私が彼にチョコを渡してから一ヶ月。
彼が私に返事をする、と言ったあの日から一ヶ月。
私たちの関係にも、彼が接する態度にも全く何の変化もない。
時々、嘘だったんじゃないかと思うこともあったけど、私たちの間で異性の話が出なくなったことが、確かな真実を物語っている。
バレンタインの翌日、彼が男友達にチョコのことを聞かれていたけど、適当にごまかしていた。
本当のことは私だけが知っている。
そのことが今日までの一ヶ月を支えていてくれた。
「ね、ついにきたよ、ホワイトデー」
朝の挨拶もそこそこに、いつも話す友達が私の席へ来る。
「知ってる」
「あいつは変化なし?」
「あるといえばあるけど、ないかな」
「なに、それ」
つまらなさそうに言って、彼女は私の隣の席を見つめた。
席の主はまだ登校してこない。
私の机に浅く腰掛けるようにお尻を乗せて、彼女は窓のほうを見つめる。
「私はさ、いい返事なんじゃないかって思うのよ。だって、こんなに引っ張って断るってのはなしでしょ?」
けだるげな彼女に誘われたのか、私も机の上にだらりと腕を伸ばして顎をのせる。
「どうでもいいってのが正直なとこ、かな。私としては言うこと言ったし、待ってる間にそれなりに冷静に色々と考えてみたら、断られてもしょうがないかなって」
だらけていた私の頭に軽い衝撃。
見上げれば、彼女に頭を叩かれていた。
「うーそ。どうでもいいなら告白しないって。あいつも好きならいいことじゃない。友人として祝福するよ、私」
彼女の手を振り払って、私はぐいっと背伸びした。
「それよりも返事、ちゃんとしてもらえるか心配なんだけど。中途半端はさすがに疲れる」
「男ならびしっと返事しろって……お、おはよう」
強気な彼女の言葉が詰まりはじめたのは、隣の彼が席へと近づいてくるから。
「はよっす。朝から喋りすぎなんだよ、お前ら」
「そ、そうみたいね。あ、じゃあね」
先ほどまで私を叱咤していた威勢はどこへやら、彼女はそそくさと自分の席に戻っていったと思えば、振り向いて笑っている。
どうやら、彼と二人になる機会を与えてくれたようだけど、隣の彼に返事をする気配はない。
ここで返事されたら困る、と期待と不安を抱えて待っていたけど、結局、授業が始まるまで彼とは日常会話で終始してしまった。
午前中の授業。
呼び出しも何もなし。何かを渡されることもなかった。
午後の授業。
授業中、彼はほとんど寝てすごしていた。それだけ。
図らずもきてしまった放課後。
着々と帰り支度をしていく彼を思わず呆然と見てしまった。
しかも、そんな私に向かって、彼は軽く手を振り、じゃあな、と教室を出てしまったのだ。
「返事する、って……」
拍子抜けしすぎて、思わず口から思っていることがこぼれ出る。
友達は気を使って先に帰ってくれた。
教室に一人になってしまっても、私は帰ることができない。
ここで帰ってしまったら、バレンタインでの彼の発言がなかったことになりそうで、かばんを机の上に乗せたまま、じっと座っていた。
帰ってしまった彼を待っていた。
十五分が経った頃、呆然状態から多少抜け出た私は、立ち上がってかばんを持つ。
「ああ、バカみたい……」
自分の心に投げかけて、言い聞かせる。
それでもなお、諦めきれていない気持ちを振り切って、私は教室を出た。
下駄箱へ行く間も、ずっと心中で何度も、馬鹿みたい、とあざ笑う。
そうすることで膨らむ悔しさもあるけれど、そう言い続けることで諦められる心もある。
下駄箱から靴を取り出して履き替える。
じっと下を見ていた私の耳に声が聞こえた。
「げっ、まだいたのか……」
言うがいなや、相手は反転して走っていく。
私はサンダルを下駄箱へ投げ入れて、そのまま彼を追いかけた。
さっきまで待っていた彼を――。
