父の分のお弁当だけを作っていた時とは違う緊張感に包まれて、私は彼を待っていた。
片思いだった頃と変わらぬ調子で、彼が階段を下りてくる。
「えっと……こんばんは」
「あ、ああ……こんばんは」
互いにぎこちない挨拶を交わし、黙ってしまった。
いつもなら彼がうんざりした顔で下りてくるから、私は軽口を交えながら挨拶をすることができる。でも、彼がほんのりと口元を緩ませながら嬉しそうに階段を下りてくるので、私もいつもの対応ができなかった。
お弁当の入った袋を渡す。
「お願いします」
「……はい、了解です」
私たちをとりまく空気の重さは変わらない。
「一つはお父さんで、もう一つは……食べていいから」
「えっ?」
冗談で聞き返しているのかと思ったけど、彼は戸惑うように紙袋を見ている。
「だから……お弁当、食べていいから」
「マジですか?」
「くださいって言ったし」
「いや、言ったけど……やばいな」
「女子社員からのお菓子でお腹いっぱい?」
からかうつもりで言ったのに、彼は何も言わずに下を向く。
すぐに否定してくれると思っていた私は、彼の予想外の反応に不安とわずかな嫉妬をおぼえてしまう。
「食べたくないの?」
持って帰るつもりで、紙袋からお弁当を一つ取り出そうとした私の腕が彼につかまれる。
「……自分の予想以上に」
「な、なに?」
「……嬉しすぎて」
見れば、彼の耳は赤く染まっている。
「そ、それなら……いいんだけど」
つかまれた手が熱くて、私の頬も赤くなりそうだ。
私は紙袋に片手を突っ込んだまま、彼はその手をつかんだまま、私たちは何も言えずじっと互いにうつむいていた。
やがて、先に我に返ったのは私。
「離して、くれない?」
「ああ……悪い」
そう言いながらも彼の手は私をつかんだまま放さない。そこから滑るように手首へと移動した彼の手は、やがてたどり着いた私の手を優しく包んだ。
「お弁当……ちょっと自信ない」
彼がふわりと微笑む。
「だから……あんたが作ったのなら何でもいいんですよ」
重なっている彼の手が、大丈夫、と言うように私の手を強く握る。
「……そっか」
少し大きな彼の手を私も握り返して微笑んだ。
◇終◇
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