4話:また明日〜羨望の眼差し・その後〜
 私の家の玄関のドアを思い切り開けて、逃げ込むように自分の部屋に向かった。
 部屋のドアを閉めて、ようやく息をつく。
 かばんをベッドに放り投げて、私もその上に寝転がる、制服のままで。
 両手を上に上げて、じっと見ていると、とたんにあの感触が思い出されて恥ずかしい。
(撫で、ちゃったんだ。どうしよう……。だってさ、坂内ってば意外と筋肉ついてるんだもん。やっぱ、どう考えてもしょうがないわよね、うん。私が危ないわけじゃないの。好きだって言ってる女の子の前に腕を出すほうが悪いの、うん。あぁ、でもやっぱり私が危ないのかなぁ)
 頭では色々と弁解していても、やはり手は、坂内の腕の感触を生々しく覚えている。
(だめだわ。好きな人の腕に触って冷静でいられるわけないわよっ。ごめん、坂内。今だけひたらせて……)
 私は、自分の両手を抱くように胸に持っていき、脳裏の映像に、手の感触に、ひたることにした。


 河原さんが公園を出て行ってからどれくらい経ったのか。
 ようやく俺は我に返った。
 頭の中では、最後に聞いた河原さんの言葉が残っている。

『だって、そ、の……。しょ、しょうがないじゃないっ。す……好きなんだからっ』

 この言葉で俺は、河原さんが俺のこと好きなのだ、ということを思い出した。
 忘れていたわけではない。
 正確に言うなら──忘れていても特に支障はないと思っていたから、だ。
 河原さんの気持ちと共に思い出したのは、あの時の彼女の顔。
 俺が彼女の手を離した瞬間、信じられないような、泣き出しそうな、どうにも複雑な顔をしていた。
 河原さんの手の感触の上をなぞるように、俺は自分の腕を触ってみた。
(だめだ。全然わかんねぇ。普通の腕、だと思うんだけどなぁ?)
 別に河原さんの真意を知りたいわけではない。ただ、全く知らないのも癪に障る。

『好きなんだからっ』

 俺は、頭の中で塩崎を思い浮かべてみる。
 河原さんの気持ちが少しだけわかった気がした。
 今度は河原さんに対する、あの時の俺の態度を思い出してみる。
「あ……」
(謝らねぇとっ)
 そう思って、俺は速攻家に帰り、自転車で河原さんの家へ向かう。
 もちろん家は知らない。およその場所から、表札をしらみつぶしにあたった。
 おかげで彼女の家のインターホンを押した時には、辺りはすっかり暗くなっていた。


「さっちゃん! さっちゃーん!」
 目が覚めたら、下でお母さんが私を呼んでいた。
(あ、やっぱり寝てしまってたんだ)
「はい! はーい!」
 やけくそに返事しながら、私は階段を下りて玄関へ。
「……っす」
 首だけぺこりと下げて、私を見たのは坂内。
「ふふっ」
 お母さんは笑ってリビングへと戻っていった。
(もう……何の用なのよぉ)
 おどおどしている坂内に「とにかく外に出て」と言って、玄関の外へうながす。
 私も適当なサンダルをひっかけて、玄関のドアを閉めた。
 異性と話すところはあまり聞かれたくない。
 ドアが閉まったと同時に坂内が反転して、含み笑いをもらした。
「さ、さっちゃん? ……ぷっ」
 私を指して、ついに坂内は吹きだした。
「沙紀だから、さっちゃん。で、何? 家まで来たんだから何か言うことあるんでしょ?」
 つっけんどんになってしまったのは、ただの私の照れ隠し。
「お、おぅ」
 坂内は横を向いて大きく深呼吸。そして、また私に向き直る。
 つまりは、笑いを止めていたのだ。
「今日さ、公園でごめんな。あれからちょっと、まあ俺なりに反省して…。もう、撫でても大丈夫だ。俺、絶対驚いたりしねえから」
 謝っているくせに、反省しているくせに、坂内がまた私の前に腕を出してきたのだ。
「なに? これ」
「おう、もう大丈夫だから」
「どういう風に反省したわけ?」
「? ……俺も、さ、塩崎の腕触ったら撫でてしまうかもしんねえし、河原さんが撫でてしまったのは仕方がないことなんだよな、と。驚いたりして悪かった」
「根本的にわかってない、坂内は」
「?」
 差し出されたままの坂内の腕に、私は二本指を揃えて、しっぺを食らわせた。
「ってえっ。なぜにしっぺ?」
「私の理性が吹っ飛びそうだったから」
「はぁ?」
「坂内のごめんは受け取った。これ以上用がないのなら帰って」
「はぁぁ?」
「また撫でられたいの?」
 我ながらなんて陳腐な脅し文句。でも、半分以上本音。これ以上いたらやばいから。
「げっ……あ、いや、河原さんがそうしたいなら……」
 おずおずと腕を差し出す坂内。
「やっぱりわかってない。もう怒ってないから、これ以上ここにいないで」
「は? ……いや、もう、ぜんっぜんわかんねえ。とりあえず謝ったからな」
 坂内は家の前に停めてあった自転車にまたがる。
「……また明日、な」
 私は何も言わない。目線のやり場に困ったから、下を向いた。
 喧嘩しているわけではないと思う。怒ってるみたいな態度をとってしまったから、ついつい引っ込みがつかなくなってしまっただけ。
 坂内は、ペダルに足をひっかけたまま、それを動かそうとはしない。
 じっと沈黙だけが私たちを包む。
「何、してんの?」
 私は動かない坂内に声をかけてしまった。
「あ……、また明日な」
 坂内はもう一度、軽く手をあげた。
 私はまた何も言わない。
 もしかして、と思うことがあったから。それを確かめたかった。
 やはり、坂内は動かない。
 私は彼の忍耐に降参した。
「うん、また明日、ね」
 軽く手をふった。
「じゃ」
 坂内はそれだけ言って、ようやくペダルをこぎだした。
 私は門を出て、遠ざかる坂内の背中に小さく投げかけた。
「けっ」
(かっこいいことしないでよね)


◇終◇
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