「明日、土曜日空いてるか?」
今は昼休み、私の前には坂内。いつも話す教室前の廊下。
恥ずかしそうに、嬉しそうに聞くから、デートの誘いじゃないか、と期待してしまう。
期待は禁物。期待は禁物。期待は禁物。
自己暗示のおかげで、心の準備はできている。
「空いてるけど、何?」
わざと強がってみる。本当は全然平気じゃないけど、平気なふりをしてみる。
「映画観に行かないか?」
「はぁぁ?」
びっくり。びっくり。パニックするほどびっくり。
期待してなかっただけに、その驚きはとてつもなく大きい。
近くにいるクラスメイトに叫びたいくらい……。
坂内は、赤くなってうつむいた。
「河原さん、観たい映画ある?」
「本当……なんだ…」
「は?」
坂内が顔を上げた。何言ってんだこいつ、と彼の目が語っている。
「私を誘ってるのよね?」
「お? ……おぅ」
「うっわ、嬉しい。どうしよ、すっごく嬉しい」
「はぁ、そりゃなによりで……」
本人の前でにやけるのも不自然だとわかっていながらも、私の顔はどんどんほころんでいく。
坂内の声がすごく遠くに聞こえている。いや、頭には届いていない。
「で、観たい映画ある?って聞いてんだけど」
「うん……って、え? 何?」
「はぁ? 聞いてねえの? 観たい映画はありますか?」
坂内は子供に話しかけるように、ぐいっと顔を近づけてきた。
「あっ、え、っと、あ、あれ、あれ……」
「あれって何?」
「あの今CMでよくやってる、ほら『〜の恋人』って映画。それが観たい」
「あぁ、あれか。んー」坂内は小さく伸びをする。「おっけー。『〜の恋人』ね。明日、十時半に駅前でいい?」
坂内が涙目で私を見る。
私は意味もなく、何度もうなずいた。
「うん、うん。それでいい。十時半に駅前。おっけ」
「遅刻厳禁、なっ」
「う、うん。遅刻しない」
「そんじゃ、そういうことで……」
昼休み終了を継げるチャイムが鳴り響く。
授業中、ずっと頭は、明日の準備でいっぱいだった。
坂内の顔を盗み見しては、一人でこっそりにやけていた。
駅前の駐輪場に自転車をとめて、私はそっと駅前を見た。
本当は、私の家から駅に来たら絶対に駅前を通るけど、今日は道を変えてきたので、待ち合わせ場所に坂内が来ているのかはわからない。
怪しいのは承知の上で、駐輪場の壁に隠れるようにかがんで、壁の上から目だけを出してゆっくりと辺りを見回した。
坂内の姿は見えない。
今は待ち合わせ時間三十分前。
バッグから鏡を出して、軽く塗ったリップの具合と髪型を最終チェック。ここを出たらおそらく二度と確認はできない。まるで本番前の舞台袖。
ぱたん、と折りたたみの鏡をバッグに入れて、いざ駅前へ。……と歩き出そうとしたが、やはり何かが気になるので、もう一度チェック。やはり異常なし。
「河原さん?」
「わっ」
私が落としそうになった鏡を誰かが手に取った。
「はい」
そう言って渡してくるのは塩崎くん。
「あれ? 塩崎くんも何か用事があるの?」
鏡をバッグに戻しながら私は聞いた。
「河原さんもどこかへ出かけるんだ。電車乗る?」
「ううん、乗らない。塩崎くんは?」
「俺も乗らない」
「もしかして坂内と?」
「うん、誘われたから……」
「そっか……じゃ、行くとこ一緒なんだ、私たち」
「…てことは河原さんも?」
「うん、坂内に誘われたの」
「俺、帰ったほうがいい?」
「なんで? それより私こそ帰ったほうがよくない? 塩崎くん、坂内と二人のほうがいいでしょ?」
塩崎くんは、私の背に手をあてて抱き寄せるようにした。
そんな私の後ろを自転車に乗った男の子が通り過ぎる。
「ごめん、自転車が…」
「あ、うん」
坂内以外に触られたことなかったな、と変な意識が体を緊張させる。
「とりあえず行こっか。坂内に誘われたのは俺らなわけだし」
「そう、だね。とりあえず行くしかないね」
塩崎くんの後ろを歩き始めながら、私は塩崎くんと自分を比較していた。
坂内に好かれている彼と、坂内が好きな私。優劣はどちらにつくのか、など変なことをずっと考えていた。
待ち合わせ場所へ着いた時は、予定時間の二十分前。
「おう、おはよう」
坂内は待っていた。私たち二人に手を振っている。
「思ったより明るいな、坂内は」
「うん、そうみたいね」
塩崎くんの苦笑に、私も苦笑で返して、坂内のところへ向かった。
「おはよう」
私は何も言わなかった坂内に対して、ぶっきらぼうに挨拶した。
「おはよう、坂内」
