2話:四階帰りの二人
「はい、坂内。野口から」
 昼休み、どこかから帰って来た坂内に、頼まれていた紙袋を渡す。
「お、待ってたぜぃ」
 坂内は、嬉しそうにその紙袋を開けて、私に見えないように背を向けた。
「ね、それって何? 音楽雑誌? 私、好きな歌手いるんだけどさ……」
「ああ、違う違う。音楽雑誌じゃねえし」
「だったら何? 見せられないもの?」
「そ、女はだめ」
「ふーん。じゃ、塩崎くん呼んでくる」
「うわ、そりゃ、もっとだめ」
「あれから、ずっと喋ってないの?」
 あまりに私がうるさいから、坂内は雑誌を見ることをあきらめたようだ。むぞうさに紙袋を持って、こっちを向く。
 私たちは、廊下の窓にもたれ、外をぼーっと見ながら話し始める。
「いや、一度しゃべった。塩崎に『喋りかけるな』って言ったから、たぶん話しかけてこない」
「それってさみしくない?」
「さみしいけど、塩崎と友達できるほど、俺、人間できてない。あきらめるように努力してるところなんだよ。だから、塩崎はだめ」
「ふ〜ん。ま、あきらめついたら、私を見てよ。気長に友達してるからさ。ねっ」
「ほんとに俺と友達する気だったのか。冗談かと思ってたぜ」
「ほら、あの後、謝りにきてくれたでしょ? その時、なんとなく思ったの。友達でもいけるかも、って。ほら、坂内って男が好きなわけじゃない? 女には何も感じない。だったら坂内にとって、女なんて同性みたいなもんでしょ? しかも、私はそのことを知っている。ファーストキスうばったんだから、それくらいしてもらわなきゃ」
 坂内は「ぐぁ〜」と顔をふせる。「それ言われると、いてぇ。付き合うってのは無理だから、俺がしてやれるのは友達くらいだよなぁ。けど、さ……」
 真面目モードの坂内の顔が私を見る。こうなった時の彼の視線に弱い。
「……けど?」
「当人がどうであれ、俺らって周りから見たら、ただの男子と女子だろ? 一部の間では、付き合ってるとか言われてるみてえだぜ。何もないやつと噂されるの嫌じゃねぇ? ……いや、俺は特に気にしてねえんだけど……」
「う〜ん、まあ、たしかに。でも、私も別に気にしてないんだけどな」
「そういうもん?」
「そういうもん。……一応さ、好きな人と噂されるのって悪くはないのよ、私としては。噂だけってのが空しいけど」
 ああ、笑いがかすれてる。
「事実にしてやれなくって、ごめんな」
 坂内にも伝わってしまったらしい。
「あ、いいのいいの。ほら、今みたいにすぐに謝ってくれるから、友達にもなれるわけよ。友達で十分。しゃべれなくなるよりは……あ、ごめん」
「うっ……いや、俺が悪いんだ。友達で我慢できんかったから。河原さんは、今までみたいに塩崎としゃべってやってくれ」
 実は私もあの日以降、塩崎くんとは喋っていない。私から避けてるような、彼に避けられてるような。お互いに気まずい。
「私もたぶん喋れない。塩崎くんに避けられてる気もする」
「そっか」坂内のあきらめたような笑い。「お互い、『時間』だな」
「受験生だし、ちょうどいいのかもね」
 坂内が持っている紙袋を私に預けた野口くんは、今日は推薦入試ということで学校には来ていない。その紙袋は、野口くんが近所の友達に預けて、その彼は坂内が苦手で、『彼女』の私に預けていった。
「ところで、その紙袋の中身は何だったの? 参考書? 問題集?」
 坂内は「あ〜」と紙袋を背中に隠す。「俺的受験生の必須アイテム」
「じゃ、別にやましいものでもないじゃない。見せて」
「やめといたほうがいい」
 坂内は、空いている片手を私の肩に乗せて、思いとどめるように言う。
「表紙だけでも見せて」
 隠された紙袋を取るために、坂内の背に手を伸ばす。
「わ、抱き合ってる」
 後ろにいる他クラスの女子のささやきらしきものが聞こえる。肩に置かれた坂内の手と、坂内の背にある私の手が、彼女たちの誤解を招いたんだろう。もちろん、抱き合ってるわけでもないので、今は無視することにする。
