5話:デートの行方
「明日、土曜日空いてるか?」
 今は昼休み、私の前には坂内。いつも話す教室前の廊下。
 恥ずかしそうに、嬉しそうに聞くから、デートの誘いじゃないか、と期待してしまう。
 期待は禁物。期待は禁物。期待は禁物。
 自己暗示のおかげで、心の準備はできている。
「空いてるけど、何?」
 わざと強がってみる。本当は全然平気じゃないけど、平気なふりをしてみる。
「映画観に行かないか?」
「はぁぁ?」
 びっくり。びっくり。パニックするほどびっくり。
 期待してなかっただけに、その驚きはとてつもなく大きい。
 近くにいるクラスメイトに叫びたいくらい……。
 坂内は、赤くなってうつむいた。
「河原さん、観たい映画ある?」
「本当……なんだ…」
「は?」
 坂内が顔を上げた。何言ってんだこいつ、と彼の目が語っている。
「私を誘ってるのよね?」
「お? ……おぅ」
「うっわ、嬉しい。どうしよ、すっごく嬉しい」
「はぁ、そりゃなによりで……」
 本人の前でにやけるのも不自然だとわかっていながらも、私の顔はどんどんほころんでいく。
 坂内の声がすごく遠くに聞こえている。いや、頭には届いていない。
「で、観たい映画ある?って聞いてんだけど」
「うん……って、え? 何?」
「はぁ? 聞いてねえの? 観たい映画はありますか?」
 坂内は子供に話しかけるように、ぐいっと顔を近づけてきた。
「あっ、え、っと、あ、あれ、あれ……」
「あれって何?」
「あの今CMでよくやってる、ほら『〜の恋人』って映画。それが観たい」
「あぁ、あれか。んー」坂内は小さく伸びをする。「おっけー。『〜の恋人』ね。明日、十時半に駅前でいい?」
 坂内が涙目で私を見る。
 私は意味もなく、何度もうなずいた。
「うん、うん。それでいい。十時半に駅前。おっけ」
「遅刻厳禁、なっ」
「う、うん。遅刻しない」
「そんじゃ、そういうことで……」
 昼休み終了を継げるチャイムが鳴り響く。
 授業中、ずっと頭は、明日の準備でいっぱいだった。
 坂内の顔を盗み見しては、一人でこっそりにやけていた。


 駅前の駐輪場に自転車をとめて、私はそっと駅前を見た。
 本当は、私の家から駅に来たら絶対に駅前を通るけど、今日は道を変えてきたので、待ち合わせ場所に坂内が来ているのかはわからない。
 怪しいのは承知の上で、駐輪場の壁に隠れるようにかがんで、壁の上から目だけを出してゆっくりと辺りを見回した。
 坂内の姿は見えない。
 今は待ち合わせ時間三十分前。
 バッグから鏡を出して、軽く塗ったリップの具合と髪型を最終チェック。ここを出たらおそらく二度と確認はできない。まるで本番前の舞台袖。
 ぱたん、と折りたたみの鏡をバッグに入れて、いざ駅前へ。……と歩き出そうとしたが、やはり何かが気になるので、もう一度チェック。やはり異常なし。
「河原さん?」
「わっ」
 私が落としそうになった鏡を誰かが手に取った。
「はい」
 そう言って渡してくるのは塩崎くん。
「あれ? 塩崎くんも何か用事があるの?」
 鏡をバッグに戻しながら私は聞いた。
「河原さんもどこかへ出かけるんだ。電車乗る?」
「ううん、乗らない。塩崎くんは?」
「俺も乗らない」
「もしかして坂内と?」
「うん、誘われたから……」
「そっか……じゃ、行くとこ一緒なんだ、私たち」
「…てことは河原さんも?」
「うん、坂内に誘われたの」
「俺、帰ったほうがいい?」
「なんで? それより私こそ帰ったほうがよくない? 塩崎くん、坂内と二人のほうがいいでしょ?」
 塩崎くんは、私の背に手をあてて抱き寄せるようにした。
 そんな私の後ろを自転車に乗った男の子が通り過ぎる。
「ごめん、自転車が…」
「あ、うん」
 坂内以外に触られたことなかったな、と変な意識が体を緊張させる。
「とりあえず行こっか。坂内に誘われたのは俺らなわけだし」
「そう、だね。とりあえず行くしかないね」
 塩崎くんの後ろを歩き始めながら、私は塩崎くんと自分を比較していた。
坂内に好かれている彼と、坂内が好きな私。優劣はどちらにつくのか、など変なことをずっと考えていた。


 待ち合わせ場所へ着いた時は、予定時間の二十分前。
「おう、おはよう」
 坂内は待っていた。私たち二人に手を振っている。
「思ったより明るいな、坂内は」
「うん、そうみたいね」
 塩崎くんの苦笑に、私も苦笑で返して、坂内のところへ向かった。
「おはよう」
 私は何も言わなかった坂内に対して、ぶっきらぼうに挨拶した。
