5話:ふたつの心
 無機質なドアを開けて外へ出ると、ただ、的だけが並べられた射撃訓練の場が用意されている。
 特別な規制は何もない。ただ、各々が好きなように自分の銃で的を撃つ。
 私は持っていた銃を撃った。夜が明けて1時間の空に、何者にも邪魔されず音が響き渡る。
 的を確認するまでもない。真ん中か、そうではないか。見るのはそれだけでいいのだから。
 教えれば教える通りに腕を上げていったと評される私にとって、射撃は訓練ではない。朝の体操のようなものだ。真ん中を外すようであれば、その日は調子がよくない。もちろん任務も断る。
 体操は朝にする。だが、射撃訓練を朝、それも早くからやる者は少ない。いや、皆無に等しい。なので、この場には私以外誰もいない。
 もう一度撃ってみた。
 私の手から広がるように耳に残る音。
 銃にこめられた弾が無くなるまで、たて続けに撃った。引き金にかけた指を離さず、周りに反響した音が消えるまでじっとしている。
 大きく息を吐いて、ポケットから出した弾を新たにこめていると、大きな音の後、隣の的に一つ穴が空いた。的確に真ん中をとらえている。
 撃った主が私の隣へと立つ。
「おはよう」
 気分が良かったのかもしれない。彼に挨拶をしてしまった。いつもなら黙ってお互いに撃っているだけで、言葉を交わすこともないのだから。
 銃を構えた彼が少し驚いた顔でこちらを見る。声をかけた私ですら驚いているのだから、その反応も当たり前かもしれない。
「ああ……」
 うなずいた彼はまた的を撃つ。
 私はチャージした銃を服の下へと戻した。今日は、なぜか急に撃つ気がなくなった。それが彼のせいだとは思いたくない。
 2、3発撃った後、懐に銃をしまい、彼は私の足元に転がる空薬莢を拾い上げた。彼の足元に落ちたばかりの薬莢も拾っていく。
「まさか、いつも私が帰った後に拾っていたの?」
 彼が、手に持っていた一つを私のほうへ差し出してくるので、疑問を残したまま、それを受け取った。
「たかが、と思うだろうが、こういう些細な物から足がつくことがある。任務のたびに現場に残しているのなら、お前が捕まるのも時間の問題だな」
 渡されたばかりの薬莢を、彼に向かって放り投げる。彼にあたったそれは、独特の音を立てて、草の中へ転がっていった。
「私の指導はあなただったわよね?」
 先ほど私が投げた薬莢を拾い上げて、彼は口元をわずかに歪める。
「……お前は兄がよかったのだろうが」
 彼がここまであからさまな皮肉を言うなんて珍しい。薬莢を投げつけたのが悪かったのか。
「私の指導担当は薬莢のことまで教えてくれなかったわ」
 手に持っていた空薬莢を指でもてあそびながら、彼が微かに鼻で笑う。
「教えるほどのことでもない。優しい指導が欲しいなら恋人の下へ行け」
 彼が発した『恋人』という4文字の韻が私の耳にずっと残り、それが微かなもやを生み出している。それがしだいに苛立ちへと変わりだす。
 どうしてなのかは私にもわからないが、最近こうしたことが多い。それも彼に対している時だけ。
「銃の腕はあなたのほうが上じゃない」
「俺は一度は断った。お前の指導などする気はなかった」
 彼の手の中にある薬莢が、かちかちといらだったような音を立てる。
 うるさいと彼の手を引っ叩いてしまいたい衝動にかられる。だが、そんな考えを起こす自分に驚いた。
「嫌なら、断り続ければいいじゃない。あなたなら簡単なはずよ。あの人を指導担当に薦めればいいのだから」
 もてあそばれていた薬莢が、彼のポケットへと落とされていく。
 私はふいに目をそらした。今まで虚空を眺めていた彼の目が、突然私の目を見定めてきたから。
 頬の熱が上がってくる。それももちろん、どうしてなのかわからない。
 彼が収めた銃を取り出して構える。
「兄を薦めればよかった、か。気付かなかった。そうすれば丸く収まっていた。お前の気持ちも、俺の気持ちも……」
「あなたの気持ちってどういう……」
 顔を上げて問うた私の声は、彼の一発の銃声にかき消された。確かに声は発したが、彼の耳に届いてはいないだろう。
 彼は無言で踵を返した。そのまま歩き出す。
「お前の傍にいたくはなかった……」
 最後に低い呟きを残した彼。聞き取りにくいはずのそれは、不思議と私の耳にしっかりと届いてしまっていた。
 瞬間、追いかけようとした私の足は、何かに押さえつけられたように止まり、多大なショックが体を地に縛り付ける。驚きと寂しさに呆然と彼の後ろ姿を見送るしかできない。
 彼と話を始めた時から胸に広がり出したもやが、固体へと変化する。自覚したくはない一つの答えをはじき出そうとしている。
 それを撃ち砕くため、私は銃を取り出し、先ほど彼が撃った的に照準を合わせる。
 一発。
 音が、鳥の羽ばたく空へ、煙と共に消えていく。
 足元に落ちた空薬莢を拾おうとかがんで地を見た時、思わず苦笑した。
 並んでいるのは彼と私の空薬莢。寄り添うようにも見える。そう思った瞬間、立ち上がった私はつま先で二つを引き離した。
「私の恋人はあの人だけ。傍にいたいと言ってくれたわ。──彼とは違う」
 撃ち抜いたはずの気持ちは、二つを引き離したつま先を責めたてる。
 二つの空薬莢を拾い上げ、そっとポケットに入れた。
 カチャリと鳴る音に、確かに暖かくなる気持ち。
 答えを導いたはずの、その正体に気付かないふりをして私は歩き出した。


 ◇終◇
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