「やめろって。わかったよ、表紙だけな。見ても文句言うな」
 私に押し付けるように紙袋を渡して、坂内は、三歩ほど遠ざかった。
セロハンテープで留められた紙袋を開けて、ゆっくりと引き抜く。
『女の子を喜ばせる……』
 この文字が見えた時点でやめればよかった、と気付いたのは、後になってからのこと。
 出てきた雑誌のタイトルはもちろん見覚えがない。なにより大きく書いてある文字。
『女の子を喜ばせるマル秘Hテクニック』
『巨乳AV女優もりだくさん!』
 最低。表紙の女の透けてる下着姿が気持ち悪い。
「うっわ、最低。受験生必須アイテムって、これぇ?」
「……」
 見ているだけでも恥ずかしいので、私は、手早く雑誌をしまいこんだ。
 坂内は何も言い返してこない。こんな本をよく女子に見せられるものだ。
「はい、返す。女には何も感じないんじゃなかったっけ? 私、坂内の近くにいるの考え直さなきゃ」
 ほら見ろ、と物語る坂内の顔。ひったくるように私から紙袋を受け取る。
「文句言わねって約束。男なんだから仕方ねぇんだよ。これは、気持ち盛り上げるためのアイテム。俺は、女には興味ねぇ」
「興味ないって言われてもさぁ、ここに証拠あるんだから。巨乳もりだくさん、とかぁ?」
 照れ隠しに怒っている坂内は、私のいじわる心をそそらせる。
「別に巨乳でも何でもいいんだよ。だいいち、野口が見せてやるって言ったんだ。こういう本に興味ない男ってのも問題だろ? 俺も大変なんだよな」
「うっそ。私から受け取った時、すごい嬉しそうだった。『待ってたぜぃ』って忘れてないわよ」
坂内が、前髪をかきむしる。うっとうしがられはじめている。
「ほんとに興味ねぇんだよ。ったく、いちいち……」
 坂内は私の腕を取って、教室の横の階段を上り始める。
「あ、四階だ」
 さっきの女子が、また何かささやいている。彼女にはささやきのつもりなんだろう。
 四階は現在、生徒数が減ったために使われていない教室があるだけで、教室はもちろん、廊下も無人。カップルのいちゃつきスポットとして有名になっている。
 三階の階段を上がるのだから、坂内が四階に行こうとしているのは確かなようだ。でも、私たちはカップルではない。いちゃつきたいわけでもない。
「ちょっと、坂内。どこまで……」
 坂内に引かれて、私たちは階段の近くにある教室に入る。壊れた椅子や机が乱雑に置かれている。すべての窓にはカーテンがひかれ、中は薄暗い。当然、ものすごく恥ずかしい。
 坂内は、私の手を離して教室の入り口を閉める。
「ちょっと何する気? そこ、開けておいてよ」
「開けといてもいいけどよ、見られたら困ると思うぜ」
 言いながら近づいてくる坂内が怖い。自然と足は入り口のほうへ進む。
「証拠っての見せなきゃな。声、出すなよ」
 まるで今から、坂内が犯罪でも犯すような言い方だ。だが、眼は、すでに犯罪者並みのすごみを持っている。
 坂内の手は、私の制服のベストを脱がし、カッターシャツのボタンを少しずつはずしていく。
「な、……に、してんの?」
 むりやりしぼらないと、声が出ない。
「ヤるわけじゃねぇし」
「だって……脱がしてる、じゃない」
「触んねぇから」
 私のカッターシャツまで脱がせた坂内は、さらにブラジャーに手をかけようとする。さすがに驚いて、
「待った。下着まで脱がすことないじゃない」
「そうだな……じゃ、自分で脱いで」
「……そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃ、俺が脱がそうか?」
 一度引いた坂内の手が、また伸びてくる。私は両手をつかんで、それを制す。
「違うって。なんで脱がす必要があるわけ?」
「河原さんの胸見ても何とも思わない証拠を見せようと思って」
