3話:羨望の眼差し
「あ、河原さん」
 放課後、帰ろうとした私を呼び止める声。
「え?」
 振り向いて驚いた。
 そこに立っていたのは塩崎くんだったから。
「な、なに……?」
 忘れられない光景が頭に蘇り、とっさにぎこちない返事になる。塩崎くんの顔がまともに見られなくなってくる。
 塩崎くんは申し訳なさそうに後を続けた。
「ごめん。この後、何か用事とかある?」
「え、あ、ない、けど?」
「話、とかする時間はある?」
「晩御飯までに帰れれば……」
「じゃ、ちょっとついて来て」
「あっ……」
 塩崎くんに手をとられて、そのまま教室を出て行くことになった。
 私たちを指して、こそこそと話すクラスメイトよりも、坂内が気になった私は、ひっぱられながらも彼を見た。
 目が合う。
(ちょっと、これ、どうしよう……)
 困惑した目を向けたつもりだったが、坂内はあからさまに目をそらした。
 塩崎くんと私はそのまま学校を後にした。


「河原さん、ごめん。強引につれてきて」
 塩崎くんの手から解放される。
 ここは、学校の近くの公園。細い道の中にあるので、学校に近くてもあまり生徒は通らない。
「うん、ちょっとびっくりした。話って、坂内とのこと? ……大丈夫よ。坂内にも言われたし、私、誰にも言ったりしないから」
 塩崎くんと私は、公園にある噴水のふちに座った。
「あ、やっぱり知ってる、か。誰にも言わないでほしいのはもちろんなんだけど、河原さんって坂内と付き合ってるの?」
「え、付き合ってない。周りにはそんな風に言われてるけど、全然。付き合ってなんかないわよ」
「そっか」
 塩崎くんが気落ちしたように、顔をふせる。
「どう、したの?」
「俺……」塩崎くんは顔をふせたまま、ゆっくりと続ける。「男に告白されたのも初めてだけど、坂内とは友達だから、なんかまだ信じられないんだ。だから、河原さんと付き合ってるなら、俺への気持ちはそんなにないってことで、まあ、あれは一時の気の迷いだと思おうかと……」
「塩崎くんは、坂内のこと迷惑なの? 男だから…友達だから…じゃなくて、坂内の好きって気持ちは迷惑なの?」
「河原さん?」
 塩崎くんが驚いた顔を上げる。信じられないといった目で、じっと私を見つめる。
「ごめん。私がでしゃばることじゃないとは思うんだけど、一時の気の迷いで、好きって言ったり……その、キス? ……したりはできないと思う。そんな簡単なものじゃない、と私は思う」
(一時の怒りでキスされたけど……)
 私の唇に、あの嫌な感覚が、苦い感覚がよみがえる。
「あぁ……河原さんの言うことわからないこともない、よ。坂内の気持ちは迷惑ではないけど、嬉しくもない。坂内の気持ちに応えることはできない。それが今の俺の答えなんだ。言葉で言うのも難しいんだけどね」
 塩崎くんが「納得してはもらえないだろうけど」と苦笑をもらす。
「じゃあ、坂内をふるってこと?」
 私が問い掛けると、塩崎くんは小さくうなずいた。
「俺の気持ちがどうであれ、結果的にはそうなるんだろうな……。友達がいい、なんてのは俺の勝手な言い分だから。今はちょっとうまく言えないけど、いずれ坂内にはちゃんと断るよ。中途半端な行動は、坂内にも失礼だから、いずれは……」
 そこまで言って塩崎くんは「いずれ……かぁ」と小さく伸びをした。
 何かを振り切ったような、何かを諦めたような、彼はそんな顔をしていた。
「ごめん。塩崎くんも辛いわよね。坂内呼び出す時は協力とかするからさ。ねっ」
「ありがとう河原さん。呼び出す時はちゃんと自分で呼ぶよ。今は、坂内のそばにいてほしい。付き合っているとか言われてるけど、迷惑かもしれないけど、河原さんさえよければ……。恋愛抜きに話せるのは、たぶん河原さんだけだろうから……」
 塩崎くんの真摯な目は正視できない。
 恋愛感情抜きにして坂内のそばにいるわけじゃないから。まだ、好きという気持ちは健在だから。一度、好きに傾いた気持ちが、簡単に「友達」には戻れないことは私が一番よく知っている。
 それでもやはり、好きな人のそばにはいたい。塩崎くんに頼まれたから。自分の心でそう言い訳できる。だから、私は笑って答えた。
「大丈夫。坂内とはこれからも友達してるから。付き合ってる、なんて前から言われてるから気にしてないし……。塩崎くんこそ、がんばってよ。ちゃんと断れるといいね」
