「──無抵抗の者を殺す気はない」
彼は私に向けた銃口と同じように冷たく言葉を紡ぐ。
私がなぜ手にした拳銃を彼に向けないのか、気にはならないのだろうか。
そして、私は状況を楽しんでいる。
「生への渇望すら失ってしまったのか? 俺に潔く殺されるつもりか?」
ぴくりとも手を動かさず、彼はただ冷笑している。
「潔く殺されてほしくない? 抵抗してほしい? それとも…お願い! 殺さないで!」
「……?」
彼の目だけが反応した。
「フフ……そう言って許しを請えばいいのかしら?」
「女は演技が得意……か」
「色仕掛けも、ね」
「──ふざけるな。手に持った銃を俺に向けろ」
彼の怒りは目を見れば十分わかる。
「おかしな人ね、自分に銃を向けろだなんて。あなたこそ死を急いでるんじゃなくて?」
私は銃共々、手を上げるつもりはない。
「お前とは、できれば撃ち合って……終わりたい」
「ハッ、素敵な理想ね。でも私は、組織の長であるあなたの兄を殺して逃げた女よ。卑怯な手を使わないとも限らないのよ?」
「お前は卑怯ではない」
「なぜ、そう言い切れるのかしら? 長年、私と一緒にいたあなたの勘?」
「ああ。お前が卑怯な女なら俺はとっくに殺されている」
「ご冗談。そうやって銃を向けているあなたに対して、撃てるわけないじゃない。私こそ、撃つ前に殺されるわ。……でも」
私の手がゆっくりと上に上がる。彼がこれを見逃すはずはない、と確信を持ちながら。
「おごれる者久しからず、よ」
彼の目が私の銃口を凝視している。引き金を引く素振りを見せようものなら、彼の手の中の物が即座に火をふくのだろう。
「私と長年一緒にいたのは彼よ。弟であるあなたじゃないわ」
「ああ、そうだな。なら、なぜ殺した? 恋人を――俺の兄を」
なぜ、と問われるだろうとは思っていた。でも、言いたくない。彼には言えない。
──君が僕の恋人であるうちに……。
恋人を名乗る資格などない。あの日、それを告げに行っただけ。
「私はあの人の恋人では、ないわ。好きな男を撃てるはずないもの」
「だが、お前は撃った。色恋のもつれなどどうでもいい。兄は、お前の恋人である前に組織の長だ。だから俺は、ここにいる」
「ええ……」私は目をふせる。「さっさと撃ちなさい」
「なぜ、死に近づこうとする? 償いのつもりか?」
また、オーバーラップする。私も言った。あの人に、そう言った。
──そんな簡単に死を望まないで。
そういえば、あの人もこんな気持ちだったのだろうか? 私になら、殺されてもいい。そう思っていたのだろうか。
「償い、なのかもしれないわね。降りるわ。さっさと撃ってちょうだい。あなたの腕がいいのは認める。一発……それで済ませて」
私の手から放たれた重い金属が、足元のコンクリートを打つ。私は軽くなった両手を、降参の意を示すように上げた。
「一言遺していけ」
「特にないわ」
「そうか……」
彼が再び狙いをつけるのを確かめて、私は目を閉じた。
遺言くらい遺しておくべきだったかしら? 今から言ったんじゃ、言い終わるまでに死んでるわ。
「私は……組織の為に死ぬんじゃない」
無事に言い終わったのかわからないが、耳をつんざくような銃声がたしかに聴こえた。そのまま意識を手放す。
「おい。死んだふりはやめろ」
遠くで、彼の声が……いや、彼の声ははっきり聴こえる。
「まだ、死んではいないだろう?」
痛みに意識を手放したはず。痛みは錯覚なのか、今は体は何ともない。恐る恐る起き上がってみる。
「あ、ら?」
簡単に立ち上がれた。
では、このたちこめ硝煙の匂いはなんなのか?
