机の上に二つの物が置いてある。
手作りのチョコと、誕生日用ラッピングの施されたマグカップ。
私はその前でものすごく悩んでいた。これを一緒に渡すべきか、別々に渡すべきか……。
さっきから頭の中で何度もシミュレーションしている。でも、誕生日プレゼントは難なく渡せるのに、肝心のバレンタインチョコだけがうまく渡せない。二つを共に渡すシナリオができていない。
「あぁ、もう、なんで同じ日に生まれるかなぁ」
一人の部屋で、思わずそんな言葉が出る。一人になると、無性に独り言がいいたくなるもんなんだな、と一人で思ってみたりする。
「こっちは……」私は誕生日プレゼントを指す。「誕生日おめでとうって渡すだけだし、友達なんだから不自然じゃないでしょ?」
「問題はこっち……」今度はチョコへと指を向ける。「義理って渡したくないし、かといって自然に渡せるもんでもなし、と」
「どうしよう〜」
さっきから何度この言葉を呟いたことだろう。言ったところで解決策が思いつくわけでもないし、誰かの助けが得られるわけじゃないのはわかっているけど、言わずにはいられない。言ったら気休めになる……気がするだけ。
「……さて、後はベッドの中で考えよ」
二つを鞄の中のスペースへ押し込み、ベッド脇の目覚まし時計を朝早くにセットして、私は布団の中へもぐりこむ。
「う〜ん……」
とりあえず、唸ってみた。次に大きくため息ついてみる。解決策が浮かぶどころか、余計に落ち込んでくる。
布団の中に入るということはいつでも眠りにつけるということでもあり、勉強で使わない部分の頭を使った私は、簡単に睡魔の手に落ちてしまっていた。
朝。清々しいはずのバレンタインの朝。
「おはよ、姉ちゃんっ」
いつも寝不足気味な顔してるはずの弟が、セーラー服に着替えて2階から降りてきた私を見るやいなや快活な声をかけてきた。
「おはよう……。もしかして、バレンタインだから張り切ってる?」
中学1年生の弟。そういえば、いつもより髪が整っている。
「な、なんでわかった!?」オーバーリアクションで驚いて、彼は私の持っていた鞄をバンバン叩く。「姉ちゃんも、ここに入ってんだろ? 先輩に渡すチョコが。今日は先輩の帰り待ってる姉ちゃんが見られるのかぁ」
私の好きな人は、弟のクラブの先輩。といっても先輩なのは弟だけで、私にとってはクラスメイトな彼。
「あんたくらい、もらう気満々だったら楽なんだけどね。誕生日とバレンタインが重なってるなんて……」
思わず愚痴をこぼした私に、気の毒げな弟の顔。
「先輩言ってたぜ。一人からチョコがもらえればいいってさ。その一人って案外姉ちゃんなんじゃねぇの? ま、がんばれよ。んじゃ、行ってきまーす」
素早く靴を履いて、母が朝食をとっているであろうリビングへと呼びかけた弟は、そのままドアを開けて出て行った。
「あ、ちょっと待って! 私も行っています!」
弟は部活の朝練習がある。私は朝練のために教室で着替える彼に、二つのプレゼントを渡す予定。朝の教室は誰もいないし、なにより、朝渡しておかないと勇気が放課後まで持たない。
急いで靴を履いて、私は外を歩く弟の後を追った。
「げっ。なんで姉ちゃんが来るわけ? 絶対に離れて歩けよ。喋りかけんなよ」
一気にまくしたてて、弟は早足で歩き始める。
「別に一緒に行きたいわけじゃないわよ。朝練に間に合わせないといけないから……」
話しかけるな、と言ったはずの弟が、驚いた顔で足を止める。私を振り返る。思わず私も足を止めた。
「そ、それって、朝に渡すってことじゃん? 先輩、部活遅れるかな。あ、先輩どんな顔して来るんだろ……?」
「何もあんたが……」
渡すってわけじゃないんだから、と続けようとしたけど、弟に肩を叩かれる。
「すっげー楽しみ! なんかどきどきするな、姉ちゃん。俺、早く行って先輩足止めしといてやるよ!」
私の言葉を待つ間もなく、弟はそのまま走っていった。
「あ、足止めって……」
しばらく呆然と弟を見送っていた私だったけど、なんとなく落ち込みが晴れた気がして、また学校への道を歩きだした。
下駄箱で靴を履きかえる時に一回、教室への階段を上っている時に数回、教室に入る前に大きく一回、私はため息と深呼吸を繰り返した。
弟の足止め効果は微妙に信用できないけど、とにかくここを開ければ彼がいるかもしれないのだ。
震える指でゆっくりと入り口を開ける。
「おはようさん」
いつもの彼の笑顔と間の抜けた挨拶。
「おはよう」
精一杯に自然を装った私の挨拶。
彼はジャージを着て、着替えの置かれた彼の席に座っている。
私はそこから3席ほど離れた自分の席に鞄を置いて座った。
「早いじゃん。なんかあったっけ? あ、クラブ? ってお前はクラブ入ってなかったしなぁ」
「あ、う、うん」
多少上ずってしまった声と共に彼を見る。
ちょうどあくびの最中で、大きく開いた口と涙のにじんだ目が私を見た。
「あれ? テストだから早く来て勉強……ってテストもねぇもんな」
「うん……」話題を変えるべく私のほうから質問。「そ、そっちこそ朝練行かないの?」
「えっ?……」
彼の語調が変わった。椅子の背もたれに伸ばしていた体をこわばらせている。目は完全に泳いでいた。
「な、なに? そっちこそ何かあるの?」
「うっ……や、あ……」
さっきとはうってかわって、彼の態度は挙動不審。しかも、顔が徐々に赤く染まっていく。
「なに? どうしたの?」
「あ、っとまあ……」彼の指が机を叩きだす。「お前の弟が来てな。あいつの同級生
がバレンタインチョコ渡すために朝教室来るから待っててほしい、って言われてるんだよ。チョコもらうってわかってて待ってんだぜ? は、恥ずかしいだろ」
机の上を叩いていた彼の指が、今度は頭髪へと移動する。そのままかきむしるように何度か往復させている。
(足止めってこれか。浅知恵というかなんというか……あいつらしい)
本当はそんな女の子来ないってわかってるけど、まさか彼に言うわけにもいかないので、私は苦肉の策の末に出した答えを口にする。
「私いたら邪魔よ、ね? いないほうがよくない?」
即座に予想外の答えが返ってきた。
「いや、いててくれたほうがいい。一人だと、いかにも待ってますって感じで嫌なんだよな。迷惑じゃなければ……」
明らかに私を求めている目。ただでさえ惚れた弱みがあるのに、こんなもの見せられたら残るしかない。というか、出て行く気なんてさらさらなかったけど。
座っている私と、頭をかきむしりつづける彼。教室を包む沈黙。
さすがにちょっといたたまれなくなって、私は鞄を開ける。その音さえも異様に響く。
「これ……」
彼の席まで歩いていって、小さな包みを渡す。
「えっ、バレンタイン!?」
彼の手が止まり、わけのわからない答えが返ってきた。思わずこう返してしまう。
「ち、違う! 誕生日、でしょ? それのプレゼント」
「あ、ああ、誕生日。あ、そうそう、誕生日……」
確認するように何度もうなずいて、彼はようやくプレゼントを受け取ってくれた。
(とりあえず一つ完了!)
