2.壊れ物を扱うように
 連休ということもあり、従妹の女の子が家へ遊びに来た。
 私に懐いているというわけでもないけど、特に嫌いというわけではない。ただ、彼女の懐いている相手が少し問題なのだ。
 淡色のワンピースを着た従妹は出迎えた私を素通りし、黒いスーツに短髪で背の高い彼の傍へ走り寄る。彼の腰ほどまでしかない彼女は小さな腕を伸ばして、せいいっぱい彼へと抱きついた。
「かたぐるま」
 挨拶もなしに彼女はいきなりそう告げた。
 隣に立つ私をちらりと見てから、彼は小さな従妹の視線に合うように上体をかがめる。
「お久しぶりです、お嬢様。申し訳ありませんが、私は今、仕事中なので肩車をすることはできません」
 彼の仕事は私を守ること。命を狙われるほどの危険はないけど、いつ何が起こるかわからない、と私が子供の頃に親が雇ったボディーガードだ。
 従妹はがっかりし、彼は心苦しそうな顔をしている。それを黙って見ている私は悪人みたいだ。
「肩車……していいわよ」
 そう言うしかない。
 彼のことは好きだけど、たまにしか来ない従妹へ彼を譲る度量くらいは私にもある。
「かたぐるま、して」
「しっかり、つかまってください」
 大きな手で軽々と従妹を持ち上げた彼は、これまた大きな肩へちょこんと彼女を乗せた。
 嬉しそうな声をあげながら、従妹は彼の頭へ抱きついている。
 羨望してもしかたないとわかっていても、こういう時は『子供』である従妹が羨ましい。二十歳も近い年齢になって、肩車をして、なんて言えない。
「あるいて。どこかいって」
 白馬ならぬ黒い男に乗った彼女は彼の頭を叩いて無邪気な指令を出す。
 際限ない子供の要望に付き合うほどの暇も気力もないので、私は早々に辞退する。
「部屋に戻ってるから、しばらく付き合ってあげて」
「……そう、します」
 嬉しそうな彼女を見上げ、苦笑いを浮かべて彼は頷いた。
 手入れされた日本庭園へと向かう彼らを見送り、私は家の中へと入った。


 二階の自室から、庭園をうろうろと歩く彼らが見える。
 机に肘をついてぼーっとただ眺めていたら、やがて、彼らの姿が庭園から消えた。
 私の部屋のドアがノックされる。
「戻りました」
「ご苦労様。入っていいわよ」
 私の部屋にのっそりと一歩だけ足を踏み入れ、彼は後ろ手にドアを閉めた。
 ボディーガードとはいえ女性一人の部屋へ入るのは失礼、というのが彼の信条らしく、何度言ってもこれ以上は決して入ってこないのだ。そんな彼の堅さがじれったくもあり、愛しくもある。
 椅子を回転させて、彼のほうを向いた。
「で、何か話した?」
「簡単に言いますと……勧誘とプロポーズをされました」
「勧誘?」
「ここを辞めて私のところへ来ないか、と」
「プロポーズというのは?」
「そのままの意味で、結婚してほしい、と」
「断ったんでしょ?」
「はい。どちらもお断りしました」
「最近の子供って、すごいわね」
 普通に言っただけなのに、なぜか、彼はそこでくすりと笑った。
 何かおかしいことでも言ったのか、と不安になる。彼は大人で私は子供だから。
「なに?」
 不安を隠して、精一杯の虚勢を張った。
 私の問いかけに笑いを収めたけど、彼の頬はまだ少し上がったままだ。
「申し訳ありません。とある方から結婚を迫られた時のことを思い出したのです」
 彼に交際している女性はいない。知っているからこそ、思わぬ告白に戸惑ってしまった。
「なぜ、私に言うの?」
「私に結婚を迫ったのがお嬢様だから、です」
「意味が、わからない、わ」
 結婚を迫った記憶なんてない。彼は何か謎かけでもしているのだろうか。私の気持ちを引き出そうとしているのだろうか。
「十歳の頃、一輪の花と共に、結婚してほしい、と真剣な表情で言われ……私の目には大人の女性に見えました」
 私にどう返事しろと言うのだろうか。
 返す言葉が見つからなくて、私は彼と向き合うことから逃げるために本棚の前へと立ち、適当な本を取り出して広げる。
 彼の視線から逃れたことで冷静になった。少し、考えてみる。
 小さい頃のプロポーズを私が覚えていないのは、彼に断られたからじゃないだろうか。子供のうちは一年間で色々な出来事が起こる。結婚のこともその中に紛れてしまったのだろう。
「その時、断ったのでしょう?」
「いいえ、何も言えませんでした」
 意外な答えだった。従妹の時のようにあっさりと断っているのだと思っていた。
 広げていた本を閉じ、本棚へと戻す。
「答えはいらないわ。結婚の前に互いに好きという感情が必要なことは今ならわかっているから」
 あなたが私を好きじゃないことはわかっている、と言外に込めた。
 告白したわけじゃないけど話題が話題だ。彼の答えによっては、私の気持ちも封印しなくてはならないかもしれない。そう思ったら怖くなった。
 本の背表紙にかけた指がわずかに震える。本から離した手を握り締め、彼を見た。
 すっ、と彼の後ろから一輪の花が出てきた。私の前へ差し出される。
「どういう、こと?」
「私の答え、です」
 花を受け取る。見覚えがある。先ほど彼も行った庭園に咲いている花だ。
 小さい私は、彼へ一輪の花と共にプロポーズしたらしい。
「返された、ということなの? ……断られたのね、私」
「答えられずにいる私にお嬢様は『将来、私を好きになることがあったら返してほしい』と花を渡されたのです」
 そんなことまで忘れていたのか。将来を見据えた行動がとれるとは、小さい頃の私はなんて有能なのだろう。
「すごいことを、言ったのね」
 感心してしまった私に、彼が微笑む。
「当時の花ではありませんが……」
 それ以上、彼は何も言わなかった。
 でも、それだけで十分だった。
 彼の前へと歩いていく。
「子供みたいなことして、いい?」
「……はい」
 腕を広げて彼へと抱きついた。
 抱きしめるというよりは、体にそっと触れてくるだけの彼の腕――。
 だけど、その中は温かく私を包んでいた。


 ◇終◇
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