塩崎くんは怒っているのかいないのか、普通に挨拶していた。
「ちょ……河原さん」
坂内に腕を引っ張られて、塩崎くんから離れる。
「な、なに?」
「塩崎と一緒に来たのか?」
女々しい。まさか、こんなこと聞かれるとは思わなかった。
「偶然、駐輪場で会っただけ。ま、ここまで一緒に来たけどね」
「そうか、悪いな。なんかよ、いい雰囲気だったから」
「もう、何でもないんだから、変に勘ぐらないでほしいんだけど」
「悪い、これで最後にする」
坂内は塩崎くんのところへ先に戻っていった。
私はつかまれていて熱くなった腕をさすりながら戻った。
「ごめん、坂内」
戻った途端、今度は塩崎くんに腕を引かれる。
(もう、この二人は……)
「塩崎くんまで、何?」
塩崎くんに悪気は全くないとは思う。だが、なんだかわからない二人の行動には、うんざりせざるをえない。
「ごめん河原さん、ちょっとだけ俺ら二人にしてほしいんだ。今日、河原さんが誘われてたとは思わなくて……。あの返事をしようと思ってたから。無理だったらいいんだ」
「やっぱり私帰ったほうがいいわよね。そんな大事な話なら、二人でじっくり話したほうがいいよ。うん。私、帰るから、ね」
「えっ。いや、なにも河原さんが帰ることないよ。せっかく坂内と出かけるチャンスなんだから、いてたほうがいいって」
塩崎くんが「あ」と口を押さえる。
「はは……ばれてたんだ。なんで、わかったんだろ。坂内なんか全然気づいてくれないのに…」
「ごめん」と両手を合わせて塩崎くんは謝った。「さっき気づいたんだ。河原さん、俺も坂内に誘われたって知った時、すごく落ち込んだ顔してたから。俺は知ってるからさ、河原さん、いときなよ」
塩崎くんの申し訳なさそうな顔に私は即答した。
「いや」
「?」
「たぶん坂内は落ち込むと思う。彼をそんな状態にできる塩崎くんが羨ましいし、これから私の好きな人をふる塩崎くんが憎らしい。でも、2つ共避けられないことだってわかってる。だから、私は帰るね」
私は坂内に呼びかけようと手を上げ……。塩崎くんがその手をつかんだ。
「河原さん、俺、全然わからない。なんで、そこで帰るってなるのか。落ち込むだろうからこそ、河原さんにいてほしいのに」
私は塩崎くんの目を見て「離して」と言った。
彼は「ごめん」と、すぐに離してくれた。
じっと目を見たまま、私はゆっくり説明する。
「落ち込む坂内を見たくない、ってのが一番の理由。私なんかに励ませるわけない、ってのが2番目。坂内がふられること、心のどこかで喜んでるもん。ここで塩崎くんに『ありがとう』って言いたいくらい。そんな私に坂内を励ませるわけないでしょ?……勝手でごめん。そういうわけだから、私は帰るね。理由くらいなんとでもなるから、さ」
塩崎くんはしばらく考え込んでいた。
やがて笑顔を見せると、私に言った。
「河原さんは帰っていいよ。坂内を落ち込ませたくない、って思ってる俺が一番自分勝手なんだよな。その勝手に河原さんを合わそうとしてたんだ。理由は俺が適当に言っておくから」
「あ、大丈夫。理由はもう考えてあるから。自分でちゃんと言って帰る。坂内が引き止めるわけないだろうし、ね」
最後はちょっとだけ嫌味とひがみ。
返事に困るであろう塩崎くんを残して、私は坂内の元へと戻る。
「ごめん、私、用事あるから帰るね。本当はそれ言う為にここに来たの。ちょっと、お母さんがね……」
私は、最後は言いにくそうに言葉を濁す。わざと、である。
「そっか。あの映画、まだやってるだろうからさ、また観に行こうぜ。今日は坂内とゲーセンでも行っとくか」
正直、驚いた。塩崎くんと二人になれて喜んでるって思ってた。映画も、二人でも観に行くんだろうって思ってた。
私より少し遅れて戻ってきた塩崎くんに、坂内は、変更だ、と呼びかけた。
「河原さん、お母さんがなんかあるんだってさ。そういうわけだから、ゲーセン行くからな、ゲーセン」
わかった、と答える塩崎くんの目は、申し訳なさそうに私を見ている。
それを振り切るように、私は二人に手を振った。
「じゃあね。男二人はむさいけどさ、楽しんできてよね」
「おぅ、また学校でなっ」
笑って手を振る坂内を見る目は、少し切ない。彼はこれから告白の返事を聞くことになる。私はそれを知っていながら黙っている。
「帰り、気をつけて。また」
塩崎くんも坂内を見ていない。私に苦笑を浮かべて手を振った。
