テスト
「先生、今度のテストで私がいい点とったら何かくれる?」
 先生は、いつものように準備室へ入ってきた私を一瞥することなく、書類に何かを書き込んでいる。咥えていた煙草の灰を落としてから、また口に戻す。
「いい成績とるのは数学だけか?」
「当たり前でしょ。先生の担当なんだから」
「俺が社会担当なら?」
「社会をがんばる」
「国語なら?」
「国語をがんばる」
 ため息と共に紫煙を立ち昇らせた先生は、煙草を灰皿へ落として、ゆっくりとこっちを向いた。
「……俺が担当でない教科でいい点取ったら考えてやってもいい」
「本当に?」
「嘘でもいい」
「だ、だめ! 本当にして!」
「……とったら、な」
「……彼女にして、って言ったら?」
 先生が見せたのは、またその話か、と言わんばかりの困った顔。
「全教科」
「え、きついっ」
 即座に不平を漏らした私に、先生は苦笑して書類へとまた向かい始める。
「お前の言う愛とやらを見せてくれ」
 そう言った先生の目は完全に私から離れている。
 そう言えば、私が答えにつまることを見透かしている。
「成績以外で愛を示したらだめ?」
「それだけのもんだ、と受け取らせてもらおう」
「…………がんばります」
「……質問するならいつでも話を聞いてやる」
 後ろから先生に抱きついた。
「先生との愛のためにがんばるからっ」
 あわよくば頬にキス、なんてのも考えていたけれど、恥ずかしくてできなかった。
 慌てて準備室のドアを開けて、
「じゃ、じゃあね」
 と出た。


 本気で勉強した。いつも以上に勉強した。
 先生への愛を示せ、なんて言われたら、がんばるしかない。信じてもらうためにも。
 とにかく、本当に私なりにがんばった。
 会えるから、と何度も先生に質問しに行っていたら、自然と解けるようになった問題だってある。
 でも、さすがにそううまくはいかないのが現実――。


 返ってきた全教科の答案用紙を手に、ゆっくりと準備室のドアを開ける。
 幸い、先生しかいなかった。
 いつもは入ってきた私を一瞥して書類に戻る先生だけど、今日は煙草を灰皿に押し付けて、笑顔で迎えてくれたのだ。
「テスト、終わったな」
「うん。これ……」
 入ってきたままの状態で立っている私から答案用紙を受け取って、先生は一枚一枚確認していく。
 あの一枚にあたった時の先生の顔を見るのが怖くて、私はじっとうつむいていた。
 順調に動いていた先生の手が、ある一枚を見た時、ふいに止まった。その一枚をゆっくりと私のほうへと向ける。点数が見えるように。
 先生は何も言わずに私を見ている。顔を上げ、答案を見つめる私を。
「……がんばった、んだ、けど、な」
「悪いとは思ったが、お前の担任の先生に今までのテストの点数を見せてもらった。いい点、と判断する基準が必要だからな。これは……前回より悪くなってる。そうだな?」
「はい、間違いない、です」
 軽口を叩ける空気ではない。
 今、目の前にいるのは私の好きな人でもあり、先生でもある。そして、私はテストの点数を前回より下げた生徒。
 先生が、答案用紙をまとめて私に返す。
「俺は点数で生徒のがんばりを判断するわけじゃないが、今回、お前と俺の間で交わした条件は『いい点』だからな。彼女の件は、なし、だ」
 厳しい先生の言葉。当たっているから言い返せない。
 そんな先生だからこそ好きになったわけだけど、自身でその厳しさを体感すると、これがなかなか辛い。
「わかりました……。質問とか聞いてくれてありがとうね、先生」
 先生に向かって頭を下げ、私はドアへと手をかける。
「質問ならいつでも答えてやる。……数学の点数、教室に戻ったらもう一度確認しておけ」
 準備室を出た私の背後でゆっくりとドアが閉まった。
 数学の点数、どこかに修正でもあったのだろうか。
 持っていた数学の答案を開く。
 点数の横に書かれた数字。まるで電話番号のようで……。
 閉まったばかりの準備室のドアを思い切り開けて中へ入る。
「先生、これ! こ、これ!」
 一生懸命、電話番号であろう数字の羅列を先生に向かって指し示す。
 読んでいた本から顔を上げずに、先生はこう言った。
「……長電話は好きじゃないから、用事のある時だけにしてくれ」
「きょ、きょ、今日の夜、とかは?」
「勝手にしろ」
 先生は相変わらず私を見ないけど、少しだけ、その口元が微笑んだような気がした。


 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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→続編「電話だけ」
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