調査
 担任の先生との二者面談。
 卒業後は就職、と進路の決まっている私は、特に先生と話すこともない。
「就職、に変更はないな?」
「もう、面接する会社も決まってるし、特にないっすね」
「じゃ、何か相談事でもあったら言え」
 腕時計をちらりと見た先生は、そう言って机の上で手を組む。
 私も腕時計を見た。面談時間は一人あたり十五分あるけど、まだ三分ほどしか経っていない。次の生徒は時間にならないと来ないので、私が出て行ってしまえば先生は暇になってしまうのだ。
「先生、相談にのるキャラじゃないでしょ。暇だから?」
「そう、暇だから、な。今なら聞いてやってもいい」
 偉そうに言われてもなぜか腹が立たないのは、飾らない性格で生徒に人気の高い、この先生が相手だからだろう。ただ、飾らないがゆえに、面倒くさがりも隠さない。
「相談、ね……」
 とりあえず、肘をついて考えてみる。私も高校生だし、思春期だし、相談事なんてたくさんある。でも、こんなところで重たい話はしたくない。
 人がせっかく考え込んであげてるのに、先生は職員室の方向を眺めて、一服やりたい、と切なそうに呟く。そして、何か思いついたのか、嬉しそうにこっちを向いた。
「恋愛の悩み、どうだ? 俺も一応、彼女持ちだったことはあるからな。経験談くらいなら言えるぞ」
 机に身を乗り出した。先生の恋愛話が聞きたいからじゃない。恋愛の悩み、と言われて思いついたことがあるからだ。
 突然くいついたせいか、先生はあわてて、ちょっと待て、と私を制するように片手を挙げた。
「付き合った、と言っても二人だけだぞ。たいした経験談はないから期待はするな」
 私も片手を挙げる。
「先生の経験談はどうでもいいの。ね、先生同士ってさ、仲良かったりする?」
 んー、と唸りながら先生は腕を組んで、眉根を寄せる。
 仲良いか否かの返事をするだけのに、何を悩むことがあるのだろうか。
「難しいところだな……。付き合いで飲みに行ったりすることはあるし、同じ職業だから話が合うこともある。だが、仲良いのかどうかは俺にもよくわからん」
「うわ、役に立たないなぁ」
 答えを聞いた瞬間、思わず洩らしてしまった私の呟きに、先生は、ん、と顔を上げた。
「どういうことだ?」
 さらに、腕を解いて、詰め寄ってくる。肩へ垂らしている髪をつかまれた。
「お前、俺に何をさせようとしてるんだ?」
 顔を後ろへ下げ、距離をとりながら、先生の手から髪を抜き取る。
「怒らない?」
「とりあえず、言え」
 私が怯えていると気づいたらしい先生は、机から体を離し、背もたれに体重を預けた。いわゆる、ふんぞりかえる、に近い態勢となる。
「隣のクラスの津田先生と話したこと、ある?」
「津田先生?」
 話の続きを言おうと私が口を開いたとたん、先生が手で机を叩いた。にやりと微笑みながら、身を乗り出してくる。
「ははぁん……俺はわかったぞ。言い当ててやろう。さてはお前、津田先生に惚れてやがるな?」
 生徒の好きな人を当てて、してやったりといった顔をする目の前の教師の態度に、少し頭を抱えたくなった。
 付け加えておくと、先生はふだんから負けず嫌いだ。優位な位置に立つと、大人げないくらいに喜ぶところがある。
 そんな先生の性格はさておき、見事に言い当てられてしまった私は、恥ずかしくなって動揺してしまう。
「先生、ちょっと、鋭すぎない?」
 私の驚きが先生をさらに喜ばせてしまったらしい。満面の笑みでふんぞりかえっている。
「変なところで勘がいいんだ、俺は。彼女の浮気を言い当てて別れたこともある。だが、残念だったな。俺は津田先生のことなんか、ほとんど知らないぞ」
 何も持ってない、という風に先生は両手を広げて見せた。
 役に立たない、の言葉をため息へと変えて、先生に向かって吐き出す。
「彼女いるっぽい、とか知らない?」
「え、それ、マジで?」
 先生は驚き、好奇の目を向けてきた。
「なんとなく、だけどさ。いる気がするんだよね。そこら辺のリサーチを先生に頼み……」
「やる、やる」
 ウキウキの声を出す、気持ち悪い大人の男性が目の前にいた。
「できるの、先生?」
「気になるんだろ?」
「なるけど……バレないように。津田先生って勘が良さそうだから」
「バレてもお前のことは言わないさ」
 肩をすくめた先生に向かって、私は手を差し出す。