「おはよう、坂内」
 塩崎くんは怒っているのかいないのか、普通に挨拶していた。
「ちょ……河原さん」
 坂内に腕を引っ張られて、塩崎くんから離れる。
「な、なに?」
「塩崎と一緒に来たのか?」
 女々しい。まさか、こんなこと聞かれるとは思わなかった。
「偶然、駐輪場で会っただけ。ま、ここまで一緒に来たけどね」
「そうか、悪いな。なんかよ、いい雰囲気だったから」
「もう、何でもないんだから、変に勘ぐらないでほしいんだけど」
「悪い、これで最後にする」
 坂内は塩崎くんのところへ先に戻っていった。
 私はつかまれていて熱くなった腕をさすりながら戻った。
「ごめん、坂内」
 戻った途端、今度は塩崎くんに腕を引かれる。
(もう、この二人は……)
「塩崎くんまで、何?」
 塩崎くんに悪気は全くないとは思う。だが、なんだかわからない二人の行動には、うんざりせざるをえない。
「ごめん河原さん、ちょっとだけ俺ら二人にしてほしいんだ。今日、河原さんが誘われてたとは思わなくて……。あの返事をしようと思ってたから。無理だったらいいんだ」
「やっぱり私帰ったほうがいいわよね。そんな大事な話なら、二人でじっくり話したほうがいいよ。うん。私、帰るから、ね」
「えっ。いや、なにも河原さんが帰ることないよ。せっかく坂内と出かけるチャンスなんだから、いてたほうがいいって」
 塩崎くんが「あ」と口を押さえる。
「はは……ばれてたんだ。なんで、わかったんだろ。坂内なんか全然気づいてくれないのに…」
「ごめん」と両手を合わせて塩崎くんは謝った。「さっき気づいたんだ。河原さん、俺も坂内に誘われたって知った時、すごく落ち込んだ顔してたから。俺は知ってるからさ、河原さん、いときなよ」
 塩崎くんの申し訳なさそうな顔に私は即答した。
「いや」
「?」
「たぶん坂内は落ち込むと思う。彼をそんな状態にできる塩崎くんが羨ましいし、これから私の好きな人をふる塩崎くんが憎らしい。でも、2つ共避けられないことだってわかってる。だから、私は帰るね」
 私は坂内に呼びかけようと手を上げ……。塩崎くんがその手をつかんだ。
「河原さん、俺、全然わからない。なんで、そこで帰るってなるのか。落ち込むだろうからこそ、河原さんにいてほしいのに」
 私は塩崎くんの目を見て「離して」と言った。
彼は「ごめん」と、すぐに離してくれた。
じっと目を見たまま、私はゆっくり説明する。
「落ち込む坂内を見たくない、ってのが一番の理由。私なんかに励ませるわけない、ってのが2番目。坂内がふられること、心のどこかで喜んでるもん。ここで塩崎くんに『ありがとう』って言いたいくらい。そんな私に坂内を励ませるわけないでしょ?……勝手でごめん。そういうわけだから、私は帰るね。理由くらいなんとでもなるから、さ」
 塩崎くんはしばらく考え込んでいた。
 やがて笑顔を見せると、私に言った。
「河原さんは帰っていいよ。坂内を落ち込ませたくない、って思ってる俺が一番自分勝手なんだよな。その勝手に河原さんを合わそうとしてたんだ。理由は俺が適当に言っておくから」
「あ、大丈夫。理由はもう考えてあるから。自分でちゃんと言って帰る。坂内が引き止めるわけないだろうし、ね」
 最後はちょっとだけ嫌味とひがみ。
 返事に困るであろう塩崎くんを残して、私は坂内の元へと戻る。
「ごめん、私、用事あるから帰るね。本当はそれ言う為にここに来たの。ちょっと、お母さんがね……」
 私は、最後は言いにくそうに言葉を濁す。わざと、である。
「そっか。あの映画、まだやってるだろうからさ、また観に行こうぜ。今日は坂内とゲーセンでも行っとくか」
 正直、驚いた。塩崎くんと二人になれて喜んでるって思ってた。映画も、二人でも観に行くんだろうって思ってた。
 私より少し遅れて戻ってきた塩崎くんに、坂内は、変更だ、と呼びかけた。
「河原さん、お母さんがなんかあるんだってさ。そういうわけだから、ゲーセン行くからな、ゲーセン」
 わかった、と答える塩崎くんの目は、申し訳なさそうに私を見ている。
 それを振り切るように、私は二人に手を振った。
「じゃあね。男二人はむさいけどさ、楽しんできてよね」
「おぅ、また学校でなっ」
 笑って手を振る坂内を見る目は、少し切ない。彼はこれから告白の返事を聞くことになる。私はそれを知っていながら黙っている。
「帰り、気をつけて。また」
 塩崎くんも坂内を見ていない。私に苦笑を浮かべて手を振った。
 私は二人に背を向けて、駐輪場へ向かう。