私は何も言わずに席へと戻る。
再び沈黙。
私はじっと鞄を見る。鞄の中の物に意識を向ける。
だから、気づかなかった。彼がプレゼントを開けていたことなど。
「お、コップ。ちょうどよかった」
その声に慌てて彼を見ると、私のあげたカップを持って眺めていた。
「ちょっと開けたの? あげた本人がいるのに開けたの?」
「だって、なぁ。……俺専用のコップがあるんだけど、この前そこから茶が漏れてくるから見てみたら、ひび割れ発見。新しいコップがいるなぁって思ってたところだったから、ちょうどよかったって言っただけじゃん。大きさもなかなかいいし」
すねたような顔をしながらも、嬉しそうにカップを眺める彼に、私は苦笑をもらす。
「喜んでもらえたならいいんだけど……」
「おう、喜んだ、喜んだ」
彼が、カップを元の箱へと戻し、無造作に包装紙ごとかばんに突っ込む。
まだスペースのありそうなその鞄の中を、私は無意識ににらんでしまったりする。
机の上にのせてある着替えに、彼が顎をのせてボーッと前を見る。
私もなんとなく机に顎を乗せて、ボーッと……というわけにもいかず、バレンタインチョコを渡すタイミングなんかを考えながら、じっと前の黒板を見ていた。
また、静かで気まずい時間が訪れる。
「おっせーなぁ……」
呟くような彼の声に、私もはっとして時計を見る。
私が学校に来てからすでに15分が経っている。あと15分でクラブの朝練は終了しないといけない。そうなると、皆が登校してくる。二人の時間も終了。
焦りの心が私を動かした。鞄を開けて、チョコを取り出し、座ったまま彼を見る。
まさか私がチョコを渡す相手だとは思っていないだろう彼が、のんきに私に愚痴る。
「ここまで待たせんのって失礼じゃねぇ? あぁ、俺もう朝練行くぞ? 今日は新しい技を教えてやろうと思ってたのに……。お前の弟とかなかなか飲み込み早いんだぞ。知ってるか?」
「ごめん! 私なの!」
彼が顔を上げて、私を見る。驚いているのは当たり前。
「はぁ? 何が?」
チョコを抱えて、私は彼の席へ行く。
その間、彼の見開いた目が私を追っていた。
「弟が言ってたチョコ渡す女子。それ……私なの」
彼の全ての動きが止まった。ただ、目だけがじっと私を見る。
「うっそ、だろ……?」
「あ、本当」
「なんかの冗談、とか?」
「本気で」
「あぁ〜!」
うなだれるように、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしる彼。
(この反応から出る答えは一つなんですけど……)
「もしかして……」
「あ、そうじゃないから」冷静にあげられた彼の手が、私の言葉の続きを制する。「そうじゃなくてぇ。期待しつつ落ち込んでたんだよ、俺。もしかしてお前からかもしれない。でも、教室から出て行くって言うからそうじゃない。でも、もしかしたら……って延々と考えてた。その割に1年の女子はなかなか来ないだろ? やっぱりお前じゃないかって期待が膨らんで、遅いと思ったのは架空の女子でもあり、お前のチョコでもあったわけ。わかってくれた?」
見上げる目は、私の答えを求めている、チョコを求めている。
「それって、つまりは……」
満面の笑顔で手を差し出す彼。
「楽しみにしてたってこと」
私はチョコを手渡しながら、小さく聞いてみた。
「それって、好きって言ってるの?」
チョコの包みを開けようとしていた彼の手が、少し震えて止まった。
そっと私から目をそらす。
(すごい。耳まで真っ赤)
「う、おぅ」
チョコを口に運ぶ彼と、それを見守る私。
教室を包むのはさっきまでと違う、ほんわかとした沈黙。
「やべ。クラブ行かねぇと……」
チョコを鞄にしまいこんで、真っ赤なまま教室を出ていく彼。
『先輩、部活遅れるかな。あ、先輩どんな顔して来るんだろ……?』
弟の言葉を思い出しながら、私は彼の姿を苦笑しながら見送っていた。
◇終◇