「じゃ、お願いします」
 先生が私の手を握る。
「了解」
 先生――男性と手を握ることなんてめったにないせいか、大きくて骨ばった手に少しどきりとしてしまった。


 そして、翌日――。また、私は先生と向かい合っていた。
 ホームルームの時、もう一度面談する必要があるので最後の人が終わる頃に来るように、と言われたのだ。
 もちろん、面談が口実であることはわかっている。用件は、リサーチの結果報告、といったところだろう。
「先生、昨日の今日で、もう?」
「ああ、あの後、津田先生を飲みに誘った」
 答えながら先生は、面談に使ったらしいプリント類を仕分けしながら、ファイルにしまっている。
 私は、ぽん、と手を打った。
「酔えば口が軽くなる」
 先生が手を止める。
「……と、思うか?」
「少しの酔いでは口は軽くならない、かな」
「正解」
「だったら、どうやってリサーチしたの?」
 聞き返したとたん、先生はまた手を動かし始める。黙ったままで、答えを返してくれない。
「……見ちまったんだよ、たまたま、ションベン行った後に」
 手を伸ばし、後ろの教卓に片付け終わったファイルを置いた先生は、大きく一度伸びをして、机に肘をついた。
「もうちょっと詳しく」
「雑談はすれど、個人的なことは全然話してくれないんだよ、あの先生は。まあ、ションベンが近くなって俺はトイレに行った。で、席に近づいた時、津田先生が携帯を取り出したんだ。画面をじっと見ていたせいか、先生は俺には気づかなかったんだろうな。後ろを通って、何気なく目を落とすと、文字が読めたんだよ、メールの」
 得意げになるかと思いきや、先生はそこでため息をついた。見てしまって後悔している、とでも言うかのように。
「内容は?」
 先生がため息をつくから、なおさら、その内容も気になる。
「先生、飲みすぎには注意してください。私は明後日からのテストに備えて現代文を猛勉強中です。ご褒美忘れないでください。……というようなことが書かれていた。相手のこと、だいたいわかるだろ?」
 私は驚きながらもメールの内容を整理し、行き着いた答えに、先生と同じく大きく息を吐いた。
「彼女いたんだ、っていうより、まずいよね。これ、絶対に生徒だよね」
「しかも、だ」先生が教室後方の今月の予定が書かれた黒板を指す。「明後日には何がある? いや、明日だな」
 体をひねって、後方の黒板を見ながら、そこに書かれた予定を読む。
「学年別実力テスト……」
「ここからは、教師だからわかることだが、実力テストは学年ごとに一日ずつずれて行われる。明日にテストがあるのは三年生だけ」
 後ろから聞こえた先生の解説に、つまり、と返して体を戻す。
「彼女は私と同じ三年生!」
 津田先生の彼女のさらなる情報に興奮して、大きな声で答えてしまった。
「声、でかい……。まあ、うちの生徒ってこともほぼ間違いないだろうな」
 私とは対照的に、先生は興味なさそうな顔で、始終、話している。
 そんな先生の表情に、私もしだいに冷静さを取り戻していく。ふう、ともう一度、改めて嘆息する。
 先生が口をにやりと歪ませた。
「バレたら生徒は退学、教師はクビだ。今すぐ校長に言いに行くか? 俺が証人になってやる」
 私は首を振った。
「それは……やっちゃだめな気がする。彼女いるのはショックだけど、そっとしといてあげたい」
 ドラマみたいなセリフな気がして、ちょっと恥ずかしかった。
 先生は、かすかに驚いた表情を見せ、
「いい女だ」
 そう言って微笑んだ。
「え、普通でしょ」
「いやいや……」
 先生が、ひらひらと手を振る。
「俺がお前だったら、そのネタで津田先生を脅すね。バラされたくなかったらデートしろ、キスしろとか、そういういやらしいことは思いつかんかったか?」
「思いつくわけないって……」
 デート、キス、と単語を聞くたびに、津田先生と自分がそういうことをしているシーンを思い浮かべてしまう。さらに、先生が言葉にしていないことまで……。
 そんな私を見て我慢できなくなったのか、ははっ、と先生は笑った。
「想像だけでそんな風になってりゃ、無理だろな。まあ、結果はわかった、ということでこの話は終わりだ」
 津田先生に彼女がいたのには驚いたけど、ショックで悲しいという感情は湧いてきていない。好きな芸能人が結婚した、と同じくらい、いまいち現実感がない。