(……そして、坂内を解放してやってよね)
 言葉にできない願いを、心の中で言ってしまう。
「河原さん、ありがとう。なかなか人には言えないことだからさ、聞いてもらえてすごく助かった。んじゃ、俺帰るけど、河原さんも帰る? のなら送っていくけど…」
 清々しい笑顔を私に向けて、塩崎くんは立ち上がった。
「送っていく、なんてかっこいいこと、さらっと言うから坂内が惚れるのよ。私はもうしばらくここにいるから、気にしないで帰っていいよ」
「ははっ……。じゃ、ここで。また明日」
「うん、また明日……」
 塩崎くんは本当に何かが吹っ切れたように走っていった。


 私は公園の入り口に、ある人物の姿を見つけて、慌てて背を向けられるように座る位置を変えた。
「おう」
 私が位置を変えたのなんか気づかない様子で、坂内が声をかけてきた。
「後つけてきてたの?」
「そりゃ誤解」坂内が私の隣りに座る。「ここは俺らがよく話す時に座ってた場所だからな。まさか、とは思って来たけど、やっぱここだったか」
「ふぅん……」
 坂内はかばんから、お茶の入ったボトルを取り出して一口飲んでいた。
「ん」
 彼は、飲んだボトルのふたを閉めずに、私に向かって差し出している。「飲め」と言いたいのはわかるけど、彼との間接キスを意識した私は、わざと知らないふりをした。
「……え?」
 ボトルがさらに近づく。
「飲むか?」
 嬉しくなった。間接キスできることに、ではない。声をかけてくれたことに。
(友達、だったらこうは思わないな)
「いらない」
 嬉しさを悟られないように出した声は、無愛想きわまりないものになった。
「あっそ」
 ボトルのふたを閉めて、坂内はかばんに戻している。
 混乱してしまった。嫌われたかと思った。だから、私は、彼がかばんの中をいじっている間中、次の言葉を必死に探していた。そして、聞き逃していた。
「……たんだ?」
「え?」
「だからぁ」坂内はかばんのチャックを素早く閉めた。ギーと大きな音がなる。「あいつと何を話してたんだ? 言えねえこと? 俺、聞いたらいけねえことなのか?」
 坂内がいらついているのが伝わってくる。触らぬ神にたたりなし。それでも触らずにいられない。好きだから、何でも知りたい。
「ね、なんで怒ってるの?」
「質問の答えになってないじゃん。何を話してたんだ? って聞いてんの。俺が」自分を指してから、私に向かって指を突きつける坂内。「河原さんに」
 その大きな手振りが嫌味に見えるのは、坂内も承知しているのだろう。
「で、質問の答えは?」
 突きつけられた坂内の指が、今度は顔に替わる。ぐいっと近づけられた顔に、私も後ずさりせざるをえない。
「えっと、塩崎くんが……」
 そこまで言って口をつぐんだ。言えるわけない。話題の中心だった本人――坂内に言えるわけない。
「あいつが?」
「……」
 坂内に言えることは一つもない。少しでも言ってしまったら、私の口は止まらないし、彼の質問も止まらない。それはわかっている。
「……。なぁ」
 坂内の目がじっと私をのぞきこむ。
「え……?」
「塩崎にのりかえた?」
「は?」
 言葉を捜していた私の頭に、坂内の言ったことはあまりに唐突で理解が追いつかない。
「塩崎を好きになった。だからあいつをかばう。そうじゃねえの?」
「……」
 私が坂内の目に視線を落とすと、彼はにやりと笑った。
 私は自分の立場を把握した。完全にばかにされている。あいにく私はこういうのが許せない。たとえ好きな人が相手でも。
「短絡思考。言わない=かばう=好きぃ? 坂内の頭の中の方程式はどういうつながりしてるわけ? プライバシーってもんがあるのよ。私にも、塩崎くんにも。それに坂内にも。私の質問にも答えなさいよ。さっきからどうして怒ってるの?」
「それは……」
 坂内が今度は目をそらした。私はやられたように、ぐいっと顔を近づけた。
「ね、なんで怒ってるの? 言えないの? 私と一緒じゃない」
「俺は、言える。……あいつが俺じゃなくて、河原さんを呼んだから、だ。出て行った後なんて言われてたか知ってるか?『付き合ってる』だぜ。あぁ、男子と女子ってそう思われるんだな、って思い知らされた」
 そらされた目が哀しげにふせられる。
