彼の部屋から女性が出てきた。しかも、服装をかなり乱している。ドアを強く睨んで女性は去っていった。
彼の部屋から人が出てくることなどめったにない。しかも、今回は女性。
部屋の前を通り過ぎればいいのに、先ほどの光景に対する好奇心を止められなかった私は、思わずドアを開けていた。
入ってきた私を狙う銃口と睨む彼の目。
「ずいぶん物騒なもの向けるのね」
「……お前か」
入ってきたのが私であることに、安堵したわけではないらしい。
自嘲気味に軽く笑いながら彼は銃をテーブルに置き、目だけを私に向けた。
「さっきの女のことが気になった、といったところか?」
「そうよ。……話が早くて助かるわ」
彼の向かい側に座る。薦められてもいないが、断られてもいない。
指に挟んだ煙草でせわしなくテーブルを叩いている。早く話を済ませろ、と暗に訴えているのだろうか。どちらにせよ、単刀直入に話すほうが無難に思える。
「彼女を襲ったの? 逃げられていらついている?」
彼が煙草をテーブルに強く押し付けた。動作が止まり、試すような視線だけが私を見つめている。
「逆だ、と言えば?」
「信じられない」
「あの女の次の任務は知ってるか?」
「知るわけないでしょ。任務はいつも秘密裏に進められる」
「女の体を武器にする。そういう任務だそうだ。任務の前に抱いてくれ、とご丁寧に服まで脱いでくれた」
先ほど出て行った彼女の気持ちが手にとるようにわかる。ただ、抱いてほしかったわけではない。目の前にいるこの彼に、抱いてほしかったのだ。
彼の話の行方は、先ほどの女性の姿や表情で察することができる。ただ、なぜ彼が抱かなかったのかがわからなかった。
「抱いてあげればよかったじゃない。美人で有名なのよ、彼女。胸も大きいわ」
抱かなかったことにホッとしているのか、私の口は次々と褒め言葉を生み出している。
「気がのらない」
「女は事足りている、というわけではないんでしょ? まさか、性欲までコントロールできるの?」
女性を抱かなかったことによる安堵と、その理由に対する好奇心が私の抑制を阻んでいる。彼の怒りの射程範囲に足を踏み入れようとしている。
「追い出してかわいそう、とでも言いたいか?」
彼の語気の強さが私に警告を与えてくれているのに、理由を聞きたいと意地になり始めた私はそれに気づかない。
「彼女を抱きたい男性なんて組織の中にも大勢いるのよ。チャンスを手に入れたのにつかまないなんておかしいんじゃない?」
「では、逆に問おう」彼の兄――私の恋人と同じ口癖。「組織の男がお前を抱きたいと言ったら、お前は体を捧げるのか?」
「私のことは関係ない。……彼女は任務のために体を捧げるのよ。その前にあなたに抱いてほしい。簡単に叶えてあげられるはずでしょ?」
「俺が欲望のままに抱くのを望んでいるのか?」
「あなたに抱かれることを望んでいるのよ」
「なぜ、お前が言い切る?」
あまりに的確すぎる質問に、開こうとしていた口が止まる。
自分も目の前にいる男を好きだからわかる。そんな任務を与えられたら、自分もそうするはずだから。
言ってはならない言葉。私があの人の恋人である限りは、彼があの人の弟である限りは――。
代わりとなる返答を探した。
「女の勘よ。だから、彼女は……」
「くどい。もし、お前が彼女と同じような任務を与えられたら……」彼がつかのま、言葉を飲み込む。「いや、恋人がいくらでも抱いてくれる、か……。くだらんことを尋ねるところだった」
彼がもらしたのは乾いた笑い。
俺のところに来るのか、と問われるかと思ってしまった。問われればうなずいてしまう。
乾いた笑いが何を意味するのかもわからないまま、私は黙って彼を見つめることしかできなかった。
「出て行け。好奇心は満たされただろう」
腕を強く引かれ、ドアまで連れて行かれる。
まだ、はっきりと理由を聞いていない。
「気がのらないだけで断ったの? 徹底的に断る理由が他にあるはず……」
「それも女の勘か?」
「隠している気がするだけ。一時の快楽すらもはねつける強い何かがある。違う?」
まさに女の勘。心のどこかに引っかかっている。
腕をつかんだままの彼を挑戦的に睨みつけた。
目が合った瞬間、彼に顎をおもいきりつかまれ、上へと向けさせられる。唇が重なりそうな距離まで彼が顔を近づけてきた。
「いい加減にしろ。女を抱かない理由をつきとめてどうしたい? お前が相手をするのか? ……それもまた、あり、かもしれないな」
顎を押さえている彼の手をつかんだが、力を入れてもはずれない。もう片方の手はつかまれたままだ。
あまりの至近距離に判断力が鈍りそうになる。このまま、唇を重ねるのもまた一興だ、と思った瞬間、恋人の顔が浮かんだ。
彼を突き放すために力を入れる。それほど強く突き放したわけではないのに、意外なほどあっさりと体は解放された。
彼もほぼ同時に、私を引き離そうと力を込めたのだ、と気づく。
二人で何も言わずに見つめ合った。
彼の手が私の肩を押す。私の体が部屋から出た瞬間、目の前のドアが強く閉められた。
唇を重ねてもいい、と思った。
抱かれてもいい、とさえ思ってしまった。
だが、それらは彼の部屋に置いてきた。閉まるドアの向こうに放り投げてきた。
女を抱かない理由に、少しでも自分が入っていればいい、と願ったのは一時のあやまち。
ドアを開けようとしている手を抑え、私は恋人の元へと向かう。
何事もなかったかのように――。
◇終◇