「生徒でも彼女になれたりするんだね。先生も、生徒を恋愛対象として見られる?」
 笑いを収めた先生は、真剣な表情で私と目を合わせ、
「見られる」
 と言い、ついていた肘をほどき、軽く背筋を伸ばした。
「年齢で気持ち止められないから、津田先生は生徒を彼女にしたんだろ。でなければ、誰が生徒なんて面倒くさいもんを彼女にするか」
「先生だったら、しない?」
 絶対に肯定するだろうと思って質問をぶつけたけど、先生はわずかに考え込む表情を見せた。
「わからない。ただ、彼女にした以上は俺も腹をくくって守るだろうな」
 そんなかっこいいセリフを、先生がなぜかじっと私を見ながら言うので、自分が彼女にでもなったかのように気恥ずかしくなる。
「ふーん、そうなんだ」
 興味なさそうにそう返すのが精一杯。
 ガタという椅子の音と共に、先生が立ち上がる。思わずびくりと震えた体をごまかすように、私も立ち上がった。
「お前との二者面談も今日でお開きだ」
 先生がふいに寂しそうな顔をする。
「ですね。ありがとう、先生」
 先生らしからぬ表情に冗談を返すこともできず、私は机の横にかけてた鞄を肩にかけた。
 話の途中から、少し歯車がかみ合わないような、どうにも気持ちの悪い雰囲気が漂っている。先生もらしくないけど、なんだか私もらしくない。
「さようなら」
 教卓のファイルの中身を広げ始めた先生は、軽く手をあげる。
「ん、さようなら」
 教室を一歩出て、反転してドアを閉める。ドアと向き合ったまま、大きく息をついた。
 津田先生の彼女、さっきの先生の顔、居心地の悪い雰囲気、といろいろなことが思い出される。
 帰ろう、と廊下を見て、私は飛び上がるかというほどに驚いた。
 廊下に置かれた一つの椅子。それは、二者面談で待つ間、生徒が座るもの。そこに、津田先生が足を組んで座っている。
 津田先生は無言で人差し指を口にあてた。静かにしろ、ということだ。
「今から、私と二者面談をしましょう」
 津田先生は立ち上がり、隣の教室へ入っていった。
 返事の間すら与えられなかった私は、わけがわからないまま後を追って教室へ入る。
「閉めてください」
 後ろ手にドアを閉める。
「適当な席に座って」
 目の前の席に座った。机に鞄を置く。
 先生は立ったまま、席の前まで来て、背後の壁へともたれる。
「君に一つ聞きたいことがあります。昨晩のことを聞きませんでしたか? 本当なら君が知るはずのない情報を、誰かが洩らしたりはしませんでしたか? 君が面談中に出した大きな声に、少しひっかかることがあるのです」
 呼び出された時点で、だいたいの予想はついていた。だから、津田先生が何を遠回しに言っているかもわかった。
「口止めですか?」
 津田先生が私の指で頬をたどり、やがて顎をすくいとる。さらに、先生の顔が至近距離へと迫る。
 惚れた弱みというやつだ。先ほどまでの恐怖心が一気にときめきへと変わった。キスされる、との期待が高まる。
「口止めなどととんでもない。お願いです」
 眼鏡の奥にある津田先生の目が、じっと私を見ている。夢にまでみた光景、とはまさにこのこと。
「お願い、って?」
「あの子のことを黙っていてほしい。……そうですね、黙っていてくださるなら、このまま顔を近づけてもいいでしょう」
 先生は口止めのためにキスしてくれるだけ。それは私の気持ちなどおかまいなしのとても空しいこと。それでも、目の前の笑顔があまりに綺麗で、私は首を縦に――。
「津田先生、うちの生徒に何してくださってんですかね?」
 ドアを開いてそう言ったのは私の担任で、リサーチを請け負ってくれた先生。明らかすぎるほど、津田先生を睨んでいる。
 そんな先生の言葉に、津田先生はあっさりと手を離した。その表情に、驚いた様子はない。
「先生、昨晩、口止めを頼んだはずですが、校長への密告をそそのかし、さらには脅しに使え、でしたか? この生徒はそれを全て断った。そのことに対してのご褒美です。もちろん、先生に対しての罰となることも承知しています」
 津田先生が微笑めば微笑むほど、入り口に立つ先生の顔から睨みが消えていく。
 私には、津田先生の言っている意味は全然わからない。
「どういうこと、ですか?」
 津田先生は入り口へと向かい、立っている先生の肩をぽんと叩く。
