7話:嫉妬
 聴き慣れたクラシック音楽が流れ始めると、給食後の掃除の時間。
 私がいる班の今週の担当は教室のある校舎の階段。
 いつものように上から順番にほうきで掃いていく。
「河原さん、ちりとり貸して」
「ここのごみ取ってからでいい?」
「うん、お願い」
 下の階を掃いていた同班の女子に答えて、私は手早くごみを集める。
 階段を下りて女子の下へ向かうと、彼女はちりとりでごみを集め始めた。かがんで掃いている彼女を見ている私に、同じく彼女を見ていた女子が声をかけてきた。
「河原さんって、よく坂内くんとかと一緒にいるよね? ……坂内くんと付き合ってんの?」
 なんとなく、やっぱりな、と思った。いつかは聞かれるんじゃないか、と予想と覚悟はしていたのだ。
 すると、掃いていた女子が強くうなずいた。
「私も。私もそれ聞きたかった」
 付き合ってるわけでは全くないのは事実。隠す必要もない。
「よく話したりはしてるけど、付き合ってはいない」
 追求されるのはめんどくさいし、曖昧に答えると噂に余計な尾ひれがついてしまう。
 正直に答えたというのに、彼女たちはいまいち納得しない風に顔を見合わせている。
「えぇ、でも……あれは、ねぇ?」
「う〜ん、付き合ってるって感じだったよ?」
 納得できない何かある。付き合ってると強く確信させる何かが彼女たちの中にある。曖昧にされるのはあまり気持ちよくないので、私ははっきりと聞いてみた。
「何かあったの? 坂内が何か言ったとか?」
「坂内くんじゃなくて、見たって人がいるの。坂内くんと河原さんが歩いているとこ」
「うん、女子の間で密かに有名な噂なんだけど……」
 私の反応を見ながら、少しずつ言葉を選び出していく彼女たち。
「あぁ、あれかぁ。あれ、ねぇ」
「思い当たることある?」
「ね、ねっ、聞かせてっ」
「……ごめん。あれはデートなんかじゃない。単に二人で出かけただけ」
「ええっ?」
「でもさ、何もないのに二人で出かけるの? 坂内くんから誘ってたっぽかったよね?」
 好きな人のことはよく見ているし、よく知っているもんだ。覚えがある私に彼女たちを責められない。
 本格的に困った。何もないけど出かけてしまったのだから。私は好きだし嬉しかったけど、坂内がどういう気持ちで出かけたのかは知らない。
「坂内から誘ってきたんだけど……ごめん、どう言っていいのかわかんない」
 不服そうな二人の顔。
 一人がぽつりと言ってきた。
「それじゃ困る。二人が付き合ってるなら……」
「あの子も諦めつくのにねぇ。わかんないって、さぁ」
 二人には悪いけど、こういう言われ方が私は一番嫌い。はっきりと攻められるほうがどれだけ気持ちいいか。
(集団で遠回しなんて、勘弁してよね)
 この場にいるのが嫌になってきたから、私は適当に抜け出そうとした。
 でも、目の前にいる二人の視線がそれを許してくれそうにない。
(あーあ)
 けだるさが顔に出そうになった時、
「河原さん、大丈夫?」
 なんて塩崎くんの声が聞こえた。
「塩崎くん、何が大丈夫なの?」
 私が聞き返すと、彼は、あれ、と言って前に立つ女子二人を見る。
「リンチされてるって聞いたんだけど……違った、みたい、だね」
 私以上に驚いているのが、前の二人。
「リ、リンチ?」
「そ、そんなのしてないのにぃ」
「私たちは河原さんに、坂内くんと付き合ってるのか聞こうと思って」
「河原さんがうまく言えないって言うからさぁ」
 心外だとおもいきり主張して、それから、ねぇ、と言い合って逃げるように二人は去っていった。
「追ったほうがいい?」
 去った二人の後姿を塩崎くんが指す。まずいことしたな、と困惑顔に浮かんでいる。
「リンチじゃないから大丈夫」
 踊り場の壁にもたれた私の隣に、塩崎くんも同じく並ぶ。
「河原さんと同じ班の男子が、すごい顔して報告してくるから思わず走ってしまった」
