5.望みを言ってごらん
 前回と同じカフェ。
 今日は私の前にケーキ一個。さすがに三個は頼みすぎたか、と前回反省したから。
「少し暑くなってきましたね」
 そう言って、彼がジャケットを脱いで、脇へと置いた。
 きっちりした彼のことだから、ネクタイも外さないだろうとは思ったけど、暑さに耐えかねたのか少しだけ緩める。シャツのボタンも一つ外した。
「暑いのに制服は変わらず、ですね」
 不思議そうに私の制服を指す。
「衣替えの時期が学校で決められてるんです」
「そういえば……ありました」
 彼が少し懐かしそうに微笑む。
 私のとっては現在だけど、彼にとっては過去のこと。たいしたことのない会話からも年齢差を見せつけられる。
 いつもは表に出ることのない彼の首もと。今日はボタンが外されているから、浮き出た骨のラインまで見える。
 この暑さなのに、私が頼んだのはホットミルクティー。校則のせいで脱げないブレザー。
 今日は何を話そうか、などと思いながらケーキを一口食べた私の脳裏に、以前味わったあの感触がふとよみがえってきた。
 熱いミルクティーで口を潤す。
「今日、嫌なことがあったんです、よね……」
 笑いがひきつっているのは、嫌なことがあったからではない。彼の胸を求めていることを悟られてはならない、という不安からくるもの。
 もう一度あの感触を味わいたい、と思うだけならよかったのに、キーワードとなるセリフをいやらしくも口に出してしまっていた。
「また、ですか。……では、聞きましょう。今日はまだ私の心にも余裕がありますから」
 少し困った顔をしたけど、彼はコーヒーを一口飲んで、私の目を見つめ、聞く態勢へと入ってくれる。
 彼の優しい態度と言葉で、私の中に甘えが生まれ始める。彼ならわかってくれるかもしれない、望みを叶えてくれるかもしれない。
「泣きたくなったら……どうすれば、いいんです、か?」
 彼から目をそらさず、ゆっくりと問いかける。
 彼の目が明らかな困惑に揺れる。何か考え込んでいた彼はやがてゆっくりと微笑んだ。
「あなたの質問に聞き覚えがある。そして、意図も読めたような気がします。方法は悪くないと思いますが、少々焦りすぎましたね」
「駆け引きなんて知りません」
 ふっ、と彼が鼻で笑う。
「駆け引きを仕掛けておきながら、知らない、ですか。私に求めている答えは一つ、ではないのですか?」
 彼につられるように、私もふっと余裕の笑みらしきものを浮かべる。男に慣れた女性のような気分になっている。
「そこまでバレたなら、もう、私の言うことはありません」
 驚きの表情を浮かべながら、彼が後ろに背をもたれさせる。嬉しそうに笑い、きゅっとネクタイを締めた。
「高校生だからこその無知かと思いきや、とんだところで女を見せるものですね。あなたが大人なら、即座に誘いにのったでしょう」
 大人の気分になったところで、彼にはしっかり子供として映っているらしい。
 少し、拍子抜けした。
「あの……誘いにのってほしい、んですけど」
 笑っていた彼が表情を厳しくさせる。
「では……」
 急に身を乗り出した彼は、手を伸ばして、私の頭を強く引き寄せた。
 一気に近くなる彼の顔。
「遠回しはやめて素直に言えば、私も対応を考え直します、が?」
 そう言って、彼はにやりと口の端を上げた。
 視線をどこへ動かしても、入ってくるのは至近距離の彼の顔ばかり。大きな手でがっちりと押さえられているので、顔を離すことができない。
「す、素直って?」
 抱いてほしい、などと言えるわけがない。そんな言葉、今まで言ったことすらない。
「求めていることを素直に、ですよ。駆け引きよりも簡単です」
 彼が言葉を発するたびに、かすかな息が頬にかかる。
「無理、です。……言えません」
「言えないようなこと、だとは思えないのですが」
「もう、いいです。いいですから、あの、離してください」
 手が離れた瞬間、素早く頭を後ろへ引っ込める。
 私と目が合うと、彼が艶然とした笑みを浮かべた。さっきのことを思えば、怖いけど、やはりなぜか目が離せない。
「遠回しは苦手、なのです」
 彼に押さえられていた頭をさする。
「だからって、押さえつけなくても……」
「少々、乱暴なことをしてしまいました。ですが、あなたがあそこで素直になれば、私は即座に店を出たでしょう」
「もしかしなくても、チャンスを逃しました?」
 彼が大きく頷き、
「逃しました」
 そこでわずかに目を伏せた。
「……いえ、逃れて正解だった、とも思います。私にも、あなたにも、まだ早い」
「高校生だから、ですか?」
「それ以前です」
「それ以前?」
 彼に、高校生だから、子供だから、と言われたことは何度もある。私が告白に踏み切れない原因でもある。それが最大の難点だと思っていたのに、それ以前の問題があるのだろうか。
 ジャケットとビジネスバッグを取り、伝票と交換するかのように、いつもの小さな袋を置いた彼は、とん、と指先でそれを叩いて苦笑いを浮かべる。
「……恋人ではないのですから」
 忘れないでくださいね、と言わんばかりに、彼は現実をテーブルに置いて立ち去る。
 そうでしたね、と頷く代わりに、袋をポケットに入れた。


 気持ちの答え合わせまで、あと二回――。


 ◇終◇
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