「ど、どうやって?」
「普通の男が、目の前にある女子の胸をじっと見てられるわけないじゃん。我慢しようと思ってできるもんでもないだろ?手、出してしまう。でも、俺は見ていられる。なぜなら、何とも思わないから」
「だから、私に胸を出せってこと?」
「おぅ」
「そっちはそれでいいかもしんないけどねぇ……」
「あ、じゃ、そのままでいいや。じっと立ってて」
「おそわないでよね」
「おそわない証拠を今から見せるから。じっとしてろ」
 背もたれの壊れた椅子を引き寄せて、私の正面に坂内が座る。眼はじっと私…私の胸を見ている。
 恥ずかしくないわけがない。誰もいない教室に二人きりで、私は胸を彼の前にさらけ出している。そのシチュエーションだけで、私のほうがムズムズと変な気持ちになってくる。おまけに眼のやり場にも困る。前を見れば坂内、下を見れば自分の自慢できない胸。いつまで、こうしていればいいんだろう。
「河原さん、顔赤い。わかってもらえた? 俺が女に興味ないこと」
「わかった。十月はじゅうぶん寒いの。もう服着るからね」
 丁寧にたたんで置かれているベストとカッターシャツを着る。ほこりがついていないのは、坂内の学ランが下にひいてあったから。
「それも着ろよ」
 私を見ないように横を向いたまま、坂内はあごで何かを指す。
「それって、どれ?」
 坂内は、そろりとこっちを向いて、指で学ランを指す。
「俺の学ラン」
「なんで?」
 今度は坂内の顔が赤い。
「寒いんだろ? 俺が脱がせたわけだし……風邪でもひいたら勉強に……。とにかく、着とけ」
「いいよ、別に。服着たら寒くなくなったし」
 寒い、というのは、あの時とっさに言ってしまったことであって、本当に寒いわけじゃない。
「おとなしく着ればいいのによ」
 つまらない、というような顔で、坂内は学ランをはおる。
「本当に寒くないから。……ありがとう」
「おっ」と、私の顔を指して、坂内はうれしそうに「その顔。男に向けたら、そいつは一発で惚れるね」
 私には最高に嫌味な言葉。なにより坂内がそれを言うのが信じられない。
「この顔向けても惚れてくれない男がいるのを、私は知っている。今んとこ一人だけね」
 坂内は「あ」と、気まずそうに指を下げる。
「わりぃ。俺以外の男に、って言えばよかったか。……もし俺が女好きなら、惚れてるな」
「ほめ言葉なわけ、ね。いちいち罪悪感もたなくても……。仕方ないじゃない、男が好きなんだから。私に、女を好きになれって言うのと同じくらい難しいことでしょ。さ、出よ」
 私が、男だったら、よかったんだろうな。
「河原さんは、女でよかったんじゃねえか、たぶん」
 坂内も私の後を追うように教室を出る。
「坂内と友達になれたからね」
 でも、近くても、友達以上には絶対になれない。
 教室を出た私たちの目が、一点で止まった。
 私たちと同じように隣りの教室から出てきたカップルが、濃厚なキスを始めたのだ。サンダルの色からして二年生。私たちが見ていると知っているはずなのに。彼らからすれば、無人の教室から出てきた私たちも同じようなものなのだろう。そう考えたとたん、横の坂内の顔を見るのが気恥ずかしくなった。
「付き合ってねぇもんが、来るとこじゃなかったな。俺はあんなことできねえ〜」
「さっきので十分よ。あんなことまでされちゃ、たまんないわ」
 その光景から逃げるように二人で、階段を降りていった。
 三階の階段付近にいた生徒の目が一斉にこっちを向く。
「うわ〜四階帰りだぜ、あれ」
「やっぱ付き合ってたんだ、二人って」
 聞こえずとも、みんなの目がそう語っている。目は口ほどに物を言う、のだ。
 それらを抜けるために、私たちは足早に教室へと向かった。


◇終◇
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