火事場の馬鹿力、とはよくいったもので、男子と女子が走ったところで大抵は女子が負けるに決まっている。
ただ、私は必死だった。ここで逃してなるものか、という気持ちだけで走っていた。
気が付いたら彼の腕を捕らえていた。離すまい、とがっちり両手でつかんでいた。
「俺より遅いはずだろ? なんで捕まるんだよ」
「む、無我夢中ってやつね」
必死の証は互いの息切れ。
息を整えながらも、やっぱり彼の腕は離さない。
「さて、と。どうして戻ってきたの?」
「言いたくねぇ」
「返事くれるって約束だったじゃない。破ったのはそっちでしょ」
「破ったわけじゃねぇよ。ただ、は、恥ずかしすぎて……」
私につかまれている腕を残したまま、彼が顔をそむける。
待ちぼうけをくらったいらだちと、彼をつかまえられた嬉しさから、私は強気で攻めていくことにした。
「何が? 恥ずかしいって何が?」
「だ、だってよ、お前。男が手作りなんて渡せるか? しかも、渡しながら返事する、なんて器用なことできるか? ……いや、できない。俺にはできない」
「するって言ったのはそっち」
「無理。恥ずかしいぞ、これ。難しいんだぞ」
「私は一ヶ月前にそれをやってのけたんだけど……?」
言い訳を諦めたのか、彼は私の手を振り切ってかばんを開ける。
透明なビニール袋を差し出した。しかも、輪ゴムでとめられている。
中には紙コップが二つ。紙コップの中からカップケーキだと思われるものが覗いている。
「うっわ、本当に作ってきたんだ」
感心というよりは感動していた。
彼は私に背を向けていて、その表情まではうかがえない。
「……さっさと食え」
いらだちだけではない、優しさのこもった口調で彼が呟く。
「え、もったいない。家でゆっくり食べる」
「じゃ、返事」
そう言うと、いきなり彼が振り向いた。
顔は真っ赤。耳まで赤い。
それでも彼は、目をそらしてはならない、と耐えているのか、まばたきが何度も繰り返される。
「は、はい」
必死な彼の姿に、私も思わず姿勢を正してしまった。
「お菓子なんて作ったことねぇけど……いや、当たり前なんだけどさ。楽しかったんだ」
返事だと身構えていた私は、普通の話に少し脱力してしまった。
うっかりしていると、はあ? と聞き返しそうなので、黙っていることにする。
「作るまでめんどくせえとか思ってた。作るのやめようか、とも思った。でも、受け取ったらお前はどんな顔すんのかな、とか考えたらすんげーやる気でた。…………うわ、だめだ、降参。ここまでしか俺には言えん」
彼が降参の意を示して両手をあげた瞬間、必死な雰囲気が一瞬にして緩んだ。
「……返事は?」
私の一言を受けて、彼の両目が見開かれる。
「言っただろ? いや、わかるようには言ってねぇんだけど……女子って恋愛話好きだろ? だったら、俺の言葉からこう……色々と察してくれよな」
告白の返事が、お菓子作りの話に派生するなど誰が考えつくだろう。
いきなり始まってしまったお菓子の話を返事と結び付けろというのは、なかなか難しい注文だ。
私なりに結び付けてみると、恥ずかしい結果が出た。
とたんに、彼の顔を見てられなくなり、私はうつむいてしまう。
「一つ質問……。察する方向としては、うぬぼれるのもあり?」
「う、うぬぼれ? ……ああ、あり、だな。むしろ、おおいにうぬぼれてくれって感じで」
「……じゃ、そういうこと?」
「……そういうこと」
第三者が聞けば、何のことかさっぱりわからないだろう。
私は告白の返事を聞いたし、彼は返事をした。
だから私は、静かに差し出された彼の手に、ゆっくりと自分の手を重ねた。
◇終◇
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