眼鏡にはあげない・後編
──最悪なまま迎えてしまったバレンタイン当日。

 今日最初の授業のチャイムが鳴る。先生が来たので、少しざわついていた教室内が静かになった。
 日直の挨拶と共に、授業が始まり、皆が教科書などを広げる。
 私もノートや教科書を所定の位置に置き、シャーペンを握ったまま、じっと机にかけたバッグの中を見ていた。
 トートバッグの隙間から、かすかにラッピングのリボンが見える。彼の好みを密かにリサーチしたらしい夕子が教えてくれた、緑色のリボン。リボンの色が好みだからってチョコを受け取ってくれるわけではないけど、どうせあげるなら彼の好きな色にしたい。
 私は、ノートの下からそっと小さい紙を取り出す。白紙のメッセージカード。
 隣の席の彼を見て、そっとため息ついた。
(朝も普通に挨拶してきたし……。ああ、でもそれとこれとは別だよね)
 カードに薄い字で、好きです、と書いてみた。
 そして、隣の彼を盗み見る。
 即、消しゴム出動。
 書き出しはそれなりに思い浮かぶけど、書いてみると思ったよりも素っ気ない。
(バレンタイン当日に、好きな人の隣でメッセージ書くってのも変な感じ)
 頬杖をつきながら、じっとメッセージカードとにらめっこする私の視界の端で、ノートをとる彼の手が動く。
(あの手がチョコを受け取るのか。どんな風に受け取るんだろ)
 そんなことを考えながら、私はカードをノートの下へと滑り込ませる。そして、彼と同じくノートをとる。
 数行書いてから、ふと思ったことがある。ただ、さりげなく聞かないと恥ずかしいこと。
 私はシャーペンを置いて、心の中で気合のカウントダウンを始めた。
(3、2……1……)
「あの……さぁ」
 授業中とはいえ、朝はそれなりに教室内もざわついている。その雑音にまぎれるように、なるべく声を殺しつつ隣に向かって話しかけた。
 シャーペン片手に頬杖ついていた彼が、首だけ少しこちらに向ける。
「なに?」
 大きく息を吸う。吐くと同時に言葉を出せばいい。
「チ、チョコもらった?」
 気合を入れても、恥ずかしいものは恥ずかしい。バレンタインによくある質問なのに、相手が違うだけでものすごく恥ずかしい。
 彼が楽しそうに、私を試すように、にやりと笑う。
「……さあ?」
(もぉ、なんで答えてくれないの!?)
 私にとっては、とても重要なこと。渡す時の気合に関わること。
 真剣に焦りそうになる顔を、必死に平静へと変える。
「朝、下駄箱に入ってた、とか? もしかして、もらってない?」
 じっと私を見ていた彼は、前を向いて眼鏡を指で押し上げた。
 眼鏡にかかっていた前髪が少し揺れる。彼は、軽く眼鏡から髪を払って、またこちらへ首を向けた。
「……そっちこそ、下駄箱にでも入れてきたから、俺にそんなこと聞くわけ?」
 不意打ち。
「い、入れてない。ほら……もらったのかな、って思って聞いただけ」
 また、あの、にやり笑い。
「そんなに重要なこと?」
 気持ちを悟られないようにする話術は、かなり難しい。冷静を装っている顔が悲鳴をあげ始めていた。
「重要っていうか、あの……好奇心、かな?」
(これ以上追求するのはやめてぇ)
 ふんっ、と彼が鼻で笑う。
「少なけりゃ笑う。多ければ驚く。そんなとこ、だろ?」
 私は思いっきり首を左右に振る。
「そんな……。笑わないよ」
 つまらなさそうに、彼は首を前に向けた。そして、持っていたシャーペンをノートにはしらせる。
「バレンタインって、選挙みたいだな。カードに名前書いたりして……」
 シャーペンを動かしながら、彼が小さく笑った。
 私はノートの下に隠していたカードを取り出し、乱暴に彼の名前を書いて、隣の席へと丸めて投げた。
 怒りなのか、何なのか自分でもわからないまま、私は顔を下に向けてシャーペンを動かし始める。
