私の家の玄関のドアを思い切り開けて、逃げ込むように自分の部屋に向かった。
部屋のドアを閉めて、ようやく息をつく。
かばんをベッドに放り投げて、私もその上に寝転がる、制服のままで。
両手を上に上げて、じっと見ていると、とたんにあの感触が思い出されて恥ずかしい。
(撫で、ちゃったんだ。どうしよう……。だってさ、坂内ってば意外と筋肉ついてるんだもん。やっぱ、どう考えてもしょうがないわよね、うん。私が危ないわけじゃないの。好きだって言ってる女の子の前に腕を出すほうが悪いの、うん。あぁ、でもやっぱり私が危ないのかなぁ)
頭では色々と弁解していても、やはり手は、坂内の腕の感触を生々しく覚えている。
(だめだわ。好きな人の腕に触って冷静でいられるわけないわよっ。ごめん、坂内。今だけひたらせて……)
私は、自分の両手を抱くように胸に持っていき、脳裏の映像に、手の感触に、ひたることにした。
河原さんが公園を出て行ってからどれくらい経ったのか。
ようやく俺は我に返った。
頭の中では、最後に聞いた河原さんの言葉が残っている。
『だって、そ、の……。しょ、しょうがないじゃないっ。す……好きなんだからっ』
この言葉で俺は、河原さんが俺のこと好きなのだ、ということを思い出した。
忘れていたわけではない。
正確に言うなら──忘れていても特に支障はないと思っていたから、だ。
河原さんの気持ちと共に思い出したのは、あの時の彼女の顔。
俺が彼女の手を離した瞬間、信じられないような、泣き出しそうな、どうにも複雑な顔をしていた。
河原さんの手の感触の上をなぞるように、俺は自分の腕を触ってみた。
(だめだ。全然わかんねぇ。普通の腕、だと思うんだけどなぁ?)
別に河原さんの真意を知りたいわけではない。ただ、全く知らないのも癪に障る。
『好きなんだからっ』
俺は、頭の中で塩崎を思い浮かべてみる。
河原さんの気持ちが少しだけわかった気がした。
今度は河原さんに対する、あの時の俺の態度を思い出してみる。
「あ……」
(謝らねぇとっ)
そう思って、俺は速攻家に帰り、自転車で河原さんの家へ向かう。
もちろん家は知らない。およその場所から、表札をしらみつぶしにあたった。
おかげで彼女の家のインターホンを押した時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「さっちゃん! さっちゃーん!」
目が覚めたら、下でお母さんが私を呼んでいた。
(あ、やっぱり寝てしまってたんだ)
「はい! はーい!」
やけくそに返事しながら、私は階段を下りて玄関へ。
「……っす」
首だけぺこりと下げて、私を見たのは坂内。
「ふふっ」
お母さんは笑ってリビングへと戻っていった。
(もう……何の用なのよぉ)
おどおどしている坂内に「とにかく外に出て」と言って、玄関の外へうながす。
私も適当なサンダルをひっかけて、玄関のドアを閉めた。
異性と話すところはあまり聞かれたくない。
ドアが閉まったと同時に坂内が反転して、含み笑いをもらした。
「さ、さっちゃん? ……ぷっ」
私を指して、ついに坂内は吹きだした。
「沙紀だから、さっちゃん。で、何? 家まで来たんだから何か言うことあるんでしょ?」
つっけんどんになってしまったのは、ただの私の照れ隠し。
「お、おぅ」
坂内は横を向いて大きく深呼吸。そして、また私に向き直る。
つまりは、笑いを止めていたのだ。
「今日さ、公園でごめんな。あれからちょっと、まあ俺なりに反省して…。もう、撫でても大丈夫だ。俺、絶対驚いたりしねえから」
謝っているくせに、反省しているくせに、坂内がまた私の前に腕を出してきたのだ。
「なに? これ」
「おう、もう大丈夫だから」
「どういう風に反省したわけ?」
「? ……俺も、さ、塩崎の腕触ったら撫でてしまうかもしんねえし、河原さんが撫でてしまったのは仕方がないことなんだよな、と。驚いたりして悪かった」
「根本的にわかってない、坂内は」
「?」
差し出されたままの坂内の腕に、私は二本指を揃えて、しっぺを食らわせた。
「ってえっ。なぜにしっぺ?」
「私の理性が吹っ飛びそうだったから」
「はぁ?」
「坂内のごめんは受け取った。これ以上用がないのなら帰って」
「はぁぁ?」
「また撫でられたいの?」
我ながらなんて陳腐な脅し文句。でも、半分以上本音。これ以上いたらやばいから。
「げっ……あ、いや、河原さんがそうしたいなら……」
おずおずと腕を差し出す坂内。
「やっぱりわかってない。もう怒ってないから、これ以上ここにいないで」
「は? ……いや、もう、ぜんっぜんわかんねえ。とりあえず謝ったからな」
坂内は家の前に停めてあった自転車にまたがる。
「……また明日、な」
私は何も言わない。目線のやり場に困ったから、下を向いた。
喧嘩しているわけではないと思う。怒ってるみたいな態度をとってしまったから、ついつい引っ込みがつかなくなってしまっただけ。
坂内は、ペダルに足をひっかけたまま、それを動かそうとはしない。
じっと沈黙だけが私たちを包む。
「何、してんの?」
私は動かない坂内に声をかけてしまった。
「あ……、また明日な」
坂内はもう一度、軽く手をあげた。
私はまた何も言わない。
もしかして、と思うことがあったから。それを確かめたかった。
やはり、坂内は動かない。
私は彼の忍耐に降参した。
「うん、また明日、ね」
軽く手をふった。
「じゃ」
坂内はそれだけ言って、ようやくペダルをこぎだした。
私は門を出て、遠ざかる坂内の背中に小さく投げかけた。
「けっ」
(かっこいいことしないでよね)
◇終◇