番外編:はじまり
 バイト代が入ったからおごってあげる、と友達に言われたからついてきた。高いものをおごってもらえるなんて思ってなかったけど、多少の期待を抱いてしまった私の気持ちもわかってほしい。
「もしかして、あそこだったり?」
 後ろで電気屋の軽快なテーマソングが流れるなか、横断歩道の先にある店を指して、隣に立つ友人に聞いた。
「おごるって言ったけど、私、値段まで言ってないもんね?」
「言ってなかったっけ……」
「店よりもさ、おごってさしあげる気持ちだけでもありがたいって思ってよ」
「……うん、どうも」
 信号が青になり、私たちは見慣れたロゴをかかげた店――ファーストフード店へと入った。


 たっぷりと二時間は喋っただろうか。店を出ると、夕焼けがあたりのビルの窓に反射して眩しく感じるほどの時間帯になっていた。
「晩御飯の分も食べた? 人のお金なのをいいことにさ」
「セットにしていい、って言ったじゃない」
「でもさ、お腹いっぱいの原因はポテトのLサイズにあると思うんだけど」
「あれはやりすぎたって思ってる。お腹、苦しい」
 喋ったことで少しは消化したと思うけど、お腹は、じゃがいもがゴロゴロしているか、と思うほどに苦しい。
 軽く吹く風を受け隣の彼女は、でもさ、と笑った。
「楽しかったよね。久しぶりに喋った気がする」
「だね。今度は私がおごる」
「バイトしてないくせに」
「援助交際でもやろうか?」
「その度胸があれば、ね。無理むり」
 友達は地元の人、私はここからさらに電車に乗って家へ帰る。駅に着けば、話も終わらなければならない。話し足りない。なんとなく、寂しいと思ったけど、引き止めるのも悪い気がしていた。
 その時、彼女が近くにあるベンチを指した。
「ね、もうちょっと、喋っていく?」
 おもわず、ベンチをさす彼女の指を握り締め、ぶんぶんと振った。
「私も、思ってた!」
 会社のビルが多いせいか、ベンチに向かう私たちの横をスーツを着た男性や女性が、せわしなく歩いていく。駅に向かう人たちに逆行するかたちで私たちはベンチへ座った。
 喋ろうと座ったはずなのに、彼女は話しださない。私も、なんとなくタイミングと言葉を探してしまっていた。
「彼氏、欲しいな」
 なんの脈絡もなく、彼女が呟く。
「年上の人がいいな」
 私も行き交う人を見ながら答える。
「もうすぐ、前を通る、あんな感じは?」
 一人の若い男性が私たちの前を通り過ぎた。
 二人でじっと凝視する。最初に首を振ったのは私。
「ちょっと若い、な」
「そう? 私はあれくらいが好み。じゃあさ、どんな感じがいいの?」
 友達に好みの男性を伝えるべく、通り過ぎる男性を物色していたけど、どうにもこれといった人が見つからない。
「理想、高め?」
 何も言わない私に焦れたのか、彼女がこっちを向き、呆れた顔を見せた。
 自分の好み、というものを改めて振り返ってみたけど、特別な理想があるとは思えない。
「そうでもない……と思う」
 目の前の道路では、赤信号で車が止まっている。ふと、その向こうにあるカフェを見つけた。窓際で一人の男性がカップを手にしている。
「あ、いた」
「どこ、どこ?」
「向こうのカフェ」
「え、ちょっと待って」
 彼女が鞄から眼鏡を取り出す。視力の低い彼女に、向こうのカフェは見えにくいらしい。
 眼鏡をかけ、前を通る人が何事かと見下ろすくらい、彼女はカフェの窓をじっと見ていた。
「見えた?」
 なんとなくがっかりといった風な顔で、彼女は眼鏡を鞄に戻した。
「見えたけど……ちょっと年齢不詳っぽくない?」
「かっこいいと思うんだけど」
「彼氏があの人だったら、歩いてるだけで援助交際っぽいって」
 笑う彼女に、そうかな? と答えながら、私はカフェの窓際にいる男性をもう一度見つめた。



 目の前に座っている彼は、手に持ったコーヒーを飲むのも忘れたように、じっと窓の外を見ている。
 不思議に思って、私も窓の外を見てみた。
 止まっている車の向こう、二人の女子学生が、木を囲むように設置されたベンチに座って喋っている。高校生くらいだろうか。
「あなた、制服、好きなの?」
 私が投げかけた冗談に、無表情な彼は、ふっ、と口を緩ませた。
「好きだとしたら、見るだけで終わりません。制服を着る女性ごと手に入れますよ」
 私の部下である彼は、距離をとるかのように敬語を扱う。
「……本気?」
 制服が大好き、という彼を想像するのも難しいほどに、目の前の男と明るい女子学生が似合わない。
 彼が笑みを引っ込めた。
「好きだとしたら……。仮定の話です」
 ようやく、彼がコーヒーに口をつけた。
 冷めてしまわないうちに、と私も砂糖とミルクを入れたコーヒーを飲んだ。スーツを着ている大人だからコーヒーに砂糖を入れない、と勝手に思われることもあるが、苦いと思うものは仕方がない。
 コーヒーカップを置いたものの、彼の視線は窓から離れていない。
「でも、見てるわよね?」
「なんとなく目が離せない、というものがありませんか?」
「やっぱり、好きなんでしょ?」
 からかうように笑ってやった。
 窓を見ていた彼が、ふいに私を見て、小さなため息をつく。
 有能な私の頭が、そのため息の答えをはじきだすのに時間はかからない。
「あったわよ、女子高生だった頃」
「さすが、ですね」
「仕事もできるけど、皮肉もうまいわね、あなた」
「有能な上司の下で、冗談をかわす話術を学ばせてもらっていますから、上達も早いでしょう」
 女子高生だった頃を懐かしむように、勢いよくコーヒーを飲み干した。
 彼の皮肉は聞き慣れた。最近では、その絶妙な言い回しに内心で賛辞を送ることもあるほどだ。
「さっさと社に戻って、残りの作業を片付けるわよ。ここは払ってあげるわ、優しい上司が」
 立ち上がって、伝票を取り、ふと窓の向こうの女子高生たちを見た。彼女たちは、まだ、楽しそうに笑っている。宿題はあれど、残業なんてものはない。
「女子高生に惚れたらおもしろいわね」
 呟いた私に、立ちあがった彼はけげんな顔を見せる。
「誰が、ですか?」
「あなた、が」
 彼も窓の外を見た。
「……話してみたい類ではありますが」
「惚れる、付き合う、なんてなさそうね」
 ごちそうさまでした、とだけ言って、彼はレジの前で止まる私の後ろを通り、店を出て行った。
 肯定も否定もしなかった彼と、あの女子高生の姿を脳裏で並べてみる。
 苦笑いが洩れた。


 ◇終◇
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