4.脚を組む
 今日は彼とカフェに来ている。
 以前、薦められたこのカフェは静かで、手作りケーキがおいしい。
 彼はコーヒー目当てに来ているらしいけど、私はコーヒーが苦手なので、ミルクティーを頼む。コーヒーの味は知らないけど、紅茶もなかなかいける。
 彼が、好きなだけ頼んでいい、と言ったので、私の前にはケーキが三個。特に話題も思いつかないので、ひたすら食べている。
 一つ目のケーキを食べ終えた時、ふと近くの席に座っている女性に目が止まった。
 私の視線の行方を追って、彼も女性を見る。
 グレイのスーツを着たその女性は、私の前の彼と同じく、コーヒーだけを注文し、バッグから書類を取り出して目を通す。
 その一連の動作が、あまりに自然でかっこよく、私は少しだけ見とれてしまった。
 組んだ足が綺麗な曲線をえがいている。
 目の前の彼と、あの女性。互いにスーツで仕事のできる雰囲気を醸し出している二人なら、私よりもきっとかっこいいだろう。
 テーブルの下で、こっそりと足を組んでみた。慣れないので足が動いてしまう。つま先が彼の足にあたった。あわてて引っ込める。
 持っていたカップを口に近づけようとしていた彼は、
「……すまない」
 そう言ってコーヒーを飲む。
 足があたったのは私のほうなので、彼が謝る必要はない。
 そういえば、さっきは大きく足を動かしたわけでもないのに、簡単に彼の足にあたってしまった。
 彼が足を組んでいたのかもしれない、と気づいた私はテーブルの下を覗き込む。
 適度に開かれてはいたけど、彼の両足共に床についている。
 私が顔を上げたとたん、彼が口を開いた。
「あなたの邪魔をしてまで、座り方にこだわるつもりはありません」
「いや、邪魔っていうか……私のほうこそ」
 今度は彼がテーブルの下を覗き込んだ。顔をあげたとたん、にやりと笑う。
「原因はあちらの女性、ですか?」
 ずばり言い当てられると直視できない。目を合わせずに済むよう、二つ目のケーキを食べることにした。
「かっこよかったんで、ちょっと真似してみようかな、とか思って……。別に足を組んだからってどうなるわけでもないんですけど」
 顔は上げずにフォークとケーキだけを視界に入れておく。
「男を挑発しているように見えます。あくまで、私の見た限りでは、ですが」
 恥ずかしさが一気に飛ぶ。
 挑発しているように見える、とは心外だ。
 フォークをお皿に置いて反論。
「挑発なんてしてません」
 彼も持っていたカップをテーブルに置く。臨戦態勢に入ったのだろうか。
「考えてみなさい。あなたのひらひらした短いスカートで足を組めば、普段は隠れているところまで見えてしまいます」
 突然、太ももに冷たくて固いものがあたる。テーブルの下だから、彼の革靴だろう。
「こういうところも……。あなたが足を組まなければ、触れないところです」
 二度ほどつついて、彼の革靴は太ももから離れた。
 私は足をほどき、大げさすぎるほどの動作でスカートを整える。彼から視線ははずさない。
「恥じらいを含んだ動きというのは、男の下卑た欲をあおるものです」
「あおられたから、あんなことしたんですか?」
 不思議と、触られたことに嫌悪は感じていない。ただ、ああいうことをする人だと思わなかった、という私の勝手な像を崩されたことによるショックがあるだけだ。
「あおられなかった、と言えば嘘になる程度には」
「もう、しません」
 私にも彼をあおらせるだけの色気がある、ということが少し嬉しかった。
 機嫌のまかせるままに、二つ目のケーキの残りを食べ終える。
 カップに指をかけた彼が微笑んだ。
「そうしていただけるとありがたい。私のためにも……」
「私のためにも?」
 コーヒーを飲み終えた彼が、私の前の空になった皿を引き寄せ、三つ目のケーキをこちらに押しやる。
 どうぞ、と彼の手にうながされ、私は最後のケーキにフォークを差し入れた。
「他の男も見るのかと思うと……心臓に悪い。仕事のストレスもありますから、体によくないのは一目瞭然でしょう」
 フォークを口に入れたまま、思わず彼を見た。ケーキは飲み込めず口の中にある。
 私の足を他の男に見せたくない、と言っているように聞こえる。いや、そういう意味を含んでいるとしか思えない。
 邪魔なケーキを飲み込み、フォークを口から離し、私は平然とした表情の彼を見つめる。
「そ、そういうことなんですか? ……じゃなくて、どういうことなんですか?」
「あなたが何を想像しているかわかりませんが、答え合わせはまだ出来ません。よく考えて問題は解いてください」
 彼の言っていることは正直、よくわからない。大人のはぐらかし、というものかもしれない。
「よく考えて、答えも出たんですけど」
 彼が内ポケットから、淡いピンクの袋を取り出し、テーブルに置く。毎回渡されるそれには、私への『援助』という名のお金が入っている。
 伝票を手に立ち上がった彼は、
「三回目……会った時に答え合わせをしましょう。それまで、答えは一切、口にしません。では、ゆっくり食べて帰ってください」
 呆然とした私を残し、レジで支払いを済ませる。そして、振り返ることなく店を出て行った。
 あと三回会えば、彼の気持ちが聞ける。もし、私の答えが正解だったら、もう、この袋をもらうこともなくなるだろう。
 テーブルの上の袋をかばんにしまい、私はさっきまで彼が座っていた席に移動する。
 彼の匂いがほのかに残るその席で、引き寄せたケーキを口に入れた。


 ◇終◇
← お題小説メニューへ
← HOME