私が彼にチョコを渡してからちょうど1ヶ月。
今日は3月14日。
私の中学校では、今日は卒業式。
1年生は休み。私たち2年生は在校生として式に出る。でも、午前中だけ。終わったら皆、とっとと帰ってしまう。それは彼も例外ではない。
私たちは無事、付き合うようになったけれど、周りには内緒にしてるし帰りも別々に友達と帰っている。あの日、恥ずかしいから、とお互いが言い出して決めたこと。
だから、今日は卒業式。在校生として式に出るために学校に来た。それだけ。
ホワイトデーだってこと、彼は知っているのかわからない。ただ、小さな期待が私の胸で少しずつ膨らんでいるのはたしか。
「おはよう、沙智。昨日暖かかったのにさ、今日はすごく寒くない?」
私と彼のいきさつを唯一知る人物。私の友人の夕子が、手をこすりながら教室に入ってきて、即座に私の席へと向かってきた。
「おはよう。手袋は?」
夕子が、隣の席の椅子をひっぱってきて座る。
「面倒くさいからやめたけど、やっぱりつけてくればよかった、って後悔してる」
「私も探したんだけど見つからなかった。今日はお昼からだけど雪降るらしいよ」
「うわ、最悪」
風が吹いてガタガタと鳴る隣の窓を、夕子が嫌な顔をして眺める。
ほんとに最悪、と、私は苦笑しながら同じく窓を見る。
「あのさ、沙智」
ほのぼのと窓を眺めていた夕子が、真面目な顔で私を見る。
「なに?」
そこで笑うほど、私も付き合い浅くはない。
ふいに夕子が目をそらした。
「先輩さ、今日卒業するじゃない? で、花束買ってきたんだけど……。あ、かさばるから下駄箱のとこ置いてきたんだけどね。けど、私って未練ありすぎ?」
夕子は、一つ年上の先輩にバレンタインにチョコを渡し、同時に告白したけど、好きな人がいるってふられた。そんなに好きじゃなかったかも、と夕子は笑って、でもすぐ笑顔は涙に変わった。私はそんな彼女の姿を忘れてはいない。
「全然。先輩の卒業を祝う気持ちは、ちゃんと先輩も受け取ってくれると思う」
とたんに夕子の笑顔。
「そうよね。うん。今日の花束を機会に私も先輩を卒業する。……って、こんなセリフ自分が言うとは思わなかった」
「うん。夕子、かっこいい」
「それは、いつもだってば」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「……おはよっす」
夕子の後ろから聞こえる声。私の笑う顔がぎこちなくなる。
振り向いた夕子が、彼のおなかを軽く叩く。
「おはよ。あ、ごめんごめん。先生来るまで座ってていい?」
うつむいた私の耳に、二人のやりとりが聴こえてくる。
「勝手にどうぞ。あの花束、お前の?」
「そう。卒業を迎えた先輩にあげようと思って」
夕子の言葉を遮るように、彼が言う。
「俺の下駄箱遮ってて、邪魔」
夕子の下駄箱の上が彼の場所だったな、と思い出す。
「んじゃ、どうやって履き替えてきたの?」
「花をどけて」
「どこに?」
「下駄箱の上」
しばらくの沈黙の後、夕子が突然立ち上がる。
「下駄箱の上って埃だらけのところじゃない」
そのまま走って教室を出て行った。花束をそこから撤去させるだろうことは、さすがの私にもわかる。
彼は少し笑った後、空いた椅子へと座る。当然、夕子が座っていた時のままだから自然と私のほうを向くことになる。
「おはよう」
彼が椅子を自分の机の前へと戻しながら言う。
私はようやく顔を上げた。
「おはよう」
そこで彼は顔をしかめる。
「うっ、なまぬるい……」
「あ、夕子が座ってたから」
その微妙な彼の困り具合がおもしろくて、ついつい笑いが顔に出る。
彼は笑う私に軽く一瞥くれて、ぽつりと言った。
「あんたが座った後だったらよかったのにな」
しばらくの時間を要して、私がその言葉の意味を把握した時には、彼は赤くなって顔をそらしていた。机の上をじっと見ている。
(恥ずかしくなるくらいなら言わないでよ〜)
心の中で強気に突っ込みながら、私も下を向くしかできなかった。
そんな私たちの奇妙な沈黙を破ったのは、下駄箱から戻ってきた夕子だった。手には花束を抱えている。
「もう、ちょっとだけ埃ついてたのよ。沙智、こいつ笑ってなかった? ねぇ、笑ってなかった?」
夕子は軽く息をきらしている。
私は顔の熱さをごまかすように笑った。
「少し笑ってた」
「やっぱり。教室出て行く時、眼鏡のフレームが光ってた。何か企むみたいにキラーンって」
夕子が眼鏡のフレームをつまむ真似をする。
私も今度は普通に笑った。
彼は、顔を赤くしたまま、馬鹿にするなといった目で私たちを見る。