「同じ立場になれば、口止めの必要もなくなります」
「つ、津田先生、あんた……」
「昨晩は楽しかったですよ。先生のことが色々とわかりました。また、誘ってください」
 そう言って津田先生は、先生を中へと押し入れ、ドアを閉めていった。廊下に響く足音が小さくなる。
「あんたなんか誘うかっての。面談を盗み聞きするなよ、教師が……」
 無理やり入れられた先生は、閉められたドアに向かってブツブツと文句を言っている。
 口を挟むのも悪い気がしたので、とりあえず、先生の気が収まるまで待つことにした。
 あー、だの、くそー、だのと言っていた先生だったけど、やがて静かになった。
 先生がぎろりと私を見る。
「お前も、誘惑にのるな」
「先生が邪魔した」
「ああ、悪い、悪い。そりゃ、残念だったな」
 謝る言葉にも気持ちはこもっていない。やけ気味に言い放った先生に、一番の疑問をぶつける。
「そこなんだけど、私はキスできてラッキー。どうして、先生に対しての罰になるわけ?」
「……さあな」
 壁にもたれた先生は、腕を組んで、窓のほうを見た。余裕そうに聞こえるけど、人差し指がせわしなく腕を叩いて動揺を表している。
「津田先生の同じ立場に、ってどういうこと?」
「さあ、な」
 先生の瞼がぴくりと動いた。
 はぐらかされるのならばしかたがない。自分で考えてみることにした。
「先生への罰はわけわからないから置いとくとして、同じ立場、口止め、ということから察するに、生徒と付き合うってこと、かな?」
 あ、と声をあげると、先生はびくりとこっちを見た。何かに怯えているように見える。
「先生、彼女にしたい生徒がいるんだ。そう考えると、変にリアルだった答えも納得できる」
 先生からの答えはない。自分の腕を見つめて、じっと何かを考え込んでいる。やがて、組んでいた腕を解いて、
「言うしか、ない、か……」
 諦めたようなため息をつき、面倒くさそうに呟いた。
「待ってました」
 何かの決意を固めた先生を小さな拍手で迎える。
「能天気も今のうちだ」
 先生は、私の隣の席へ、向かい合えるよう横向きに座った。
「あの晩、酔って口が軽くなったのは俺のほうなんだよ。あのメールを見た後に俺は愚痴ついでにバラしちまったんだ、リサーチしてることを」
「先生、あっさり言いすぎでしょ」
「同じ境遇の先生に親近感が湧いてな。俺も気にかけている生徒がいること、津田先生に彼女がいるか確かめてほしいと頼まれたこと、そして……」
 先生が言葉を止める。生徒を恋愛対象として見られる、と答えた時と同じ目を私に向けていた。
 ふいに、あの居心地の悪い空気が流れ込んできた。早く続きが聞きたいのに、それをうながす言葉が出てこない。どうして焦らすのか、とつっこめない。
 目をそらそうとした時、先生がようやく口を開いた。
「それを頼んだのが俺の好きな女だ、ということを……俺は、津田先生に話した」
 教師と生徒ではないこの嫌な空気は、先生が作り出していたものだったのだ。でも、逃げ出したいとは思わない。
「頼んだのは私。だから先生が好きな人って……」
「お前だ」
「う、そ……嘘、よね?」
「これで、津田先生の言葉とつじつまが合わないか?」
 津田先生の言葉を思い出す。
『そのことに対してのご褒美です。もちろん、先生に対しての罰となることも承知しています』
 津田先生からのキスは私へのご褒美。でも、それは私を好きな先生にとっては、別の男性とのキスシーンだから――罰。
 呆然としながらも、私はうなずいた。
「合っちゃった」
 先生は苦笑いを浮かべ、がしがしと頭を掻き、
「言っても困らせると思った。こんな大事な時期に……」
 背筋を伸ばして両手を膝の上へ置いた。
「俺は断られる覚悟もできてるし、明日になれば記憶から抹消してくれてもいい。教師として、俺自身として、お前の進路の妨げにはなりたくない」
 正直、先生への気持ちは曖昧だ。私自身もよくわからない。
「ずっと津田先生を好きだと思ってたし、先生のことは好きなのかわからない。……でも、好きって言われてドキドキしてる」
 未熟すぎる答えは、先生にどういう反応をさせるのだろう。怒らせるのか、困らせるのか――。
 そのどちらでもなく、先生は優しく微笑んだ。
「しかたない……。津田先生に勝てるとは思ってなかったし、俺はただの担任だからな。断られるのも無理はない」
