「組織長が! 長がやられたらしいぞ!」
同僚の叫びが、静かな建物にこだました。
長の部屋に入った俺を迎えた兄の姿は──朱い。流れる血に、体をうずめている。その顔は微笑んでいた。だが、それが、よけいに気持ち悪かった。
殺されたくせに、なぜ笑っていられる? 俺が今まで殺してきた奴らの死に顔は、みな、恐怖にひきつっていた。微笑む者など一人もいなかった。
俺は、なぜ気持ち悪いと思うんだ? 流れる血など、数え切れないほどに見てきたはずだ。血の中にいる死体も……。
そして、なぜ、ここにあの女の銃が転がっている? 彼女は、なぜここにいないのだ? 恋人が殺されたのに、なぜ駆けつけて来ない?
自分の部屋に戻ったが、疑問符は今だ消えてはくれない。
「残念だったな。どうやら、お前の兄……いや、組織長は自殺だったらしい」
俺の部屋のドアごしに、よくつるんでいる同僚の声がした。
「ああ、そうか……」
あいまいに返事を返した。
「お前は、しばらく休んでいいそうだ。じゃ、な。しばらく話しかけねえからな」
同僚の足音が遠ざかる。
俺は出かける身支度を手早く整えて、副長の部屋へ行った。
「ああ……お前か、どうした? しばらく休んでいいと聞かなかったか?」
ノックもせずに入った俺を、穏やかそうな老人が迎えた。か弱そうな老人に見えるこの副長は、しかし、目だけは野心でぎらついている。
「組織長は殺されたんだろう。自殺ではないはずだ」
豪奢なデスクチェアに座り、書類に目を通していた副長だったが、俺の言葉を聞いたためか、書類を置いて煙草に火をつけた。
「……どこで知った?」
「現場を見ればわかる。あそこに落ちていた銃は、あの女の銃だ。兄のものではない」
紫煙を口からくゆらせて、副長はデスクの上に身を乗り出した。
「ほお、だてに兄弟ではなかった、ということか。そうだ、お前の言う通り、おそらくあの女が殺したのだろう。探させていたが、どこにも見当たらないらしい」
「副長、あんたらの差し金か?」
「……違うな。信じる信じないはお前の自由だが、あの女が簡単に我々の言うことを聞く、とは思えんだろう? 二人に何があったのか。とにかく、組織長はあの女に殺された」
副長は、にやりと笑った。「──お前は我々が殺したと思っているのか? 復讐に来た、というなら誉めてやるべきかな」
まるで聞こえていたかのようなタイミングで、副長の取り巻きが数人部屋に入り込んできた。
今の俺が、彼らに殴られたりする理由などない。怯える必要もないので、淡々と用件だけを告げた。
「いや、あんたの言う通り、あの女が誰かの言いなりになるとは思えんからな。兄の死は自殺にでも何でも好きにしろ。ただ、あの女は組織長を殺した。そして逃げている。俺は組織の者として、あの女を追わせてもらう。そして、俺の手で……。それを告げに来ただけだ。あんた、もとい……」
俺は後ろの取り巻き連中を指した。「あんたらとやり合う気はない」
「……よかろう。許可しよう。ものわかりのいい若者を殺す趣味もない。後は私がうまくやっておく。お前は好きにするといい」
「……あんたの『うまくやる』は信用ないが、今はどうでもいいことだ。俺は勝手にさせてもらう」
俺をにらむ取り巻きを無視して、副長の部屋から出た。
「兄の遺品をもらいたい」
組織長の部屋の前に立つ男に告げる。
「ああ、好きに持っていきな。まだ片付いてねえから、見ないようにしろよ」
男が入り口を開ける。
俺は中に入ってドアを閉めた。
兄の遺体には布がかぶせられていた。だが、染み込んだ鮮血は、その布さえも朱に染めようとしている。
俺は、落ちていた銃を拾い上げた。
あの女。兄の恋人であったはずの女。そして、兄はこの銃で殺された。
真っ赤な死体が頭に浮かんだ。気持ち悪い。上がってくる胃酸を飲み込んだ。
血を想像したくらいで吐くほど、自分はやわではないはずだ。
人に殺された死体を見るのが、初めてだからなのか?
自分の身内の死体だからか?
それとも、あの女が殺したと考えるからか?
なぜ、そう思った?
自身のことだが、わからない。ただ、頭に浮かんだ。
そうだ。疑問はまだ残っている。
──なぜ、兄は笑っていたのか。
──なぜ、あの女は兄を殺したのか。
答えはいずれ見つかるかもしれない。
だが、やはり、全てを解く鍵はこれから行く先にある。
追わなければならない。
そして、聞かなければならない。
──あの女に。
◇終◇