 二人の声が聞こえないところまで歩いて、ふと振り向いて見た。
 見送ってくれてるかも、の期待は裏切られていた。二人はもう、あの場からいなくなっていた。
(がんばれよ、坂内っ)
 私は心の中で無駄な声援を送って、自転車へと歩いていく。
「河原さんっ」
 自転車にまたがって、今にもこぎだそうとした時、坂内の声が確かに私を呼んだ。
 振り向くと、駅から二人が手を振っている。いや、正確に言うと、坂内だけが嬉しそうに手を振っている。
「ばいばい」
 私は軽く手を振って、何も言わずに自転車を走らせた。
 塩崎くんの返事を聞いて曇るであろう笑顔を、これ以上、長く見ていたくなかった。


「ただいまー」
 玄関で大きな音をたてている掃除機をまたいで、私は自分の部屋への階段を昇る。
「あ、さっちゃん? 今日はお出かけするんじゃなかったっけ? どうしたの?」
 お母さんは、掃除機を止めて、すでに階段を昇りきった私に向かって、下から声をかける。
「相手に用事ができたから、お出かけなしになった」
 それだけ言って、私はお母さんの言葉も聞かずに部屋へ入る。
「さぁーて、何しようかなー」
 大きな声で独り言。一日の予定がなくなったわけで、時間はたっぷりある。
 何も思いつかない私は、とりあえず音楽をかけて歌ってみる。
 意外と気持ちがいいので、時間つぶしはこれにすることに決めた。
 お昼ご飯を食べた後も、同じように歌っていた。


 私の昼寝は、やはりお母さんに起こされることになっているものらしい。
「さっちゃーーん!」
 階段の下から私を呼ぶ声が聞こえる。
 私はけだるげに起き上がる。
「げっ」
 起き上がった下では、CDに入っている歌詞カードが折れ曲がっていた。
 そうだった。歌詞カード片手に歌ってたまんま、寝てしまったのだ。リピート設定にしておいた音楽もまだ流れている。
 私はコンポの電源を切って、オレンジ色が差し込む部屋を出た。
「はぁーい?」
 今朝帰ってきた時の服装のままで、ちょっとぼさっとなった髪をなでながら、私は階段を下りていく。
 お母さんは嬉しそうに私に耳打ち。
「ほら、前に家に来た男の子、また訪ねてきたわよ。さっちゃんの彼氏? お父さん帰ってきてるから、外で待っててもらってるのよ。お母さんもやるでしょ?」
 ものすごく期待している目が私を見る。
「違う。クラスメイトなだけ。なぁんで家来るんだろ? 用事あったっけ……」
 玄関を見ながら私は言う。
 本当に坂内はどうして家に来たんだろう? 報告? そんなもの、どうでもいいことなのに。慰めてほしいから? それは、本当にうっとうしい。
「さっちゃんに会いたいんじゃない? 告白かもよぉ」
「……期待しすぎよ、お母さん。ま、何の用事かは出りゃわかるでしょ」
 私は、お母さんの期待から逃げるように、サンダルをひっかけて外に出た。


「こんばんわ……にはまだ早いか」
 坂内は一人で突っ込んで、空を見て笑う。
 彼のそばに自転車はない。
「歩いてきたの? ここまで」
「ああ。駅からそのまま歩いてきた」
「一度、家に帰って自転車乗ってきたほうが早いじゃない。坂内の家、近いんだから」
「聞いてほしい話があってさ……」
 坂内がためらいがちに私を見る。
 彼には悪いけど、私は、やっぱりそれかぁ、とうんざりとなった。聞きたくなかったし、励ます自信もなかったから。
 私は先に話を切り出した。手のやり場がなくて、無意識に髪をいじりながら。
「あの、さー、塩崎くんの返事……でしょ?」
「あぁ?」
 坂内の目が語っている。なんで、お前が知ってるんだ?と。
「この前、公園で塩崎くんと話してたの、そのこと。返事はきちんとするって塩崎くん言ってたし、今日も……」
 今度は坂内が遮って、私を睨んで言う。
「お母さん、元気じゃん。俺、大丈夫ですか? って聞いたら、なんのことですか? って言われた。今日さ、なんで帰ったんだ? 塩崎と俺を二人にするため?」
 正直に言うべきか戸惑ったけど、ここまできて嘘をつくのも情けない。
「うん。二人にしようと思った」
 塩崎くんに頼まれたことは黙っておいた。なんとなく、言わないほうがいいと思った。
 坂内はじっと私を睨んでいる。何も言わずに。
 黙っていた彼は、二人にしてさぁー、とぞんざいな口調になる。
「俺が振られるのを早くしようと思った?自分を振った奴が振られるわけだし、俺は失意に包まれるわけだし?」
 うっとうしい。わざわざ、それを言いに家まで来たのか?