「先生の彼女になれない、の?」
 先生の言葉を聞いた瞬間、湧き上がる悲しさに押されるままに呟いていた。
 言ってしまってから、曖昧な気持ちの中で、一つだけ形になっているものがあることに、ようやく気づいた。
 私は、先生の彼女になりたい。
「お前……好きかわからない、と言った……だろ?」
 あまりの驚きに、目を大きく見開いて、先生は途切れつつ言った。
「彼女にした以上は腹くくって守るって、言ったのに?」
 だから、と先生は両手で私の肩をつかんできた。
「お前が俺を好きであれば、の話だ」
「わからないけど、彼女には、なりたい」
「……ちょっと待て。好きかわからないけど彼女になりたい、だ? 俺はどう受けとりゃいいんだ? 彼女にしちまったら歯止めきかないぞ?」
「歯止め?」
「キスもすりゃ、抱きしめもする。俺の気持ちを受け止められるのか?」
 単語を聞くたびに、私の想像力がイメージを脳に送り込んでくる。津田先生じゃなくて、今度の相手は先生だ。
 頬が熱くなっていくけど、今は見逃してほしい。先生を相手に想像しているのだから。
 想像しているうちに、なんだか体験してるみたいで嬉しくなってきた。
「先生なら、嫌じゃない。受け止められるかも……」
 そう答える私は、確実ににやけていただろうと思う。
「生徒ってだけでも面倒くさいのに」
 肩をつかんでいる先生の手が、私を引き寄せる。
 耳に先生の息がかかった。
「訂正きかないぞ?」
「大丈夫だって」
「もう、津田先生のキスにのるなよ?」
「……大丈夫」
 先生が、私の肩をつかんでいる手を伸ばす。先生と離れた。
「なんだ、今の間は? 誘惑にのらないように、俺が先にしといてやる」
 先生の指が私の顎をつかみ、もう片方の手は、私の後頭部を引き寄せようとしている。
 何を『先にしといてやる』なのかわかった私は、逆らわずに目を閉じ――。
「まだいたのですか……。最終下校のチャイムが聞こえませんでしたか?」
 ドアを開けた津田先生によって遮られた。
 津田先生を見上げた先生は、どうすればいいかとまどう私の頭を肩へ寄せた。
 先生の肩に顔を伏せているので、二人の顔は見えない。
「津田先生、あんた、確信犯だろ」
「見回りの時間になっても気づかない先生のミスではありませんか?」
「気をきかせてくれても……」
「無事に通じ合えたようでなにより。ですが、見つかれば教師はクビ、生徒は退学。そう言ったのは先生では? 私のあの子も、先生のその子も、校内では過敏になるくらいでないと守れません」
 先生の手がぽんぽんと私の頭を叩く。
「そう……ですね。俺が軽率でした」
 先生が私から離れる。肩をつかんでいた手も離れてしまった。
 津田先生は厳しい目で私たちを見下ろしていて、目の前の先生は悲しそうに笑っていた。それが痛々しい。
「先生、彼女にしてくれなくていい。なんか、よけいに迷惑かけてる気がするし」
「それでは意味がない」
 私の言葉に答えたのは津田先生だった。
「私は、好いた生徒のために覚悟を決めました。そんな生徒の存在がめい……」
「迷惑だったら、生徒なんて面倒くさいもんを彼女にはしない」
 津田先生を遮って言葉を引き継いだのは先生。悲しい笑みは真剣な表情へと変わっている。
 津田先生は、指で眼鏡を上げ、
「先生が校長に呼び出されることでもあれば、私が助けに行きましょう」
 と、にやりと笑った。
 先生は小さな舌打ちで返す。
 私は、よろしくお願いします、と頭を下げた。
「よくできた生徒さんです」
 そう言った津田先生に、
「もう口止めは必要ないですから、俺の女に手、出さないでくださいよ、津田先生」
 不敵な笑みを浮かべながら、先生は私の肩を抱き寄せた。
 津田先生への挑戦心から、先生は私の肩を抱いただけかもしれない。でも、私は『俺の女』という聞き慣れない、くすぐったい言葉にこっそり一人で悶えていた。


 ◇終◇
読んでくださってありがとうございました
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今後の創作の励みにさせていただきます。
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