私は二人に背を向けて、駐輪場へ向かう。
二人の声が聞こえないところまで歩いて、ふと振り向いて見た。
見送ってくれてるかも、の期待は裏切られていた。二人はもう、あの場からいなくなっていた。
(がんばれよ、坂内っ)
私は心の中で無駄な声援を送って、自転車へと歩いていく。
「河原さんっ」
自転車にまたがって、今にもこぎだそうとした時、坂内の声が確かに私を呼んだ。
振り向くと、駅から二人が手を振っている。いや、正確に言うと、坂内だけが嬉しそうに手を振っている。
「ばいばい」
私は軽く手を振って、何も言わずに自転車を走らせた。
塩崎くんの返事を聞いて曇るであろう笑顔を、これ以上、長く見ていたくなかった。
「ただいまー」
玄関で大きな音をたてている掃除機をまたいで、私は自分の部屋への階段を昇る。
「あ、さっちゃん? 今日はお出かけするんじゃなかったっけ? どうしたの?」
お母さんは、掃除機を止めて、すでに階段を昇りきった私に向かって、下から声をかける。
「相手に用事ができたから、お出かけなしになった」
それだけ言って、私はお母さんの言葉も聞かずに部屋へ入る。
「さぁーて、何しようかなー」
大きな声で独り言。一日の予定がなくなったわけで、時間はたっぷりある。
何も思いつかない私は、とりあえず音楽をかけて歌ってみる。
意外と気持ちがいいので、時間つぶしはこれにすることに決めた。
お昼ご飯を食べた後も、同じように歌っていた。
私の昼寝は、やはりお母さんに起こされることになっているものらしい。
「さっちゃーーん!」
階段の下から私を呼ぶ声が聞こえる。
私はけだるげに起き上がる。
「げっ」
起き上がった下では、CDに入っている歌詞カードが折れ曲がっていた。
そうだった。歌詞カード片手に歌ってたまんま、寝てしまったのだ。リピート設定にしておいた音楽もまだ流れている。
私はコンポの電源を切って、オレンジ色が差し込む部屋を出た。
「はぁーい?」
今朝帰ってきた時の服装のままで、ちょっとぼさっとなった髪をなでながら、私は階段を下りていく。
お母さんは嬉しそうに私に耳打ち。
「ほら、前に家に来た男の子、また訪ねてきたわよ。さっちゃんの彼氏? お父さん帰ってきてるから、外で待っててもらってるのよ。お母さんもやるでしょ?」
ものすごく期待している目が私を見る。
「違う。クラスメイトなだけ。なぁんで家来るんだろ? 用事あったっけ……」
玄関を見ながら私は言う。
本当に坂内はどうして家に来たんだろう? 報告? そんなもの、どうでもいいことなのに。慰めてほしいから? それは、本当にうっとうしい。
「さっちゃんに会いたいんじゃない? 告白かもよぉ」
「……期待しすぎよ、お母さん。ま、何の用事かは出りゃわかるでしょ」
私は、お母さんの期待から逃げるように、サンダルをひっかけて外に出た。
「こんばんわ……にはまだ早いか」
坂内は一人で突っ込んで、空を見て笑う。
彼のそばに自転車はない。
「歩いてきたの? ここまで」
「ああ。駅からそのまま歩いてきた」
「一度、家に帰って自転車乗ってきたほうが早いじゃない。坂内の家、近いんだから」
「聞いてほしい話があってさ……」
坂内がためらいがちに私を見る。
彼には悪いけど、私は、やっぱりそれかぁ、とうんざりとなった。聞きたくなかったし、励ます自信もなかったから。
私は先に話を切り出した。手のやり場がなくて、無意識に髪をいじりながら。
「あの、さー、塩崎くんの返事……でしょ?」
「あぁ?」
坂内の目が語っている。なんで、お前が知ってるんだ?と。
「この前、公園で塩崎くんと話してたの、そのこと。返事はきちんとするって塩崎くん言ってたし、今日も……」
今度は坂内が遮って、私を睨んで言う。
「お母さん、元気じゃん。俺、大丈夫ですか? って聞いたら、なんのことですか? って言われた。今日さ、なんで帰ったんだ? 塩崎と俺を二人にするため?」
正直に言うべきか戸惑ったけど、ここまできて嘘をつくのも情けない。
「うん。二人にしようと思った」
塩崎くんに頼まれたことは黙っておいた。なんとなく、言わないほうがいいと思った。
坂内はじっと私を睨んでいる。何も言わずに。
黙っていた彼は、二人にしてさぁー、とぞんざいな口調になる。
「俺が振られるのを早くしようと思った?自分を振った奴が振られるわけだし、俺は失意に包まれるわけだし?」
うっとうしい。わざわざ、それを言いに家まで来たのか?