「塩崎くんの班って教室担当だったっけ。私は困ってたから助かった。坂内って女子にモテるんだね〜。知ってた?」
「告白されたことはないらしいけど、坂内のこと好きだって女子がいるのは知ってる。ほら、俺って友達多いから」
 冗談だとわかっているから、私もわざと口調を変えて返す。
「むっ、嫌味ですね、塩崎くん。好きな男子が絡むとせこい性格になっちゃうんだよね。私も覚えがあるから何とも言えないけど、やっぱああいうのは苦手」
 無機質な色の天井を見つめてため息つく。
「一生懸命だからしょうがないよ。河原さんの時だって、せこいというより頑張ってるなって感じするし」
 私より少し背の高い塩崎くんが、上から苦笑いを見せる。
 小さく拳をあげて、私はうなずいた。
「うん、頑張ってるのよ、ものすごく。……塩崎くんもさ、けっこうモテるんじゃない? そういう話は聞かないの? こういう風に的確なフォローくれるしね」
「俺はさ……」
 塩崎くんの顔がボボボッと赤くなる。どうしてここで照れるのか私にはさっぱりわからないけど。
「俺は……好きな人が自分のこと好きになってくれたらそれだけでいい。とか思う」
 さっきの彼女たちだったら「くさいこと言うんだ」とか言って笑うんだろうか。
 でも、坂内の手強さを思う私は、素直に自然にうなずいていた。
「うん、それわかるよ」
 赤いまま拍子抜けしたような塩崎くん。
「笑わないの? 俺、絶対笑われるなって思ってたんだけど」
「笑わないよ。私の今の目標それだから」
「大変だ、坂内相手は」
「うん、アレはそうとう手強いよ」
 私たちは共に、踊り場への階段を上ってくる坂内を見ていた。
 急いで塩崎くんに耳打ちする。
「坂内には言わないでね、さっきのこと」
「らじゃー」
 手を額にあてて敬礼の真似をする塩崎くん。
 かすかに息を切らした坂内が、私たちを交互に見る。
 塩崎くんに向けた視線がかすかに厳しかったのは、私の気のせいだろう。
「河原さん、なんかあったんだって?」
「いや、その……」
「……じゃ、俺はこれで」
「あ、塩崎くん逃げるの?」
「誤解だよ、河原さん。気をきかしてあげるんだから、俺は」
 そう言ってするりと塩崎くんは坂内の横を抜けて行ってしまった。
 坂内は塩崎くんを見送って「で?」と私の隣に来た。
「何かあったんだな?」
 いつになく真剣に問い詰めてくる坂内。簡単に引き下がってくれるとは思えない視線。
 厳しい視線に良心が痛むけど、言えないものは言えない。
 うつむいて答える。
「……ないです」
「嘘つけ。河原さんと同じ班のあいつに聞いたんだからな。ほら、言え」
「そんな風に聞かれたら言えるもんも言えない」
 嘘。言う気なんかない。
 坂内が絡んでいることを、どうして当人に言わなければいけないのか。
 先生に悪事を問い詰められる気分になってくる。そんな経験ないけれど。
 ふぅ、と呆れるような坂内の声。
「塩崎には言えて俺には言えない?」
 優しい口調に安心して坂内の目を見れば、相変わらず真剣で怖い。
「だめ。絶対言えない」
「……じゃ、しょうがねぇよ、な。わりぃ」
 静かに坂内が去っていく。いつものように、後ろから声をかけられるような軽い雰囲気は全くない。
(だって、言えないもんは言えないしさ)
 心の中で言い訳しても、坂内に素直に言えなくて傷ついている事実は騙せない。


 昼休みが終わって、五限目。
 秋風吹き込む教室は、寝やすい気温のせいか伏せている生徒が多い。
 しかも、科目は国語。先生が教科書を音読する声は子守唄にもなる。
 塩崎くんは肘をついて教科書を眺め、坂内は完全に熟睡状態。開かれた教科書は、机から落ちそうになっている。
 私は国語のノートを一ページ破いて、教科書とノートの間に隠しながら手紙を書いていた。
 坂内に渡す手紙。声をかける勇気がない小心者からの手紙。
