クラス代議員なんてわけのわからない役職に就くんじゃなかった。そのおかげで私は、体育系の部活よりも遅い時間まで学校に残るはめになった。
暗い廊下を歩き、嬉しいほど明るく蛍光灯のついている教室へと自分の鞄を取りに戻る。
ぽつんと座って、教室へと入った私を見る一人の男子。
うっとうしそうな彼の顔を見たとたん、私は思わず笑顔になった。
「待っててくれたんだ」
「用事、あったから」
本当は優しいことを知っている。彼と男女交際というものをすることになって半年ほど経つから。
眼鏡の下に指を入れて眠そうに目をこすった彼は、鞄の中から一冊の本を取り出した。
「返そうと思って」
三日前に私が貸した恋愛小説。私の読むものを読んでみたい、と言う本好きな彼に貸してあげたのだ。
「教室で返してくれればいいのに」
「秘密にしたいって言ったのあんただろ? ふだん教室でほとんど喋らないのに、突然、本なんか返したら不自然」
「……あ、そっか」
呆れたようにため息をつかれてしまった。
クラスメイトなどにからかわれるのが恥ずかしくて、秘密にしておいてほしい、なんて頼んだのは私のほうだ。今のような態度ながら、彼も承諾してくれた。
後で知ったことだけど、からかわれるのがうっとうしいからちょうどいい、というのが彼が承諾した理由らしい。
そんなわけで、私たちは一緒に帰ることもない。だから、こうして彼が待っていることもほとんどない。
そして、私は嬉しい。
廊下も校内も静かだ。
あることを思いついた私は、黒板横にある教室の蛍光灯のスイッチをオフにした。
教室内には、向かいにある職員室の明かりがおぼろげに入り込むだけで、目をこらさないと相手の顔が見えないほどに暗い。
「急に何してんの?」
彼の影が立ち上がる。
「二人っきりだな、って思って」
「……だから?」
「えっと……何してもいいよ」
相手の顔がよく見えないだけでこんなに大胆なことも言えるのか、と自分の発した言葉に驚いた。
彼は動かない。何も言ってこない。
私が一歩踏み出そうとした時、残念だけど、と彼が手を振った。
「眼鏡かけてても見えないんだ、俺」
「じゃあ、目の前は……」
「真っ暗。手探りじゃないと動けない」
「……なんだ」
勇気を出して言ったから予想外の彼の言葉に脱力してしまい、隠しようのない言葉が洩れてしまった。
くすりと笑い声が響く。
「俺に何してほしかったの?」
何をしてほしいかと聞かれても、元々、何も考えていなかったから答えは出てこない。なにより、改めて聞かれても答えにくい。
彼には見えていないとわかっているのに、思わず顔をうつむけてしまう。
「何って聞かれても……」
机を探りながら、彼が近付いてきた。
「学校内でもできることなら、するけど?」
ガタガタと机の音を立てながら、ゆっくりと彼が近付いてくる。
さっきはあんなに大胆なことが言えたのに、いざこうして彼が近付いてくると怖くなってくる。なるべく足音をたてないように、少しだけ彼から遠ざかった。
彼が足を止めた。
「逃げなくても……襲わない」
「わ、わかるの?」
「目が見えない分、耳に集中してるから」
「ごめん。逃げない」
彼の影が止まっている。はっきりと目は見えないけど、じっと私を見ていることだけはなんとなくわかった。
逃げたことで彼を傷つけたかもしれない。表情が見えないからこそ言えることもあるけど、今は彼の顔が見えないからこそ不安だ。
彼を感じられるようなことを何かしてほしい。ふと、そう思った。
「ぎゅっ、って……」
「ぎゅっ?」
冷静に聞き返されたせいか、そこから後が続けられなくなってしまった。言い方を変えようと思うけど、抱きしめて、なんてよけいに恥ずかしい。
「やっぱり……いい」
言葉にするのが恥ずかしいというのもあったけど、頼んでまでしてもらうようなことではない、ということにも気付いた。
「俺のうぬぼれでいいんだけど、もしかして……」彼が両腕を広げる。「こういうこと?」
「うん、そういうこと」
「どうぞ」
「どうぞ?」
「俺から行ったら怖いんだろ? だから、どうぞ」
手を広げて待たれると、自分から抱かれに行くことになり、何かとんでもないことをしているような気になる。
でも、暗さと静けさと彼の言葉に押されて、私は少しずつ彼へと近付いた。
彼の指が腰に触れる。
突然、強い力で引き寄せられた。バランスを崩しそうになり、近くの机に手をつく。
頭に固いものが触れてカチャリと鳴った。彼の眼鏡があたったのだろう、と考えて、そんなに彼の顔が近いのか、とドキドキする。
「ごめんね。変なこと言って……」
「別に、いい」
頭上から声が降る。
「離してもいいから」
「いいって」
「でも、誰か来たら……」
「……黙れ」
強く、短く、低い彼の声――。
私は、何も言えなくなった。
彼は微動だにせず、その腕はきつく私を抱きしめている。
「全部、気にしなくていい」
その声に顔を上げようとしたら、頭に眼鏡があたってしまった。
「わっ、ごめん」
あわてて彼の眼鏡を直そうとしたけど、両腕は体と共に押さえつけられている。
少しずれた輝きは、じっと私を見下ろしていた。
眼鏡の真ん中をつまんで位置を修正した彼は、
「俺も、したかったから」
そう言いながら顔を横へとそむけた。
「そっか」
彼も同じだった。たったそれだけのことがすごく嬉しい。
言葉でうまく伝えられない代わりに、彼のブレザーのジャケットをぎゅっとつまんだ。
◇終◇
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