「? ……私と坂内だって付き合ってるって言われてるじゃない。別に塩崎くんと付き合ってるわけじゃないし…。それで坂内がいらつくこともないと思うけど?」
「河原さんの言うこともわかるんだけどなぁ……そういうことじゃなくてぇ。あぁ、めんどくせぇ……」
 坂内は髪をかきむしってはいるが、うっとうしそうな気配は見られない。私はじっと言葉を待つ。
「いいよ、言いやすいように言ってくれたら。私ががんばって理解するから」
 彼のかきむしる手が止まった。確認するように私を見て、どこを見るでもなく前を見て話し出した。
「男子と女子ってさ、互いの好きに関わらず、付き合ってるって思われるだろ? でも、男同士だと、好きなんて関係なく、友達としか思われない。別に周りにどうこう思われたいってわけじゃないんだ。ただ……付き合ってるって少しでも誤解される、河原さんが羨ましいだけなんだよな。実際、教室出て行く時も、付き合ってるって見えないこともなかったし」
 坂内の言葉を聞いて私は瞬時に思った。
(あ、一緒なんだ……)
「うん。すっごくよくわかる。ほら、私も前に言ったじゃない? 好きな人と噂されるのって悪くはない。噂だけなのが空しいけど、それでもいい、って。それと同じだなって思った。羨ましかったんだ……ふーん、あの目はそういう目だったんだ」
「そういう目?」
「私と塩崎くんが教室出て行く時の目。まぁ、誰かさんはすぐ横向いたけどね」
 坂内の頬が赤くなる。聞かなきゃよかった、とせわしなく動く手が言っている。
「まあ……河原さんは女だからな。塩崎が好きな俺にとっては、美人であるかよりも女であることが羨ましい。腕とか……」
 私の二の腕が坂内の手におさまる。
「ちょっ……」
 私は腕を振り回そうとしたが、男である坂内の手がそんなに簡単にほどけるはずもない。
 私の狼狽ぶりを見て、坂内が苦笑する。
「はっ……慌てなくても大丈夫だって。前にも言っただろ? 襲ったりとか、変な気起こしたりはねえから」
(そんな気、起こせるもんなら起こしてほしいくらいだけどねぇ。少しも気にされてないのも悲しいもんだわ)
「襲われるとかもあるけど、太いから触らないでほしいの」
「はぁ?」と坂内は2、3度揉むように握ってから、ようやく腕を放した。
「太い……でしょ?」
(泣きそう…。なんで好きな男にこんなこと言わなければいけないわけ?)
 坂内は唐突に、自分の腕を私の前に突き出した。半袖から見える腕は少し日焼けしている。
「ほれ。俺のほうが太いだろ? 普通に運動してるだけなのに筋肉がついちまうんだよなぁ。触ってみろよ。絶対、俺のほうが太いから」
 わかってない。坂内はわかってない。好きな男の腕に触るのが、女の子にとってどれだけ勇気のいるものか、坂内は全くわかってない。だから、こうやって簡単に腕を出すし「触れ」と言えるのだ。
 勇気はいる……が、触りたくないわけではないのも、不思議な乙女心である。
 私の指先が、坂内の腕に触れた。それだけでどきどきする。
「くすぐったい。触るならもっと思いっきり触れよ」
「……!」
 私の手首が坂内につかまれ、手がおもいきり彼の腕に触る。
 思考と、体の動きが完全に硬直した。
 私は何も言えず、頬だけがどんどんと熱くなっていく。
「うおっ」
 坂内の手が、私の手首をはなした。
 彼の声で我に返って、自分の手に残った感触を、信じられない思いで見ていた。
(撫でてた……意識はあるような無意識の中で撫でてた。坂内の腕を……。し、信じられない)
 私は己の手を呆然と眺めていた。
「な、撫でてくるなよ。俺より河原さんのほうが危ねえよ」
 私は、顔を真っ赤にさせて、自分の腕を後ろにかばっている坂内を見た。
「……」
 私の頬も絶対に赤い。信じられない、は私のせりふでもある。
 私はいたたまれず、かばんを持って逃げ出すように立ち上がって、
「だって、そ、の……。しょ、しょうがないじゃないっ。す……好きなんだからっ」
 そしてそのまま走って逃げた。


 走って逃げていった少女に、呆然と見送る彼の呟きが聞こえるはずもない。
「しょうがない……こと、なのか……?」


◇終◇
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