5.コートの中にすっぽり
 日の出ているうちは暖かいけど、沈んでしまった後はジャケットを着ていても肌寒い。
 そんな学校からの帰り道、私は前を歩く彼氏を呼び止めた。
「先生、一緒に帰りませんか?」
 私の声に振り返った先生は、ぎょっとした顔をした後、周りを見回す。部活もとっくに終わった時間、歩く生徒は全くいない。
「一緒に、帰ってもいい?」
 先生の隣に並び、小さい声で言った。
 ああ、と先生が頷く。
 私たちは先生と生徒であり、彼氏と彼女である。もちろん、学校には内緒。先生が学校側にばれないようにと配慮してくれる以上、私が反抗するわけにもいかない。寂しいけれど、引き離されるよりはましだ。
 先生は黙々と隣を歩く。周りを気にして話さないわけじゃない。これが先生なのだ。長い歩幅は今は私に合わされている。
 私は手を制服のポケットから出し、おおげさにこすり合わせた。
「さすがに寒いね、先生」
「これからもっと寒くなる」
 後ろを振り返って確認。とりあえず近くに生徒はいない。
「握ってくれたらあったかくなるかも」
 期待半分に先生を見上げて言ってみた。
 しばらくしてから先生は、
「すまない……」
 ぽつりと呟いた。
 先生の声音に含まれた痛々しさに、私は思わず満面の笑みを作った。
「冗談だから大丈夫。帰りに特選肉まんでも食べて温まることにします」
 大きな肉まんを頬ばるかのように手と口を動かす。
 私につられてか、先生も笑顔になる。
「新発売……だったか」
「あ、先生もチェックいれてたの?」
「あのコンビニの前は通るからな」
「同じく新発売のサーモンのおにぎり、あれもおいしかったよ。鮭じゃなくてサーモンって書いてあるとこがポイントだと思うな」
「今日の昼に食った」
「偶然!」先生の腕を叩く。「私も今日のお昼に食べた」
 小さな偶然だけど、舞い上がってしまいそうなほど嬉しい。
 ゆるむ頬をおさえない私を、先生が、どうしたんだ、とでも言いたそうな目で見ている。
「先生って、お昼は店屋物を頼んでるって言ってたから、まさかコンビニのおにぎり食べてるとは思わなかったんだよね」
「普段は確かにそうなんだが、あのコンビニの新商品は食べるようにしている」
 あまりコンビニは好きじゃない、と言っていた先生だけにこの言葉は意外だった。新商品に弱いのだろうか。
「先生ってもしかして『新発売』好き?」
「いや、それはないが?」
「じゃあ、なんで? 先生ってコンビニはあまり好きじゃないでしょ?」
「お前がな……」
「私が?」
「あのコンビニの新発売はよくチェックしていると言ったから、だ」
 授業ではっきりと話す先生だけど、今は少し歯切れが悪い。こころなしか、私から目をそらしている感じもする。
「私が言ったから?」
「……ああ、そうだ」
「うわ、やだ」
「気持ち悪い、か。まあ、そうだろうな」
 先生が乾いた笑いをもらす。
 年を経ると悪いほうへと物事を考えてしまう、と以前に言っていたけど、私が先生を気持ち悪いと言うわけがない。
「違います。……すっごい、嬉しいの。でも先生、無理しなくていいから」
「無理はしていない。サーモンのおにぎりは旨かった」
 先生が本当においしそうに笑っているので、私も安心して、そうでしょ、と答える。
「特選肉まんは食べたことある?」
「いや、ない」
 辺りに生徒がいないのを確認して、大きく息を吸う。吐くと同時にある言葉を発するために――。
「先生、一緒に特選肉まんを食べて帰りませんか?」
 緊張すると敬語になってしまう。そのせいで少し色気はないけど、私なりに精一杯のお誘い。でも、先生は誘いにのらない。わかってる。ただ、ちょっと期待したいだけ。
 案の定、先生は困ったように目を伏せ、足は今にも止まろうとしている。
「それは……無理だ」
 コートのポケットに手を入れた先生は、小銭を私へ差し出した。
「これ、なに?」
「一緒に食えないが……」
「いらない」
 先生は誘いにのらない。わかってる。ただ、勝手に期待してしまった。先生は悪くない。私の心が未熟なだけ。
 私は早足で先生を追い越した。
 革靴の足音がどんどんと後ろから近づいてくる。
 女子高生が大人の男性にかなうわけがない。私なりに速く歩いたけど、あっさりと先生に追いつかれてしまった。
「お金はいらない。早く肉まん食べてあったまりたいんだから」
「そこ、左に曲がって」
「コンビニ行くから右」
「左に行くんだ」
 荒い呼吸と共に発したせいか、先生の声音は怒りを含んでいるように聞こえる。
 先生の真意がわからないまま、私は言われた通り左へ曲がる。そして、街灯も少なく細いこの道には注意するように、と学校からいつかプリントが出されていたことを思い出した。
 思わず足が止まる。
「こんなとこに誘導して……先生、何をしようとしてるの?」
 同じく足を止めた先生は乱れる呼吸を必死にととのえようとしている。
「すまない……。とりあえず、人通りの少ない場所を、と思ってな」
「だから、何をしようとしてるのって聞いてるのに」
 大きく深呼吸をした先生は、私の前へ来てコートを広げた。
 吸い込まれるように近づいたとたん、コートが私の体を包み込んだ。
「肉まんには勝てないが……」
 先生の匂いと体温が私の体と心を温かくしてくれる。いや、温もり以上に、先生のものか私のものかわからないドキドキが頭の中に響いてくる。
「ごめん、先生。コンビニに一緒に行けるわけないのにね」
「もう、いい。金はいらないと言われて気づく私も愚かな男だからな」
「温かい。ありがとう、先生。ちょっと、泣きそう」
「それは……少し、困る」
「先生、周りに誰もいない?」
「……ああ、大丈夫だ」
 私は先生の温かさから抜け出した。あれ以上包まれていたら本当に泣いてしまいそうだったから。
「大丈夫、か?」
 心配そうな先生の顔に悪戯心が芽を出す。
「大丈夫じゃない」
「特選肉まんなら、私も明日食べる」
 先生は何か誤解しているようだけど、私は特選肉まんを食べたかったわけじゃない。先生と『一緒に』食べたかっただけだ。
「先生こそ、大丈夫?」
「ああ、離れてくれて……助かった」
「先生の腕の中、温かすぎて肉まんより癖になりそう」
 一瞬、目を見開いた先生だったけど、
「それは……困るな」
 嬉しいような困ったような、複雑な笑顔を浮かべた。


 ◇終◇
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