 黒板を見て、彼の姿を視界から外した。
 私の机の端から、さっきの丸めたカードが広げて置かれる。
 カードの端を押さえている彼の指をたどり、腕へ、そして彼の顔を見る。
「……これ、何?」
 トントン、と彼の人差し指がカードを示す。
「投票用紙」
 そう言って、私はまたノートをとり始める。
 そこへ、カードがさらに私の視界へと入り込んできた。もちろん彼の指が押しているから。
「好きなやつに渡せば? 俺へのあてつけにカード使わなくても……」
 私はシャーペンを置いて、彼のほうへと向く。
「だから……」私の勇気が少し後退する。彼から目をそらした。「渡したんだけど」
 カードを押さえていた彼の指が唐突に離れ、カードが私の足下へと落ちる。
 それを拾い上げて、私は彼の机へと置いた。そして、彼の顔を見てしまった。
「お、おれ?」
 カードから離れた彼の手が、前髪をくしゃくしゃとかきまぜていた。顔は、私が嬉しくなるくらいに真っ赤。
 真っ赤な顔の中で、彼の目が私をちらりと見る。
「眼鏡ん中にはいないって……。たしかに言ってた、よ、な?」
 私も片手で前髪をいじる。彼の照れがうつったのか、私の頬がしだいに熱くなってきた。
「だって、恥ずかしかったし」
「もしかして、眼鏡、関係ない?」
 私の脳裏に、彼が目薬さすシーンが浮かぶ。
 男子を初めて綺麗だと思い、それ以来意識し始めるきっかけとなったあのシーン。
「関係、なくはない、と思う」
 私が彼の顔を見れるのはここまで。照れが限界にきて、じっと見ていられなくなった。机の上のノートをただじっと見る。書いてある文字列を眺める。
「眼鏡はずしたら、投票無効?」
「……見てみないとわからない」
「じゃ、外すから」
 眼鏡のフレームが重なる音がして、やがて、何かを置く音と共に二の腕をつつかれる。
 何の合図かはわかっている。私はゆっくりと、隣の席を見た。
「無効?」
 くいっと覗き込むように、彼が顔を近づける。
 昨日見た冷笑が嘘のように、今は不安げに私を見る彼の目がある。
 眼鏡の光を通さない目は、意外と可愛く見えたりなんかして、私はじっと見入っていた。
「……有効」
 聞き返されるかと思ったけど、彼は眼鏡をかけなおして、すぐに手を差し出した。
「チョコも欲しいんだけど」
「欲しいって……。今日のチョコの意味、わかってるよね?」
 彼はうなずいた。
「それでも、欲しい?」
 もう一度、彼はうなずいた。そして続ける。
「そっちがよければ……だな」
 自惚れてもいいはずなのに、強気で出てもいいのに、なんだか子供みたいな彼に、私は苦笑をもらしてしまう。
 座ったまま少しかがんで、バッグからチョコを出す。
 渡せる可能性五分五分だったチョコは、今、彼の手へ確実に渡ろうとしている。
 彼は唖然としながら、チョコを差し出した私の顔を見ていた。
「? ……受け取って欲しい」
「他のやつ用じゃなくて?」
「最初っからあげるつもりだったチョコ」
 彼は見開いた目で、おそるおそるチョコを受け取った。そのまま、即座に彼の机の中に差し入れる。
「本気のチョコ受け取ったと思っていい?」
 私も、おそるおそる聞いてみた。
 彼が強くうなずく。
「しかと受けとった」
 変な返事、と思いながらも私は何も言わなかった。
 私も彼もただ自分の机を見てにやけている。
 私は、こみあげる嬉しさを止めることができなかった。頬が緩むってこういうことなんだ、と感心していた。
 授業終了まであと5分。
 ノートにとらなきゃいけないことはたくさん。
 私も、彼も、急いでシャーペンを握る。
 揃った動作に、二人で顔を見合わせて笑った。


◇終◇
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