ひとしきり笑った後、先生が来て、夕子は席に戻っていった。
在校生は、式の行われる体育館に、卒業生より早く自分の椅子を持って入る。
椅子を運んでいる時、私と夕子のお尻が、彼の持つ椅子の足にこずかれた。
わざとだ、と私と夕子で抗議したことは言うまでもない。
式は眠くなるくらい無事に終わり、片付けも終えた私たち在校生は、最後のホームルームを終えた卒業生を迎えるために、下駄箱から校門まで両端に並んで道を作る。
好きに並んでいい、と言われたので、私と夕子は隣に並んだ。
彼も友達と、私たちの向かいに並ぶ。
「友達も企みに荷担させてる」と、夕子がキラーンの真似と共に私に耳打ちしてくるので、また笑いがこみあげた。
通る卒業生を拍手で送って、私たちは適当に解散していく。
帰る生徒はとっとと帰るし、先輩を囲んで花束を渡したり、写真を撮ったりする生徒もいる。なにはともあれ、卒業式の余韻をそれぞれに楽しむ。
夕子も、先輩に花束を渡している。
笑顔で受け取る先輩を見て、少し離れて見守る私も少し嬉しくなった。
どこに隠していたのか、使い捨てカメラで先輩と写真まで撮っている。
「あんたの友達すごいな。ちゃっかりしてる」
いつの間にか、隣に彼が立っていた。夕子に集中していたから気づかなかった。
「うん。でも嬉しそうだし……。友達は?」
「帰るってさ」
「帰らないの?」
「クラブの先輩に花束渡さないといけないから」
「渡さないの?」
「別に。ただの口実だから」
「そ、そっか」
友達に嘘ついて、こうして隣に立っている彼。
気づいたとたん、私の頬はまた熱くなる。
彼は、ズボンのポケットに両手をつっこんだ。
「じっと立ってたら、寒くないか?」
恥ずかしいから、本当は全然寒くない。寒さなんて感じていない。
「あぁ、うん。ちょっとだけ寒い、かな」
「そっか……」
それで終わってしまった会話に、私は少し悩む。
(気遣い? それとも寒いから帰りたいってこと?)
じっと夕子のほうを見ている彼の顔から、真意を読み取ろうとする。
(早く終わらないかな、とか思ってるのかな? あ、でも彼まで残る必要はないわけだし……?)
「あ、あの……」
帰りたいと思ってる? と聞こうとした私の言葉は、振り向いた彼の質問に遮られた。
「手、寒い?」
また、彼の突拍子もない質問。
「あ、手?」
私は両手を自然とさすっていたことに気づいた。
寒いとは感じていなかったけど、やり場のない恥ずかしさが自然と手に出ていたのだろう。
「そう、手。寒い?」
寒さなんて感じていないくせに、私はまた同じ答えを返してしまっていた。
「ちょっと寒い……と思う」
「ん……」
私の両手の上には手袋。彼が今ポケットから出した手袋が二つ。
落ちそうになる手袋を両手でつかんで、彼の顔を見る。あまりの出来事にどうすればいいのかわからないだけ。
「お、俺が使ってたやつじゃないからな。あ……新しく買ったから……。み、見るなよ」
私の視線に耐え切れずに彼が顔をそらす。
まだ、彼の言ったことがうまく把握できない。だから、やっぱり彼をじっと見てしまう。
「チョコのお返しする日、なんだろ? あ、違うのか?」
不安そうに彼が私を見る。少しだけかちあった視線に気づいて、私は目をそらした。
よく見れば手袋はやっぱり女物。値札も全て外されて、すぐに使えるようになっている。
私はそれを両手にはめて、握ったり開いたりを繰り返す。
そこで、ようやく彼に向き直った。
「ありがとう。すっごく嬉しい」
不安げな彼の顔に、再度赤が広がる。
「い、いや……」
「なまぬるいね、これ」
「俺のポケットに入ってたから」
「じゃ、いいや」
「ラッピングなくて悪かったな。すぐ使いますって答えてしまった」
前髪をいじる彼に思わず顔がゆるむ。
「女物なのに?」
「店員にも『はい?』って聞き返された」
寒さなんて関係なさそうなほど、彼の顔は赤い。
遠くから手を振って歩いてくる夕子に、少しためらってから手袋をつけた手を振った。
夕子は、『そいつが?』という風な顔で彼を指す。
私は赤くなっている彼を再度見て、大きくうなずいた。
「先帰るね〜」と、大きく手を振った夕子を、追いかけようとした私の腕を彼がつかむ。
「一緒に帰る」
そう言った彼に私の足は止まる。
しばらくためらってから、私は夕子に大きく手を振る。
そんな私たちの上から、小さな雪が降り始めた──。
◇終◇
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