。即座にバスタオルが投げかけられる。
「お前、泳ぐな。絶対泳ぐなよっ」
「えっ……だって制服は濡れてるし、ここのプールって部員以外泳いじゃいけない、とか?」
「そういうわけじゃないけど、とにかく泳ぐなよっ」
「納得いかないっ」
バスタオルを投げ返して、私は彼を横切ってプールに入ろうとした。
ぐっ、とまた強く握られる私の腕。
振りほどこうと思っても、全然動かない。しばらく無言で何度も抵抗を試みる。
腕が痛くなってきた。動かないことも悔しい。
私はその場に力なく座った。
その瞬間、彼の手が離れた。
最初からそうすればよかったんだ、と言わんばかりに。
私は顔を伏せた。泣くわけじゃない。
でも、顔を伏せた。彼に見えないように…。
しばらくは彼の泳ぐ水音だけが響いていた。
音だけが彼の存在を知らしめる。
無音が、とても気になった。
プールを出ていったのだろうか。今、ここには私一人しかいなのだろうか。
──ポタッ、ポタッ
上から滴が落ちてきた。私の首筋に落ちている。
「ごめん。俺の都合で物言った。泳ぎたいんだろ? いいよ。泳いでいいから。俺、もう出るし…」
ポタポタと小さな音をたてて、水滴が遠ざかっていく。
私は顔を上げて、引き止めた。
「待ってよっ。いつからそんなに優しくなったの? なんで、力が強いわけ? どうして、あんな遠くで泳いだりするの?」
彼は足を止めた。そして反転してずんずんと歩いてくる。
「俺が強いわけじゃない。お前が女で力が弱いんだ。お前は何も思ってねぇかもしれないけどなっ、俺はなんか…その……色々考えるんだよっ。だから…あん時だって見ないようにしてたのに、お前はそんな格好で泳いでくるし、足開いて寝るし……。おちょくってんのかって思ってたんだよっ」
吐き捨てるようにそれだけを言って、彼はまた戻っていく。
「わっけわかんないっ。なに、それ? 自分ばっかり考えてるような言い方してるけどねっ。私だって、あんたがやたら日に焼けてるし、大きいし、力は敵わないし…悔しい思いしたんだからっ」
私の言葉に、彼は戻りかけた足を止めた。
そして、勢いよく振り向く。
「お前はなっ、女なんだよっ。んで、俺は男っ。違って当たり前なんだっ。む、む、胸だって出てるんだから、透けた制服着てんじゃねぇよっ」
「待ってっ。とにかく待ってよっ」
私はバスタオルを放って、彼の元へ走る。
「そ、そんな格好で来るなよ。あぁ、もう! 後ろ向くからな!」
彼は大きな背中を私に向けている。
「……」
「……」
「……わっ、な、なんなんだよっ、お前っ」
「どんなんかな、って」
私の手は、彼の腕をつかんでいる。感触を確かめるように撫でた。
「き、き、気持ちわりぃよ」
「やっぱ違うんだよね。うん、あんたの言う通り、違うんだね。…背中とかも触っていい?」
「……ちょ、ちょっとだけなら……って俺もおかしいな」
私は指を、彼の背中――肩甲骨の辺りに添える。
ぴくり、と彼の肩が動いた。
私はまた、ゆっくりと指をすべらせていく。
「……ちょぉっと、待った」
彼が振り向いた。私と向かい合う。
「お前、危なすぎる……触り魔?」
逆光で立つ彼の向こうに太陽が見える。
「一言で気持ちを言うと、とびつきたい」
「! ……はぁぁ?」
「……欲情ってこういうことかな。なんか飛びつきたいの」
「いや、それあぶねぇって。……ぐぉ」
私は彼の言葉を聞かず、本能的に抱きついた。
予想通りの感触に、心の中を満足感が走り抜けていく。
「濡れるって……」
彼の髪から、滴が落ちていく。
それは、彼の首筋を流れ、私の頬へと伝っていく。
ゆっくりと彼の手が、私の体を包んでいった。
◇終◇
読んでくださってありがとうございました
感想などありましたら
[感想送信フォーム(別窓)]から聞かせてください。
今後の創作の励みにさせていただきます。