彼は、相変わらず銃を私に向けている。
一体、彼は何を撃ったのだろう。外す、ということは考えられない。
狙われているにも関わらず、私は辺りを見る。弾痕を探そうとする。
自分の周りに起こった小さな変化に気付いた。私の銃が遠くに飛ばされている。そして足元にはかすかに削られたコンクリート片が落ちている。
彼の銃声の行方を把握した。
「そう、まだなのね。あなたって、じわじわと痛めるタイプだったかしら?」
「そうではない。少し──話が必要だと思っただけだ」
「わかった。どっちみち、この状態じゃ抵抗できないわ。私の命はあなたに預けられてるようなもの。ゆっくり話をしましょう。何が聞きたいの?」
私の言葉で彼の銃が下がるとは思わなかったが、ゆっくりと話をする気になったのは本当だ。あの出来事について彼は知る権利がある。だが、すべての始まりとなった『あのこと』を隠しておく権利も、私にはある。
「組織のために死ぬのではないのなら、何のために死ぬ、と?」
「あの人、のため」
短い言葉で彼が納得できるのか。
「そうか」
私の心配も杞憂に終わる。
だめだ、隠しとおそうと意識しすぎている。淡々と簡潔に……。
「お前と兄の間に何があった? 誰も真相を知らない。当人しか……」
彼の質問は続く。痛々しい目を見せながら。
このように表情を崩した彼を見るのは、ずいぶん久しぶりだ。そういえば、私が彼の兄と付き合い始めてから見たことがなかった。そして、あそこを逃げ出してから、彼が、私が、何を思ってここまで来たのか。互いに知らない。
「あの日……私は恋人に別れを告げた。彼はすぐ承知してくれた。『今すぐ俺を殺してくれないか?』彼は突然そう言った。もちろん断ったわ。何を言い出すの?って、逆に聞き返したくらい」
「だが、お前は殺した」彼の目が鋭く私を睨む。
「そう、ね。まあ、聴いていてちょうだい。あなたも感づいていたとは思うけど、彼が組織の長であることを快く思わない連中がいた。あの手この手で、彼を殺そうとしていた。手口も巧妙になってきていたわ。『あいつらの手でいつか殺される。同じ殺されるなら君の手で。君が俺の恋人であるうちに……。俺の死はどうせ自殺として扱われるだろう』でも、恋人でなくなっても彼には生きていてほしい。だから『そんな簡単に死を望まないで』と。さっきのあなたのように言ったの。『そうだな』と彼は頷いたから、『大丈夫。あなたには弟もいるし、私もいるわ』気休めのつもりでそう言って、部屋を出ようとした」
「どういうことだ? 兄が死ぬようなことは起きていない。でも、現に兄は死んでいる」
「ええ、私が殺したからよ。部屋を出ようと背を向けた私に向けて、彼は銃を構えて引き金をひいた。『殺される!』と、私はとっさに撃ったのよ、元恋人であり、あなたの兄でもある人に向かって。卑しい生への渇望を恨んだ。そして自分の銃の腕を。弾は見事に彼の急所を貫いて、私はなぜか生きていた。そして、私は逃げた」
私なりに話せることを話して、彼から目をそらす。私を責めるようなあの目をじっと見ていたくない。
「たしかに、兄の死は自殺で片付けられた。だが、なぜ、銃を置いて逃げた? お前が犯人だと言っているようなもんだ」
「おかげであなたが追いかけてきた。そうでしょう? 誰かに見つけてほしかったのよ。そして、裁いてほしかったの。話したらすっきりしたわ。さあ、追跡劇を終わりにしましょう」
私の言葉をきっかけに、二人の間に再び緊張が走る。
彼から視線を離さずに、私は後方の銃を取って構える。
「そういえば、早撃ちは未だ決着つかず、だったわね。ちょうどいいわ」
私の声が笑みを含んでいる。余裕がでてきたようだ。
「ふっ……死んだら結果はわからないな」
彼も口の端だけで笑う。
「そうね」
互いに笑ってはいるが、緊張の糸が解けたわけではない。
さっき、殺されなくてよかったのかもしれない。彼とこうして向かい合い、笑いあうことができたのだから。そして、こうして話すことで、その時間が延びるのだから。
「──生と死の狭間に立つ者よ」
私と彼の笑みは破られた。
組織の者同志で撃ち合う時の儀式の言葉を、彼が口にしたから。
これは互いが覚悟を決めるために言い合うのだ。言い終わると、引き金をひかなければならない。
そして、私も続きを言う。
「──その弾丸に命をこめよ」
「──死にたつ者は悔いの残らぬよう」
「──生に恵まれた者はさらなる時を過ごすため」
次が最後となる。彼が言い終わった時、どちらかが死ぬ。死を迎えるのは私。なぜなら……。
「──今、判決は互いの手でくだされる!」
引き金をひいたのは、ほとんど同時。どちらともつかない銃声の後、倒れたのは私。私の銃は手から離れた。
彼が駆け寄ってきて、上半身を抱き上げられる。
「なぜ、弾が……」
彼はようやく全てに気づいた。
「あの人の、銃だからよ。あの日の彼の銃に弾は入っていなかった。だから、私は死ななかった。私が撃たないから、彼から撃ったのね。そして、私は彼のもくろみ通りに……」
涙がこぼれる。兄弟である彼の顔が目の前にあるからだろうか。それとも、今、私が生きているからだろうか。
彼は急所を外した。狙うことは簡単であるはずなのに。地面に朱を作っている血は私の足から流れているものだ。
「質問に答えろ。なぜ、お前は兄をなぞる行動をとった?」
泣いている女にも厳しい。それが彼なのだから笑えてもくる。
「あの人の気持ちがわかったから。愛する人を二度も手にかけるなんて、もう、したくなかったのよ」
彼は脱いだTシャツで、私の涙を半ば強引に拭いて、足から流れる血を止めるために、それをきつく太腿に縛る。その姿を見て、私は殺さないでいてくれてよかった、と、また思ってしまった。
「あなたこそ、なぜ殺さなかったの?」
「追い始めた時は、兄への復讐のつもりだった。お前を俺の手で殺したかった。だが、お前には俺の手で死を迎えてほしいと思うようになった。今は、お前になら……殺されてもいい、と思った」
恥ずかしそうに、はにかむように彼は笑顔を見せる。
「気づくのが遅いわよ。私はあんな優しかった恋人に別れを告げたし、こうして怪我までしたわ。あなたのせいよ、女性である私にここまでさせるなんて」
「ああ、ずいぶん遠回りさせてしまった」
「これからはゆっくりと二人で過ごしたいわ」
残念なことに私は、彼の唇が重なる前に気を失ってしまった。
「忙しくなるだろう。今のうちにゆっくり眠れ」
今は近い彼の声が心地よく頭に響いた。
◇終◇