 掃除の時間、彼女たちに言われたことをそのまま坂内に言うのはフェアじゃないから、坂内のことで誤解があって聞かれていただけ、と書いた。そして、簡単な謝罪。塩崎くんにだけ言えた理由も書いておく。
 完成させるまでに三枚費やした。没は二枚。
 おかげで授業の最後に慌ててノートをとるはめになったわけだけど、寝ていた坂内も同じく慌ててノートを開いていたので、なんとなく幸せな気持ちになった。
 放課後、何も言わずに帰ろうとする坂内に手渡して、あとはダッシュで下駄箱まで走る。追いかけてこないで、読んでほしい、と願いながら。


 翌日の朝、手紙を読んでくれたか、どう思ったのか心配で、いつもより早く学校へ来てしまった。早く来たからどうなるわけでもないのに。
 教室へ入ってきた坂内は、自分の席へ向かわずに真っ先に私の前へ来て、
「読んだ。俺のほうこそごめん」
 それだけ言って席へと向かう。
 私はしばらく坂内の言ったことを心の中で噛み締めて、おもむろに彼の席へと行く。
「坂内は悪くない。私が勝手に言えないだけ」
 そう言うと、坂内は驚いた顔を笑顔へ変えた。
「昨日あったことは……だいたいの見当はついた」
 坂内の発言に、私はかなり驚いた。
 日頃が鈍感すぎるほど鈍い坂内だ。女子のことで、しかもたったあれだけの情報で『見当はついた』なんてことが今まであっただろうか。
 思わず放心状態に陥ってしまう。
「その見当って……外れてるってことない?」
 は? と返した坂内は、一歩遅れて私の言った意味がわかったらしく、拗ねた口調で言い返してきた。
「外れてねぇよ。昨日、姉ちゃんにちょこっと聞いてみたらすぐ答えてくれた。俺絡みで女同士の誤解って言ったらそれくらいしかないってさ」
「あ、なんだ。お姉さんに……ってお姉さんに聞いたの? 昨日のことを? 私の手紙のことも?」
 坂内姉弟の仲のよさはわからないし、一人っ子の私に兄弟のこともわからないけど、家族で名前が挙がるというのは恥ずかしい。
 しかも、会ったことはないけど、好きな人のお姉さん。同性ということで奇妙な親近感もあったりする。
「女子のこと聞けるのって姉ちゃん以外にいねぇしな。『悩める少年よ、お姉さんに言ってみなさい』とか言われてみろ? ついつい言ってしまうだろ?」
 思い出したのか坂内が少し吹き出す。
 今更説明したくはないけど、私は一人っ子なのである。
「お姉さんもお兄さんもいないからわからない。おもしろいお姉さんだってのはわかるけど。で、見当ついてどうするの?」
 突然の坂内の真顔。これを見るとついつい構えてしまう。
「俺は男だ。んで、河原さんは女。女子の気持ちはさっぱりだけど、何かあったら相談に乗る」
 座っている坂内に肩をたたかれる。
「俺もいろいろと力になってもらったからなっ」
 相談にのる、と言ってくれただけで十分嬉しいのに、さらに力になってると言われる。嬉しい言葉が二連発。
「力になってる、の?」
 私の肩にのっていた坂内の手が、下りてきてガッツボーズを作る。
「そりゃもう、かなり」
 昨日の女子を確認。まだ教室に来ていない。
 私は抑えていた頬の筋肉を少しだけ緩めてみた。とたんに広がる笑顔。
 バシバシッと坂内の肩を叩く。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。私も相談に乗るからねっ。どんどん相談してよっ」
「い、痛いんだけど……って聞いてねぇな」
 歓喜の広がる心を抱えていると、困惑する坂内の顔がまた可愛く見えて、痛いと言いながら止めない坂内の気持ちが嬉しくて、私はさらに彼を叩き続けていた。


◇終◇
読んでくださってありがとうございました
感想などありましたら[感想送信フォーム(別窓)]から聞かせてください。
今後の創作の励みにさせていただきます。
←「6話」
→「話」
← 坂内&河原シリーズメニューへ
← HOME