「──やつあたり」
 小さな舌打ちのあと、坂内はますます強い目で私を睨む。
「俺は一人、何も知らなかった。塩崎が返事をすることも、河原さんが帰った理由も」
「言えるわけないじゃない。言ったってしょうがないし」
 あぁ、まあな。坂内は言って私から視線をそらす。
 彼の睨む目から解放されて、とりあえず私はほっとした。
「河原さん、俺のこと、まだ好き?」
「はぁぁ?」
 冗談で流そうと思った私は、真剣な坂内の顔を見て、冗談を後ろへ押しやる。
「言ってもしょうがないとは思うけどさ、うん、まだ好き」
「それ、やめる予定はねぇの?」
「やめてほしいの?」
「俺、こんなんだし、応えてやれねぇし……。報われないの想い続けるって辛くないか?」
 どうして急にそういうこと聞くの、と問おうとしたけど、思いいたったことがあるので言葉を飲み込んだ。
 今日、塩崎くんにふられたからだ。
 坂内の変な質問の原因は全てそれ、と私は考えている。
「塩崎くん、断ったんでしょ?」
 坂内は驚いた顔で私を見て、まぁな、と目を伏せる。
「辛かった?」
 坂内は小さく首を横に振る。
「いや、しゃあねぇなって思った。ショックは……ショック、だな」
「断られる前も、好きになるのやめようって思うこと、あった?」
「一度も。好きなもんは、好きだからなぁ。けど、もうやめないとな」
 私は坂内に一歩近づく。
「私は、好きはやめないから。心を無理に封じるほうが辛いし、この気持ちを忘れるまで好きでいる」
 おっ、と坂内は顔を赤くして、一歩後ずさった。
 私の頬も熱いけど、目をそらす気はなかったので、じっと坂内を見る。
 坂内は泳いでいた視線を私に向け、大きくうなずく。
「よし、俺もそうする。急には諦められねぇもんな」
 私は彼の力強さに反して、脱力してしまった。
「本当は、早く諦めてほしいけどね。じゃないと、私が報われない」
 私の苦笑いに対して、坂内も、そりゃそうだ、と笑った。
「元気出た。一応落ち込んで来たけど、元気出た。さんきゅ、河原さん。映画、今度行こうな」
「はは、たいしたことしてないけど、元気出たんならよかった。映画、二人で行きたいって言ってもいい?」
 坂内が元気になってくれて嬉しい。私もいつもより、なぜか積極的。
 門に手をかけたまま、坂内は振り向いて、うーん、と悩んでいるようだ。
「俺、女子と出かけたことないから、おもしろくないとおも……」
「全然、平気っ。そういうこと気にしなくていいからっ。ねっ」
 私は説得態勢にはいって、力強く同意を求めた。
「あー、だったら俺はいいけど?」
「決定。はい、決定。二人で行く、と。日とか決める? 時間決める?」
 坂内はあっけにとられた目で見ている。
「すごいな……河原さん。なんか、パワフルっすね。俺はいつでもいいけど」
 坂内と二人でお出かけ。
二人で。二人きりで。
 舞い上がりもするし、パワフルになるのも当然。
「じゃ、私が勝手に決めて電話する。それでオッケー?」
「オ、オッケ」
 私の頭の中には、すでに家に戻ってからの予定が並び始めている。
「んじゃね、坂内」
 私は機嫌よく、ぴらぴらと手を振った。
「お、また、な」
 門を出て歩き始めた坂内を、見送るように追い、私はずっと手を振っていた。
 坂内も苦笑しながら、私に付き合うように、何度か手を振っていたが、角を曲がる直前は振り向かずに手だけ振っていた。
「さて、と」
(いろいろと予定考えないとっ)
 私はスキップしそうな足取りで、家へと帰った。


◇終◇
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