「──やつあたり」
小さな舌打ちのあと、坂内はますます強い目で私を睨む。
「俺は一人、何も知らなかった。塩崎が返事をすることも、河原さんが帰った理由も」
「言えるわけないじゃない。言ったってしょうがないし」
あぁ、まあな。坂内は言って私から視線をそらす。
彼の睨む目から解放されて、とりあえず私はほっとした。
「河原さん、俺のこと、まだ好き?」
「はぁぁ?」
冗談で流そうと思った私は、真剣な坂内の顔を見て、冗談を後ろへ押しやる。
「言ってもしょうがないとは思うけどさ、うん、まだ好き」
「それ、やめる予定はねぇの?」
「やめてほしいの?」
「俺、こんなんだし、応えてやれねぇし……。報われないの想い続けるって辛くないか?」
どうして急にそういうこと聞くの、と問おうとしたけど、思いいたったことがあるので言葉を飲み込んだ。
今日、塩崎くんにふられたからだ。
坂内の変な質問の原因は全てそれ、と私は考えている。
「塩崎くん、断ったんでしょ?」
坂内は驚いた顔で私を見て、まぁな、と目を伏せる。
「辛かった?」
坂内は小さく首を横に振る。
「いや、しゃあねぇなって思った。ショックは……ショック、だな」
「断られる前も、好きになるのやめようって思うこと、あった?」
「一度も。好きなもんは、好きだからなぁ。けど、もうやめないとな」
私は坂内に一歩近づく。
「私は、好きはやめないから。心を無理に封じるほうが辛いし、この気持ちを忘れるまで好きでいる」
おっ、と坂内は顔を赤くして、一歩後ずさった。
私の頬も熱いけど、目をそらす気はなかったので、じっと坂内を見る。
坂内は泳いでいた視線を私に向け、大きくうなずく。
「よし、俺もそうする。急には諦められねぇもんな」
私は彼の力強さに反して、脱力してしまった。
「本当は、早く諦めてほしいけどね。じゃないと、私が報われない」
私の苦笑いに対して、坂内も、そりゃそうだ、と笑った。
「元気出た。一応落ち込んで来たけど、元気出た。さんきゅ、河原さん。映画、今度行こうな」
「はは、たいしたことしてないけど、元気出たんならよかった。映画、二人で行きたいって言ってもいい?」
坂内が元気になってくれて嬉しい。私もいつもより、なぜか積極的。
門に手をかけたまま、坂内は振り向いて、うーん、と悩んでいるようだ。
「俺、女子と出かけたことないから、おもしろくないとおも……」
「全然、平気っ。そういうこと気にしなくていいからっ。ねっ」
私は説得態勢にはいって、力強く同意を求めた。
「あー、だったら俺はいいけど?」
「決定。はい、決定。二人で行く、と。日とか決める? 時間決める?」
坂内はあっけにとられた目で見ている。
「すごいな……河原さん。なんか、パワフルっすね。俺はいつでもいいけど」
坂内と二人でお出かけ。
二人で。二人きりで。
舞い上がりもするし、パワフルになるのも当然。
「じゃ、私が勝手に決めて電話する。それでオッケー?」
「オ、オッケ」
私の頭の中には、すでに家に戻ってからの予定が並び始めている。
「んじゃね、坂内」
私は機嫌よく、ぴらぴらと手を振った。
「お、また、な」
門を出て歩き始めた坂内を、見送るように追い、私はずっと手を振っていた。
坂内も苦笑しながら、私に付き合うように、何度か手を振っていたが、角を曲がる直前は振り向かずに手だけ振っていた。
「さて、と」
(いろいろと予定考えないとっ)
私はスキップしそうな足取りで、家へと帰った。
◇終◇