愛しい傷
 若者が溢れる通り。おしゃれな店やかわいい雑貨の店が並ぶ。ブランドの店はあまり見かけない。
 人々が、並んでいる私たちのアンバランスさに驚く。
 高校の制服を着た私と、黒のスーツを着ている彼――というか私のボディーガード。
「スーツはやはり居心地が……」
 ネクタイを緩めたいかのように、彼はずっと首元に手をあてている。
「怖そうに見えたほうがいいでしょ? 怖い人が隣を歩いていたら悪さもできないじゃない。そう思わない?」
 ネクタイに触れた彼の手が、今度はこめかみに残る古傷に触れる。昔、ナイフがかすった、という傷。
「ですが……この傷だけで十分……では?」
 彼が言うことにも一理ある。
 実は私も小さい頃、傷をたたえた彼の顔の怖さに泣いてしまったことがある。
 本音を言うと、スーツを着なくても彼は十分に威圧感のある顔をしていた。だが、顔の造作は意外と整っている。だからこそ余計に怖さが際立つのだろうか。
「スーツ、脱ぎたい?」
「見られるのには慣れていませんから」
 彼と歩いて話しながら周りを見る。
 確かに驚きながら見ている人もいるけど、女性の大半は、じっと彼を目で追っている。私はすでに眼中にないらしい。
「かっこいい……みたいよ」
 心の中では私も周りの女性たちと同じ気持ちだけど、認めたそぶりは見せられない。だから、代弁を装った。
「いえ、見かけの問題では……」
 言いながら、彼の手がさりげなく私を引き寄せ、あたりを睨むように見回している。
 肩に置かれた手のおかげで一瞬だけ思考が止まった。
 彼の性格からして、色恋沙汰でこのような真似をするはずがない。それもいきなり。
 可能性の高すぎる答えは一つ。私を引き寄せて守らなければならない事態が起きた、だ。
「どうしたの?」
「それは……私のセリフです」
「怪しいヤツでもいた?」
「それも……私のセリフです」
「どういうこと?」
「周りを見回していたのはお嬢です」
「だから?」
「怪しいヤツを見つけられたのかと……」
「それで周りを?」
「……はい」
 じっと私の肩におかれた彼の手は緊張を解いていない。
 その真面目さに少しおかしさを感じてしまう反面、守られていることに嬉しさをも感じてしまっている。
「周りの女性を見て」
「承知」
 歩みを遅くして彼を見ていた女性たちは、突然にらみをきかせてくる彼に驚いたのか、さりげなく足を速めていく。
「怪しい人、いた?」
「こちらをうかがうように見ている者がかなり」
 彼を目で追っていたのだから、うかがうように見えるのは仕方がない。その目が語る彼女たちの真意に、全く気づく様子のない彼。
 悪いとは思いつつも少しだけ笑いがこみあげる。
「気づいてないの?」
「やはり、怪しいヤツが?」
 おかれただけの彼の手が、今度は私の肩をつかんできた。
 怪しいやつなんていないことを知っているから、私は何も警戒していない。彼のことを想う女性として、つかまれた肩に息が詰まりそうだった。
 逃れようと上半身を動かしたけど、彼の手は離れてくれない。
 怪しいやつがいると思っている彼の警戒は容易にとけそうになかった。
「怪しいやつなんていないから離して」
「本当ですか?」
「本当に本当だから」
 肩の手が緩められる。
 ころころと変わる私の態度と、真意の見えない発言に、さすがの彼もおかしいと感じたらしい。けげんな表情でじっと私を見下ろしている。
「こちらをうかがっていた怪しい女性、じゃなくて、あなたに見とれていただけの女性。本当に気づいてなかったの?」
「あ、ああ……そういうこと、でしたか」
 照れる、というよりは、恐縮したかのように目線を下向けて、彼は私の肩を軽く払う。
「勘違いで触ってしまい申し訳ありません」
 払っている彼の指が少しだけ頬に触れた。
「い、いいって。それより、さっき言ったでしょ? かっこいいみたいだって。ほとんどの女性が見てたんだから」
 断りながら、なるべく普通に見えるように、肩を払う彼の手を制止する。
 手を引いた彼は、傷を指して苦笑いする。
「この傷があるうちは誰も寄ってきません」
「女の人と付き合ったこと、ないの?」
「ありません」
 飛び上がりそうなほど嬉しい、とは今の心境のことをいうのだろう。
 嘘をつくような彼ではないから、付き合ったことがないのはきっと真実。
 喜びを抑えるというのはなかなか難しい。緩みそうになる頬を抑えるのに集中しすぎて、口から出る言葉をとめられなかった。
「かっこいいのにもったいない」
 しまった、と思っても表情を変えれば、自分から白状しているようなものだ。
 彼に気づかれないように、と願ったせいか、即座に彼の言葉が続く。
「このような場にスーツの男がいると、お嬢様こそ声をかけてもらえません。だから、私は普通に見える服で離れて歩こうか、と」
「どうして、私が声をかけてもらわないといけないの?」
「ナンパ、に憧れているのでは……」
 この通りに入る前に彼に言ったことを思い出す。

『ナンパでもされそうな勢い。そういえば、ナンパってされたことないのよね。ちょっとされてみたい、かな』

 私としては、単なる独り言のような軽い呟きだった。だけど、彼はきちんと覚えていてくれたのだ。
 だから、彼はずっと居心地が悪そうにしていた。
 スーツは普段から着慣れているのだから、彼にとっては、今さら居心地が悪くなるようなものでもない。
 自分の言ったことに後悔と恥ずかしさがこみあげる。彼から目をそらした。
 同時に、気づいてしまった彼の優しさに嬉しさが増してくる。
「あ、憧れてないって。それに、ナンパのために、スーツ姿の隣を逃すのは惜しいし」
 嬉しくなる気持ちは止められず、自覚できるほどに気分が高ぶっている。彼の鈍感さにじれったさも感じている。
「スーツでしたら他にも……」
「ス、スーツの似合う人がいいの」
 気づいてほしいから、言葉と同時に視線もぶつけた。じっと彼を見つめた。
 しばらく見つめあう。
 私が降参しようかと思った瞬間、表情を変えないままの彼が口を開いた。
「怖いと泣かれた覚えがあります」
「あ、あれは……若さゆえの過ち」
 ふっ、と彼の表情がやわらぐ。
「若さ、と……十代で言われると私の立場がありません」
「年上でも全然かまわないけど?」
「傷があるせいか、よく暴力団関係者と間違われます」
「髪を下ろせば少しはかわいく見えるかもよ。傷のせいで女の人が近寄らなかったのなら、私にとっては好都合」
 こんな男でもいいのか、と試されているような気がしている。
 答えに詰まれば、彼に断られるかもしれない。だから、目をそらさずに本音をぶつけていくしかない。
 少しだけ彼がネクタイを緩めた。その手でこめかみの傷に触れる。つかの間、目をつむり、意を決したように開ける。
「こんなにきっぱりと言われる方だと思いませんでした」
「怖いし、逃げ出したいし、恥ずかしい。でも、わかってほしいの」
「最後に一つ。この傷が触れることができますか?」
「彼女になりたいな、って思ってたけど、最後ってことは、私はふられるの? ふられるなら触れない。触ったら泣く自信ある」
「……断る相手なら、傷に触れさせるようなことはしません」
 好きだとも、付き合うとも言われてないけど、私にとっては十分すぎる返事だった。
 私がゆっくりと手を伸ばす。
 少しかがんだ彼の傷に、私の指が触れた――。


 ◇終◇
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